(3)今度こそ共に歩く未来を

 

 言われたイザークの言葉に、冬の風を受けたクリーム色の髪が、ばらりと虚空に広がっていく。


 開いたリーゼの瞳は、今頭上に広がる冬の空と同じ色だろう。


 けれど、リーゼの視界は、ただ目の前に立つイザークの姿だけを見つめ続けた。


 風が彼の黒い髪もばらりと流し、遙かな冬の空へと吹き抜けていく。


「嫌われたかった……って、どうして……」


 思ってもみなかった言葉に、どうしても尋ねる声が途切れがちになってしまう。少しだけ呟く顎が震えるのを感じた。


 けれど、イザークは、僅かに震えているリーゼの唇を見つめると、悲しげに目を細める。


「俺は――この件が終われば、王位継承者殺害の罪で、君がされたのと同じように死罪になるのだと思っていた。折角生き返った君を巻き込みたくはない――――。君には、今度こそ誰よりも幸せに生きていってほしかったんだ」


「だから……わさと、私を遠ざけようとしていたの?」


「ああ」


 頷くイザークに、リーゼは次の言葉が出てこない。何を言えばよいのか――。


 けれど、目の前のイザークは、僅かに苦笑をもらした。


「だけど、困ったことに嬉しかったんだ。俺が、どんなに傷つけても、嫌っているふりをしても、君はいつもまっすぐに俺に向かってきたから」


「当たり前よ。だって――――」


(今でも、好きだから……)


 だから、どうしても諦めきれなかった。けれども、イザークの藍色の瞳は、まっすぐに前を向くと、しっかりとリーゼを見つめている。


 その瞳に宿るのは、これまでにない強い色だ。


「わかっている。俺が君にしたことは、どれだけ謝っても許されることじゃない。今更詫びても、君を傷つけた事実は変わらない。それでも、もし君が、少しでも俺を許してもよいと思ってくれるのなら――――俺は、君とやり直したい」


 言われた言葉に、息が止まった。遠くの空でさえずる小鳥の声も、葉の落ちた梢を揺らしていく風の音も、全てが遠くの世界のようだ。


 ただイザークの声だけが耳を通り、リーゼの脳に届くのと同時に、ぽろりと涙の粒が転がり落ちていく。


「……いいの? また、親が決めた婚約者の私で――――」


 今更、愛されていなかったとは思わない。だが、イザークにしてみれば、たった一つの自由になるチャンスでもあるのに。


 けれど、イザークはリーゼをまっすぐに見つめる。


「それは嘘だ」


「嘘!?」


 思ってもみなかった言葉に、咄嗟に叫んでしまう。しかし、目の前に立つイザークは、リーゼにじっと視線を落としたままではないか。


「すまない。本当は、俺が父に頼んで、君の家に申し込んでもらったんだ。貴族では、正式な婚約は家の主を通してするものだから――誰にも文句を挟ませないような婚約者として、君を迎えたかったんだ」


「な、なんで……じゃあ、あれは……」


 リーゼだから、親からの話にも頷いたんだという、イザークの言葉はなんだったのか。けれど混乱して思わず両手で顔を押さえているリーゼに、イザークは少しだけ決まりが悪いように頬を掻いている。


「ごめん。家を通したせいで、君が親同士が決めた話だと勘違いして、迷っているようだったから……。あれ? こんなに好きなのは俺だけなのかなと思ったら、急に自信がなくなって、咄嗟に君の言葉に話を合わせてしまったんだ」


「では……」


(――私達は、最初から本当の恋人同士だったのだ……)


 互いに、少しだけ愛されている自信がなくて、遠回りをしてしまっていた。けれども、最初から心は通じ合っていたのだとわかり、ほろほろと涙が頬にこぼれてくる。


「俺はいつまで生きられるのかわからない。ラッヘクローネが残りの命を増やしてくれたとはいえ、どれだけかは不明だ。それに、王太子様が即位をすれば都に呼び戻すと約束してくれたが、それもいつになるか――――。だけど、もしそれでも、君が俺ともう一度やり直してもよいと思ってくれるのなら、俺は二度と君を傷つけない。絶対に今度こそ全てのものから守り通してみせるから」


 綴られてくる全ての言葉が嬉しい。だから、リーゼは溢れてくる気持ちのまま、イザークの胸へと駆け寄った。


「嬉しい……」


 突然、胸の中に飛び込んできたリーゼの姿に驚いたのだろう。いつも冷静なことが多いイザークの瞳が、今は大きく見開かれ、手の中に飛び込んで来たリーゼを抱きしめてよいのか迷っている。


「私もあなたが好きよ。あなただけが、小さい頃から大好きなの!」


「リーゼ……!」


 胸にしがみつきながら綴られる告白に、ぎゅっとイザークの腕が背中に回される。そして、愛しくてたまらないようにリーゼを見つめた。


 その温もりが、嬉しくてたまらない。やっと取り戻すことができた。


 だから、胸に顔を埋めたまま、ぽろぽろと泣き出してしまう。


「……アンドリックには、断るわ。だから、私をイザークのお嫁さんにして……」


「え? アンドリック?」


 けれど、イザークにしてみたら、前の部分が気になったようだ。急に慌てたように腕の中のリーゼを覗き込むと、どういうことかと尋ねている。


 だから溢れてくる涙を手の甲で拭って笑いかけた。


「ああ。この間アンドリックから求婚されたの。でも、断るから――」


「あいつ! いつも俺が少し目を離したら君に近づいて!」


「イザーク?」


 急に顔色を変えたイザークに、ことんと首を傾げる。


「だいたい昔から、そうだった。従弟という立場を良いことに、君の周りをうろちょろうろちょろ。だから俺が慌てて婚約を申し込んだのに――――」


 なにか、ぶつぶつと言い始めているが、よく聞こえないのできょとんと目を開いてしまう。


「イザーク?」


 けれど、後ろでよくわからない顔をしているリーゼに気がついたのだろう。


「あ……」


 少し慌てた様子で振り返るイザークは、この上もなくかわいい。だから、思わず吹き出してしまった。


「イザークでも、そんな風に焦ることがあるのね」


 ぴょんと体を伸ばせば、よほど意外だったようだ。


「そんな風って……君の前では、いつもどうしたらよいのか悩んでばかりなのに……」


 言ってから、しまったと口を押さえている。だから、今度こそ笑ってしまった。


「そうなの? 私にはいつもイザークは物知りで、冷静な感じがしていたわ」


「とんでもない。君を前にしたら、いつも自分でもじれったくなるぐらい何もかもがうまくできない」


 でも、笑いがこぼれたことで、イザークの緊張も解けたのだろう。


「リーゼ。では、改めて言わせてくれ。俺は幼い頃から君だけを愛している」


 なんて嬉しい言葉だろう。だから、幸せに目を細めてしまう。


「私もよ。私も、ずっとイザークが大好きだったわ」


「君は、いつも領民のために一生懸命で、俺はそんな君が眩しかった。どんな風になれば、立派な公爵になれるのか――わからなかった俺に、君は領主としてあるべき姿をみせてくれた。その時から、ずっと君の姿を見続けて――気がつけば、どうしようもないほど、君自身に惹かれていた」


「イザーク……」


(まさか、そんな風に見られていたなんて……)


 自分はいつも少しでも民の生活が楽になるように考えていただけだった。だから、イザークの肩に手を伸ばす。


「それは、イザークがいつも助けてくれたからだわ。必要な知識、交渉の仕方。全部、側でイザークが教えてくれたからよ」


 自分一人では、きっと望むようなことをする方法はわからなかった。


 だから、感謝の意味をこめて両手でイザークの肩を抱きしめれば、そっと伸びたイザークの右手が、リーゼの髪を頬から払う。


「キスをしても……いいかい? もう一度、君に誓う意味で」


 それがきっと神々に嘘の誓いをたてたことへの、やり直しを意味しているのだとわかってしまう。結婚式の偽りの誓いを取り消し、もう一度今度こそ変わらない愛を誓うために。


 だから、こくんと頷いた。


 目を軽く閉じたリーゼの上に、柔らかくイザークの唇が降ってくる。


 触れ合うのは二度目なのに、なんて優しいキスだろう。温かくて、慈しむように触れ合っている。


 こんなに嬉しい瞬間は知らない。また、愛する人に求められるなんて――――。


 イザークも、リーゼに唇から全ての想いを伝えたかったのかもしれない。初めての時よりも、長く触れ合っていた唇は、けれども側の馬の鳴き声に、名残惜しいようにそっと離された。


「あの偽りの一回を除いて、俺がキスをしたのはリーゼ君だけだ。そして、これからしたいと思うのも、未来永劫君だけだから――――」


 綴られる言葉に、嬉しさが溢れてくる。だから、リーゼは両手で、強くイザークの体を抱きしめた。


 長い間、冬の戸外に立っていたイザークの体は少し冷えて冷たくなっている。けれど、抱きしめれば、確かに服の下から温かい体温が伝わってくるではないか。


「うん。だから、今度はイザークが待っていて。お父様とお母様を説得して必ずイザークのところに行くから」


 すると、自分の体を抱きしめ返しながら、イザークがくすっと笑った。


「ならば、すぐだな」


「え?」


「昔から、君は行くと言ったら、鉄砲玉のようにやってきたから。きっと両親の許しをもらい次第、すぐに飛んでくると思って用意をしておくよ」


「なによ、それ!」


 思わず頬を膨らませてしまうが、イザークは楽しそうにくすくすと笑っている。


「だってそうだろう? まさか、生き返った直後に、もう公爵家に来るとは思わなかった」


 てっきりアンドリックが、リーゼが生き返って目覚めたことを告げに来たのかと思ったらと、苦笑しているのに何も言い返せない。


 けれど、かあっと赤くなった頬を、イザークは嬉しそうに見つめている。


「だから、待っている」


「え?」


「あの時、本当はもう一度笑っている君を見られて、心の底から嬉しかった。だから、もう一度君が俺のところに来てくれるのを待っている」


「イザーク……!」


 だから、放していた腕でもう一度強く抱きしめる。


「行くわ! 絶対にお母様達を説得して行くから」


「うん。俺も子爵家にお詫びの手紙を書くよ。そして、もう一度君への結婚をお願いしてみるから――――」


 待っている。耳元で囁かれた声は、今までに聞いたどのイザークの声よりも甘くて。


 だから、リーゼはきっと今度こそ人生を一緒にするだろう夫の顔を見上げ、もう一度口づけて笑った。


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あなたに復讐の花束を ~悪役にされた令嬢は処刑台から甦る~ 明夜明琉 @yuzuazu

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