三話 日常を壊す船
一番初めに感じたのは、瞼に当たる日の光。
日の光を浴びたことで睡眠から解放され、そこで自分が今まで寝ていたことを自覚する。
椅子に座ったまま、PCのディスプレイの時計に視線を向け時刻を確認すれば、午前6時。いつもの時間だ。椅子に座って眠るのもいつものことで、すっかり馴染んだ腰の痛みに朝の挨拶をしながら立ち上がる。
昨晩洗わなかった食器を台所に運び、コーヒーサーバーのスイッチを入れる。
コーヒーが出来上がるまでの時間に食器を洗い、余った時間で冷蔵庫の中を物色。昨日夕食を作った時点でわかっていたが、冷蔵庫の中には食材がほとんど残っていない。あるのはマヨネーズをはじめとしたドレッシング、卵、いつからあるかも忘れてしまった白い箱。そういえば何が入っているのだったか、と思い手を伸ばしたタイミングで、コーヒーサーバーが軽快に鳴く。
冷蔵庫を締め、コーヒーを持ってPCの前へ。
仮眠状態のPCを起こし、目覚めのシューティング。7時のアラームがなればコーヒーを洗い、出勤するために洗面台に向かう。
扉を開けると、冬特有の寒さが体をおおう。マフラーに口を埋めるようにして首から口を寒さから守る。いまだに新しいコンクリの廊下を、冷気の中をかき分けるようにして進む。手すりの向こうには、すでに目覚めた街が、それでも遠慮がちに音を立てている。
ふと、視界に違和感を感じてその正体を探れば、昨日まではなかったものが、隣の扉にかかっていた。『石橋』と書かれたその表札が、すでに離れて久しい故郷を彷彿とさせる。東京に出て、自分の住んでいる場所を周囲に周知する必要がなくなったので、浩成も自分の扉には表札などかけていない。
浩成の足が止まる。壁際に立てかけられている流線型をした板を手に取り、廊下の手すりをスライドさせれば、そこには空に向かって伸びた足場がある。そこへと踏み出し、先ほど手に取った流線型の板、スカイボードを踏み出し台から半分はみ出すようにして設置、両足で乗る。
体を踏み出し台の向こう側へと倒すようにすれば、当然体は落ちる。
直後、マンションの周囲にのみ発生している上昇気流を拾って、スカイボードが緩やかな下降を始めた。スカイボードは浩成を乗せたままマンションの周囲を渦を巻くようにして地表に着地。つかの間の空の旅を終えた浩成は、スカイボードをマンションの壁にあるスリットの中へ差し入れる。フッ、という、気の抜けるような音ともに、スカイボードはスリットの中から消え去った。
スカイボードで降下し眠気をすっかり振り払った浩成は、最寄り駅へと歩く。少し古い瓦屋根の平屋が目立つ通りを過ぎれば駅はすぐだ。駅に近づくほどに人の数は多くなり、駅に近づく頃には隣を歩く人と肩をぶつけずに歩くことが難しくなる。
あと一時間ほど後でも会社の定める出社時間には間にあうのだが、その時間になると肩をぶつけるようにして歩かなければ進めない。それが嫌でこの時間に駅に着くようにしている。
「おい、浩成。ニュース見たか」
出社し、更衣室で支給されるツナギに着替え終えた浩成が、待機室で腰掛けていると、鎌星から声をかけられた。
「おはよう。鎌。すまん。なんのことかわからん」
「船だよ。関所の手前で船が見つかった」
言っている内容がよくわからない。関所、というのが、大瀑布に行くためには絶対に通過しなければいけない場所のことである、というのはよくわかる。浩成は入社後の研修で見たことがある。海上に作られた大きな壁は、どこまで続いているのか、と上を見上げても、左右に顔を振っても端が見えない。そこに一箇所だけ設置された黒の扉はなかなか忘れることのできない光景だ。あの門の向こう側を見て帰ってきたものがいないので、あの関所がどうなっているのかを知っているものは誰もいない。
「まぁ、関所の手前なら普通だろ?いつも渋滞してるらしいじゃないか。俺は立ち会ってないから実際に見てはないけど、鎌はよく試作品の見送りに行ってるから俺よりもよく知ってるだろう」
「だから!あぁぁ、くそっ!!どうして伝わらねぇ!」
「ダメですよ、鎌星先輩。ヒロさんニュース見てないんですから。ちゃんと船の状態説明しないと……」
後ろから現れた桜池の言葉に、どういうことだ、と視線を向ければ、桜池は己の社内用携帯端末を取り出し、何かを検索し始める。そしてグループ用として空中にその画面を投影した。
そこに投影された、ニュースサイトを読み進めると、浩成の目が見開かれていく。
「これ、俺らがかなり前に送り出した船か……?」
「そうなんだよ!帰ってきたんだ!」
やっと我が意を得たり、と声を出す鎌星だが、浩成の眉間にはシワがよる。ニュースサイトに映し出された画像の船には、不審な点が2つある。まず一つには、送り出した時と色合いが全く変わってしまっていることだ。送り出した時には、帰還と栄光の意味を込められて、いたるところに金と赤のラインが入っていたのだが、画像の中の船は、まるでそこだけ色が抜け落ちているかの用に白いこと。そして、もう1つ。送り出した時と、全く形に変化がないことだ。
「どうなってる……?関所の向こうには石化させる現象があるってのか?」
画像を見て、一番初めに思いついたことを呆然と口にする浩成だが、そんなことはありえないと脳内の自分が否定する。
『業務連絡。業務連絡。社内開発部の人間は、朝礼場に集合すること。集合完了目標は9時。繰り返す……』
待機室内に備え付けられたスピーカーから響いた声に、三人は顔を見合わせる。
「このタイミング、間違いなくこの船のことだよな」
「まぁ、間違いないだろ。数年前に送り出したとはいえ、それでも社外秘の技術色々詰め込んでんだ。よその企業に回収されちゃまずい」
「あの状態だと、まともに運航することもできなさそうですよね……」
むしろあの状態で正常に運航できるようなら、その技術は是非とも学びたいものだ、と浩成は思い、指定された朝礼場へと向かうべく歩き始めた。
真夏であれば、吹く風を遮るために恨めしく思う社屋だが、冬は風を遮ってくれるためありがたく感じる。もっとも、社屋が高いせいで陽の光が十分に入ってこない。昼過ぎになれば天頂から射す光でいい陽気になるのだが。それまでは社屋の作る影に沈んでいるので、これまた迷惑。つまり、年中マイナスの印象しか抱いていない社屋に囲まれた場所に朝礼場はある。
朝礼場に集まり、来たもの順に並んでいた浩成たちの前に現れたのは、開発部の技術顧問である五郎・ハイウィンドだ。今年で70を迎えるはずだが、その足取りは迷いがなく、目つきも鋭い。
五郎は開発部全員の前に立つと、ぐるり、と集まった全員の様子を見るようにして顔を動かした。
「おはよう諸君。今日、関所の手前で見つけられた船のニュースを見たものも大勢いるだろう。集めたのは他でもない、あの船の様子を見にいくためだ。あれは紛れもなく我々が建造した船であり、他企業に見られると困る技術も結構あるからな。では、バスに乗れ、これから向かうぞ」
朝礼場から社用駐車場へとまとまりなく歩けば、そこには開発部全員を一回で輸送するためだろう、バスが5台並んでいた。まるで出荷される牛になった気分で次々とバスに乗せられ、満員になったバスから走り出す。
バスに揺られること15分。
ついたのは進水式に使われる海運商会の整備用ドックだった。昨日までなかった船影がそこにはあり、画像で見た通り、色が抜け落ちた船が1隻浮かんでいる。やはり自力走行はできないのか、タグボートが前方に止まっている。
浩成が乗ったバスが着いたのは三番目であり、浩成が着いた時には、船体周囲で船体を指差す多くの同僚の姿があった。
浩成も可能な限り急いでバスから降り、船の近くに駆け寄る。
大きい。
もとよりこの船のコンセプトは頑丈であり、遠隔で操縦できるギリギリの重量と、それに見合った装甲の厚さ。さらに大瀑布の向こう側を観測するためのセンサーが乗せられるだけ乗せられている。
「……石……か?」
もっとも船に近づけるところへと駆け寄る。
そこは多くの同僚があつまっていたのでかき分けながら進まなければいけなかったが、どうにか人を掻き分け、そこから手を伸ばせば、船体に触ることはどうにかできた。感触は思った通り石のようだ。
「お前、よく躊躇なくさわれたな」
声に振り返れば、そこには額に汗を浮かべた鎌星がいた。どういうことだ、と眉をひそめる。周囲にだって船体を触って感想を言い合っている人は大勢いる。
「や、気がついてなかったか?お前が触るまで、みんな誰が一番初めに船に触るか無言で譲り合ってたんだよ。何がどうなってその状態になったかわからないし、触って害のないものかもわからなかったからな」
とりあえず手ェ拭いとけ、と手渡されたウェットティッシュで手を拭う。
「で、どうだ?」
「感触はそのまま石のような気がする。でも、表面触っただけだからな。表面上だけ石化したのか、細かい粒子が付着してるだけなのか、その区別がつかない」
「船体丸々石化してるとは考えないのか?」
「そう考える方がおかしいだろ。コンクリが乾くのとは訳が違う。それに、船体まるまる石になってるんだとしたら重さのバランス変わって、鉄のときと同じ姿で浮かんでるのはおかしくないか」
しかもこの船は設計段階からギリギリの重量設計だった。遠隔操縦とは言っても、簡単な進路を示すだけで、細かい操舵は機械だよりだ。人の操縦では離岸すらできないと言われていた。
「そういえば、桜池はどうしてる」
経験は浅いが天才的な発想をする後輩の意見が聞いてみたい、と思ったが、周囲を見渡しても姿が見えない。
「ゴロちゃんのお守り」
じゃあしばらくは帰ってこないな、彼から意見を聞くことは諦める。
「あ、おい!甲板に誰かいるぞ!」
社員の誰かがあげた声で、浩成は視線を甲板に移す。しかし何しろ船が大きい。なかなか見つからずに、話題作りがしたくて言ってみただけじゃないのか、と言い出したやつにイラつき始める。
「浩成、あそこだ!!」
後ろに立っていた鎌星が指差し、その指先を追うようにして視線をそちらに向ければ、確かにそこには人が立っていた。曳航してきた船員がまだ残っていたのか、とも思ったが、どうやら違う。甲板上の人物は、甲板を時折叩きながら歩いているのだ。曳航していた船員なら、そんなことはしないだろう。それになにより、その人物には船員ではまず被らないであろう三角帽をかぶっていた。魔女帽子とも呼ばれるあれである。
何をしている?とその人物を注視する。
「……魔女?」
いやいやいや、と誰かがこぼした言葉を全力で否定する。確かに昔は箒に乗って空を飛び、呪文一つで超常現象を起こす魔女と呼ばれる人たちは存在していたらしいが、最近では絶滅したらしく、すっかり話題に上らない。たまに年末特番で出たと思えば、ただのやらせ、作り話だった、というオチがつく。
「……あれ?」
「どうした?」
「……鎌、ちょっと単眼鏡貸してくれ」
何をする気だ、と言わんばかりの顔を浮かべながら、鎌星が手荷物の中から小さな筒を取り出し渡してくる。礼を言ってそれを受け取り、甲板にいる魔女コスの女に焦点を合わせる。多少荒いが、裸眼で見るよりはよほど鮮明に確認できたことで、疑念は確信へと変わる。
「おーい!!いしばしさーん!!そこで何してんですかー!!」
確信が持てたなら、あとはやることは一つだけ。証明だ。
甲板上に届くように大声を出したため、周囲の人間が耳を塞いでいる。
頭に衝撃を感じ、なにごとか、と振り返れば、そこにも耳を塞いだ人の姿。鎌星がいた。
「や、あれついこの間隣に越してきた人だわ」
「……はぁ?あ、こけた」
見れば、確かに甲板に立っていた魔女コス女、改め石橋(仮)はこけていた。慌てて立ち上がり、甲板上から浩成たちを見下ろしてくる。
それまで甲板上でしていた作業を中断したのは、間違いなく自分の呼びかけが理由だろう、と思った浩成は、大きく手を振り自分の存在をアピールする。
はっきりと顔が見えた訳ではないが、甲板上の石橋が呆然とこちらを見つめているのはなぜかわかった。
「あ、降りてくるぞ」
言い伝え通り、箒に乗って空を飛んだ石橋がこちらに降りてくる。空中で、少し離れたところを指差しているのは、そこにいけ、ということだろうか。
対話ができるのなら望むところ、と、浩成は石橋の指差す方向へと歩き出す。浩成の進む先では、自然と人が避けて道ができ、まるで聖人になったかのようだ、と思わず笑みが出る。そして、本当に魔女は箒で飛ぶんだな、と感動する浩成だった。
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