六話 出勤と報告と
大瀑布の向こう側から、浩成達の船が帰還して、一日が過ぎた。
結局、石橋は浩成の所属する極東海運商会に所属することとなり、今日が初出勤だ。
就職活動中と言っていたので、就職が決まれば役場まで書類を取りに行ったりと、出社するのは今日でなくともいいと言ったのだが、特に予定もないので、今日出勤すると言って聞かなかったのだ。
白い壁の廊下を、2つの人影が進む。浩成と石橋だ。2人は揃いの白衣に身を包んでいる。今日は魔女帽子をかぶっていないんだな、と言えば、何故か肩を叩かれた。
廊下の左右には不規則に扉が並んでいる。
今二人が歩いている施設には他にも多くの人がいるのだが、2人以外は皆扉の向こう側で仕事をしていて、誰も廊下を歩いていない。
時折、扉の向こうから爆発音が響くことはあるが、それ以外の時は概ね静かだ。
今もまた少し後ろで爆発音が響いた。石橋が振り返り、音の響いた方を見ている。昨日、浩成の所属している極東海運商会に入社することが決まり、今日が初出勤なので、珍しいのだろう。
「ま、騒がしいところだけど、徐々に慣れていってよ」
「あ、大丈夫です。時々爆発音がするぐらいなら。学生の時はもっと頻繁爆発してましたし……。これくらいならまだ静かな方です」
「どんな学校だったの?」
「えっと」
石橋が周囲を見渡す。石橋にあわせて足を止めた浩成は、彼女が言葉を見つけるのを待つ。まだ初日で、社内を案内するように言われている。今日の夕方、退社時間の午後4時に五郎のいる事務所に顔を出せば、あとは好きにしろと言われているので、時間は余っているのだ。
「建物の雰囲気はここよりももっと混沌としてるといいますか……。時々物が飛んできたり、さっきも言ったように、よく爆発したり、ものがよく壊れて怪我人もよく出たので、頻繁に医務室に運ばれる人がいたぐらいですかね」
「……なんというか、実践的な学校だったんだね」
「?学校ってそういう場所でしょう?失敗しても先生がフォローしてくれるから、うまく失敗するための場所だって、校長先生は言ってたけど」
授業のほとんどが座学で、失敗の仕方どころか、成功するための方法ばかりを教えられる日本の今の教育を見たら、彼女はどうおもうんだろうな、と思う。もっとも、やりたいことが学生時代から決まっている生徒は、多少の失敗をしても成功するための糧にしていたような気もするが。
「次はここね」
立ち止まったのは、他の扉と見た目は同じだが、浩成の主観によって、他の扉よりも親しみを覚える扉の前だ。
「一応、えー僕の所属するチームの会議室兼開発室になってる。ゴロちゃんが言うには僕が面倒見ることになるみたいだし、石橋さんもここで働くことになると思う」
言いながら、扉を押しあけると、クラッカーから飛び出る紙吹雪が浩成を襲った。気にせず室内に入る。
「……何してんの?」
「チッ!浩成かよ」
何事か、と中を見れば、鎌星を筆頭として、クラッカーを構えたチームのメンバーが勢揃いしていた。
「そりゃそうでしょ。普通人を案内するときは前に立つでしょ?」
クラッカーを構えた一人、金髪のエイミーが、年齢にふさわしい落ち着いた声で呆れている。どうやら企画したのは鎌星らしい。
「仕方がねぇだろ!石橋さん、めっちゃ綺麗だったんだよ!女っ気のないこの研究室にもたらされた、唯一の癒しだろうが!祝福しねぇでどうするよ!」
「鎌星先輩かっこわるい……」
「おい、さく!テメェ聞こえてっからな!テメェも鼻の下のばしてノリノリだったじゃねーか!」
「そ、そんなことありませんし?!」
騒がしいなぁ、と思っていると、話題に上っている石橋が扉から入ってきた。
「もう入っていいよね?」
「あ、ごめんね。ちょっと予想外のことが起こったからそっちに対処するので手一杯になったんだ」
「俺らのせいかよ」
「で、彼らが僕の同僚で、こちら、うちのチームの主任のエイミー」
「何僕とか言ってんだよ、気色悪りぃ」
「いいだろ別に。石橋さんまだ初対面みたいなもんだし、多少はよそ行きの対応になるでしょ」
「ごめんね、うちの子らは騒がしくて。今はここにいる4人だけど、一人国外に研修に出てる。研修期間が、残り1週間ぐらいだから、すぐに会えると思うよ」
「そうなんですか。えっと、会社に入るのって初めてなので、どうしたらいいかわからないですけど」
「そんなの簡単さ。今までやってきたことの繰り返し。とりあえず名乗って、自己紹介。あとは一緒に働いてたら相手のことも理解できるから、徐々に打ち解けていけばいいさ」
神妙な顔をして頷く石橋を見て、先ほどまで案内していたときはそんな不安など口にしなかったのにな、と思う。しかし、同性相手だからこそ吐き出せる不安もあるだろう、と深くは考えないことにする。
「じゃ、自己紹介」
エイミーに促され、石橋が全員に頭を下げる。
「みなさん知ってると思いますが、石橋まこです。ハイウィンド顧問の計らいで、こちらで働けるようになりました。大瀑布の向こうから帰ってこられる船を作っている、と斎藤さんからは聞いてます。力になれるように頑張りますので、よろしくお願いします」
石橋が頭を下げたタイミングで石橋を除く4人が拍手をする。
「石橋さん歳いくつ?」
「あ、魔女は歳言うといけないことになってるんです。ごめんなさい」
「え、ほんとに?他にそんな制約ってある?」
鎌星の質問に石橋が答え、桜池がその答えに食いついた。
「他には……とくに、思いつきませんね。もう生活に溶け込んでるので。他に思いつけばまた伝えますね」
「わかった」
魔女も大変だな、と思うが、厳しい戒律の宗教に入信すると同じように生活に制限がかかるらしいので、そういうものか、と納得する。
「マコちゃんは、魔女っていう資格で採用されてるんだ。そこにいる勢いだけの体力馬鹿よりはよっぽど役に立つさ」
初対面でいきなり名前呼びのしかもちゃんずけするあたり、老婆はさすがだと思う。浩成がやれば間違いなく引かれる。
「勢いだけの体力馬鹿とは言ってくれるじゃねーかババア!」
「鎌、うるさいよ」
魔女、という、昨日初めて遭遇した未知の技術を、資格の一言で片付けてしまうエイミーに、思わず感心する。昨日仕事が終わってから、家で五郎に多少の説明は受けたのだろうが、幾ら何でも順応しすぎではないだろうか。
「え、じゃあ、石橋さんって履歴書書く時資格の欄に魔女って書くの?」
桜池の疑問で、資格欄に魔女と書かれた履歴書を思わず想像する。
「履歴書出された方は困惑するだろうな……」
そして、真面目にやっていないと判断され即不採用になるか、周囲から痛い子だと扱われる。よくても自称魔法が使えるという人種と仲良くなるのどれだろう。何れにしても周囲の扱いと現実の差で疲れそうだ。
「次は私たちね。私は、エイミー・ハイウィンド。この研究室の主任で、マコちゃんを勧誘したゴローは、私の夫。主任なんて肩書きになってるけど、この人数だし、あまり気にしなくてもいいわ」
「俺は鎌星矢月。浩成とは同期入社で、このチームの中では一番体力がある」
「一番バカの間違いじゃないかね?」
「体力があるのとバカってのはイコールじゃねーからな!」
「だから一番バカって言ってるじゃないさ」
「はいはい。あの2人は置いといて。僕は桜池まさゆき。一番年下だけど、この少人数で一番競っても仕方ないから気にしないで。そもそも、うちに所属してるの、一番上と若いので固めてるみたいなもんだし」
一通り自己紹介が終わったところで、部屋の片隅に寄せてあったホワイトボードを、中央、長机の前に引っ張り出してくる。それをみたエイミーが、頷きを一つうつ。
「じゃ、初日だし、間違いなくあの石化した船のことについて一番詳しいマコちゃんの意見を聴きながら、今後のことを話し合おうかね」
その後は、浩成たちがあの船を使った利用法を考え、魔女として、その利用法が可能かどうかを石橋が判断する、という時間が過ぎた。
「あら、そろそろ四時ね。ゴローのところに行かないといけないんじゃない?」
「あ、もうそんな時間ですか」
エイミーの言葉で時計を見れば、時刻は3時50分。確かに五郎のいる部屋に向かわないといけない時間だ。
部屋の中央、そこに置かれた長机と、浩成からみて右手にある、決して小さくはないホワイトボードは文字や記号、簡略化された図で埋め尽くされている。他にも、試作段階のものに石橋の持っている砂を混ぜ込んでみたりした。最終的には使わせてくれたのだが、使わせてくれと頼んだ時、快諾してくれなかったのが気になった。使い終わったものを瓶に収納すればいいわけではないのだろうか。
「じゃ、ゴロちゃんところに行ってきます。報告終わったらどうしたらいいです?」
「終わる時間関係なく酒池肉林に集合しましょう。よその部署からたんまり寸志ももらってるから、マコちゃんの歓迎会にしましょ」
寸志をもらった、と言ったが、巻き上げた、の間違いだろう、と脳内でツッコミを入れた。一度、昔の集合写真を見たことがあるが、美人で、周囲の男どもが彼女に心を奪われていたのは明確だ。2、3個ほど弱みも握られているだろう。そしてその頃の社員が残っていれば、それなりの地位についているのだ。
エイミーに送り出され、研究室を出る。
「さて、じゃ、ゴロちゃんのところに行こうか」
朝通った道を、朝とは逆に歩き、五郎のいる幹部室に向かう。
「斎藤さんたちは、世間から冒険者と呼ばれる職業の方達ですか?」
幹部室に向かっていると、不意に石橋の問いが飛んできた。
「まぁ、そうなるな」
「冒険者ってもっと野蛮な仕事かと思ってました」
石橋が、世間一般の人達と同じ印象を、冒険者に対して持っていたことを面白く感じる。ここまで世間一般とズレたことのできる魔女でも、冒険者に対して抱いているイメージは野蛮で荒々しく、命をかけて大瀑布の向こう側を目指している、といったもののようだ。
「そういう時代がなかったとは言わないよ。でも、向こう側に送っても送っても、全然帰ってこないんだ。物資はともかく、人が戻ってこないのは取り返しがつかない。だんだん、船に乗ろうと志願する人は少なくなって、囚人や重罪人が報酬と引き換えに乗船するようになり、いまではそれも非人道的だと世間から批判されるんで、いまでは遠隔操作が主流だね。冒険者っていう呼び名は、大瀑布の向こう側へ、人が船に乗って行こうとしていた頃の名残かな」
冒険者、といえば、今でも世間の何も知らない、知ろうとしない人からは、ある一定の尊敬を集められるため、誰もその呼び名を変えようとしないのも理由の一つではあるだろう。
その後も夏の風のように時折向けられる質問に答えていると、幹部室にたどり着いた。
「斎藤、他1名入ります」
「入れ」
ノックと同時に入室確認をとれば、中から五郎の声で入室許可がおりた。
幹部室の扉は他の扉とは異なり、木製の重厚な作りを模して作られている。実際は、鉄板を木で挟んだ作りだ。いわく、社員が重大な失敗をして、爆発をしても影響がないようになっているらしい。聞くところによると、この社屋が吹き飛んでも、幹部室は無事になるよう設計されているらしい。そもそも、その噂を証明する方法がないので、真偽の程は確かめられないが。
五郎の声に従うように入室すれば、幹部室には五郎しかいなかった。普段であれば、各部署の幹部が合わせて7人ほどのいる。今回はこれまでの常識を覆す新発見で、その技術が使える新人が入社するということで、てっきり全員が同席すると思っていたのだが。
「えーと?お一人ですか」
「1人だといかんか」
口調にわずかな怒気を含ませて、五朗が睨んでくる。
お、これは何か地雷をふんだか?と思ったが、ここまで怪しいと踏み込んだ方が今後の動きが読みやすい。
「久しぶりに椅子が埋まってるところを見てみたかったんですが」
「実態はともかく、対外的には新入社員が1人入っただけだ。それで幹部全員が同席するわけないだろう。ましてや新社員が初出勤したからって、患部に報告なんてしてねぇんだ。今回は儂がやった方がいいと思って、エリーに報告しろっていっただけだしな」
確かにそうかもしれない。しかし、今回は他に理由がある気がする。
「で、何をそんなに怒ってんです?」
少なくとも、朝書類を提出した時はここまで不機嫌ではなかったのだが。
「他の部署の奴ら、メテオラの存在知ってやがった」
それだけで、五朗がどうしてここまで不機嫌かがわかってしまった。つまり、1人だけ情報が回ってきていなかったのが理由らしい。
「それは、……一体どうして」
五郎の視線が、一瞬石橋に向けられる。浩成もつられて石橋を見れば、視線を集めた石橋は居心地が悪そうに身じろぎした。
「あの、私いない方がいいですか?」
「や、別にいい。この会社で働くにあたって、儂らが周りからどう重れてたかを知ってもらういい機会だ。儂も今日まで知らんかったがな!」
「で、どういうことだったんです」
五郎が大きなため息をつく。
「どうも儂らは研究室の中でこもりすぎとったらしい。他の部署の連中は、海外に行ったりもしてただろう。その時にメテオラの存在を薄々感じ取っておったようだの。1人浮かれて報告慕わしがバカじゃった」
「じゃあ、海外ではごく一般的に流通してるっていうんですか」
「一般的に流通はしてない。が、一部の技術者間では周知の事実だし、見つかれば取り合いになっておるようだ。だから、情報と広報のやつには、横からきてかすめ取られないようにしてくださいよ、と言われた」
再び、五郎が苛立ち混じりに呼気を吐き出す。
「と、まぁ、そういうわけだ。で、うちの期待の新人と今日はどういった話をしたんだ?」
目に子供のような輝きを宿し、五郎が机から身を乗り出す。それを浩成は好ましく思う。やはりうちの上司はこうでなくては。
浩成は今日石橋を交えて行った意見交換会の結果を報告する。五郎はそれを興味深そうに聞き入った。
「わかった。では、明日からは検証の実証に移ってくれ。期待している」
その言葉を最後に、五郎に見送れらて浩成と石橋は幹部室を後にした。
この後は楽しい食事会だ。
私物の携帯端末で時刻を確認すれば、17時5分すぎ。終業時間をわずかにすぎたちょうどいい時間だ。
「じゃ、酒池肉林に行こうか。どうする?一旦帰りたいならそう伝えとくけど」
「あ、そのまま向かいましょう。一旦家に帰ると、家から出るのが辛くなりますから」
「おっけ」
浩成と石橋は、会社を後にして、会社近くの飲み屋へと向かうのだった。
隣の魔女と、空の幽霊船 皐月 朔 @Saku51
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