ある文学少年

 

 ある文学少年

 

 少年は一種の自信家であった。

 彼が文学の世界の虜になったのは、小学校低学年の時である。尤も直接的な要因となったのは、彼が偶然手にした本の挿し絵であった。それは海と砂浜を描いた水彩画で、隣のページに十行ほどの詩が書かれていた。透き通るような海の青と貝が印象的であり、彼はその絵と共に隣の詩を愛した。その詩の作者は、何十年も前に肺を病んで死んだ。その詩は作者が病床に臥せていた時に、今一度海を見たいという想いから書かれたものだった。

 

 読書より少年は書くことの方が好きであった。拙いながらも自分の中にある世界を精一杯表現しようとした。少年は美しい言葉──あの詩のような言葉──を誰よりも愛した。

 

 いくつか「作品」を書き上げた少年は、けれども誰にも自分の作品を読まさなかった。ただ一人を除いては。

 少年は近所に住んでいる三つばかり年上のある少女にだけは自分の作品を読むことを許した。君には文才があると彼女は言った。少年は嬉しかった。

 

 少年の自意識は他者から美に酔っていることを嘲られるのを極端に恐れた。しかし、心の中では同時に自分の作り上げたものを評価してもらいたいという、いかにも子供らしい自己顕示欲も芽生えていた。

 

 高校生になった彼は両親に内緒で自作を某新聞社が主催する学生小説コンテストに応募した。結果が分かるのは半年後である。彼は彼女の元を訪れ、そのことを話した。

「一体どれを投稿したの?」 

 彼女がそう尋ねると、彼は自分の中で一番気に入っていた「海と雲」という作品であると自信ありげに答えた。

 この作品は彼に文学の道を開いたあの詩の挿し絵から大いに影響を受けたものだった。南の島にやってきた少年と現地の少女の心の交流を描いたもので、率直な言葉のやり取りが二人の幼さを際だたせている。

 彼女もそれが良いと言ったので、少年の自信はいよいよ強くなった。

 

 結果の発表が行われるまでの約半年間。少年の心の中にはいつも自分が選ばれるという自信だけがあった。

 

 そして、結果が新聞に載ったのは霜月のある朝刊であった。寒さが日増しに厳しくなっているのを感じつつ、少年はこの日を待ち遠しにしてきた。

 しかし、新聞に少年のペンネームはなかった。

 審査員たちに選ばれた他の作品を、少年は憎々しく思った。一体どんなものが選ばれたのかと思って、掲載されている受賞作品に全て目を通した。

「なんだ、こんなものか、それなら僕の作品の方がよっぽど上手く書けてるじゃないか。大方、高校生にしては似付かわしくない作品だと思ったのだろう」

 少年はぶつくさとそんなことを言って、新聞を床に叩きつけて家を出た。

 そして真っ先に彼女の元を訪れた。自分が選ばれなかったことなどを口早に告げた。彼女は微笑みながら少年を慰めの言葉をかけたが、少年はそんなものは要らないと強がった。あれやこれやと言葉をかけてくれるが、そのうちに少年は一つ小さな溜息を吐いた。

「もう小説書くのはやめようかな」

 小説ならそう書くだろうなあと考えて、少年は僅かに笑みをこぼし、言葉を呑み込んだ。

 

 もうどうでもいいや。

 

 少年は次に書く小説を考えた。そうだ、彼女を主人公にした作品を書こう。

 

 そう決意した少年は彼女の顔をまじまじと見つめた。優しそうなその顔から彼はどんな世界を作り出そうかと考えた。

 

 終

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編集「供物」 武市真広 @MiyazawaMahiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ