第3話 内裏の変な虫の酒

 大学寮に戻って、そのまま部室でテレビをつける。

 ちょうど神楽をやっていた。演目は「滝夜叉姫」だ。

「滝夜叉姫か……」

 俺は昔の恋人を思い出していた。

 たしか丑の刻参りをしている彼女を見初めて、俺から文を送ったんだった。

 その後、彼女は満願成就かなって妖術を身に付けたが、俺ときたら……。


「そのまま寝ちまったか」

 窓からのかすかな香気で目が覚めた。これは、ミョウガか?

 起き上がると胸元からガサリと音がする。

 後輩の仕業だろう、水干の内側にチケットが挟まっていた。

「世紀の対決 蘆屋道満vs安倍晴明 負けたほうが弟子になるデスマッチ……?」

 蘆屋道満殿といえば、民衆派で知られる藤原顕光様おかかえの陰陽師だ。顕光様と同様、しきたりに無頓着なリベラル指向で、敵も多いかわりに民衆の支持も厚い。

「新聞屋に押し付けられたのか。こんなおもしろそうな試合、行かないはずがないだろう」

 しかし晴明、晴明、どこかで聞いた名前だ。

「日程は……今日じゃないか!」

 俺は烏帽子をひっつかんで大学寮を飛び出した。


 内裏にはすでに人が集まって妙な熱気が立ちこめている。

 二人の陰陽師が、太刀までつけた束帯姿で向かい合っているのだ。

「あ、あのとき、俺をとめた店員じゃないか」

 終始、不適な笑みを浮かべているのは、昨日の店で働いていた晴明という男だった。ということは、彼が道満殿の対戦相手となる安倍晴明か。

「かっとばせ、せーめー!」

「かっとばせ、せーめー!」

 どうやら俺は、晴明側の応援席に来てしまったようだ。いや、この内裏に集まった貴族連中は、ほとんどが晴明を支持していた。

 二人は、箱の中のミカンの数を当てるといった腕比べを続け、戦いは長引くばかりだ。

 俺はどうにもノドが渇いて、持ち込みの酒を飲み始めた。へんな虫(酒虫)から出てきた乙な味の自家製ドリンクだ。

 玄人好みの戦いを繰り広げる二人を見ていると、どんどん身体が熱くなる。中途半端な修行で無為な青春を謳歌している俺に、この試合は胸に迫るものがあった。

 俺は内裏であるのもかまわず、服を脱いで両者の応援を始めた。

「どーまん! せーまん!」

 俺の熱気が伝わったのか、周りの貴族たちも道満殿への声援を混ぜはじめた。

「どーまん! せーまん!」

「どーまん! せーまん!」


 勝負の果てに、道満殿がこんなことを言い出した。

「よし、次はあの半裸の男に憑いた蠱を仕留め競おうぞ」

「ほう、道満どのは彼が蠱に魅入られていると?」

 俺は随身ずいじんどもに両脇を抱えられ、試合会場の真ん中に引き出された。

 道満殿は、しゅをもって俺の身体から蠱を引きずり出そうとする。

「どうだ、虫は出ないか」

「やめなされ、道満どの。彼の体内に蠱はいない」

「なんだと。しかしこの禍々しさは」

「彼そのものが蠱なのです」

「なんと」

「昨日もこの者、神饌をぼりぼり自分で喰らっておりました。なかなかの悪食ですが、いずれ人を食いましょう」

「では殺すか」

「それは可哀想。この晴明が預かります」

「なるほど、人を食ったようなお前のことだ。たやすく飼い慣らせよう」

 おいおい変な話になってきちゃったぞ。

 俺はするりと随身の縛めから抜け出し、全速力で走り出した。

「待て、虫!」

 逃げる。逃げる。

 足がもつれて盛大に転んだと思った瞬間、目が覚めた。


「変な夢を見たなあ」

 俺は自分が寝台の上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。


《終》

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蠱毒のグルメ ~夢見る毒虫~ モン・サン=ミシェル三太夫 @sandy

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