第2話 中務省の三方ランチ

 サークルのミーティングはあっさり終わった。怨霊が増える夏までは、それぞれの個人研究に専念したいとのことだった。

 俺も蠱を使役していることは秘密だったので、適当に理解ある幹事のふりをしてお開きにした。部室で財布がなくなったら俺が疑われてしまうからな。


 俺はさして空腹ではないが、はやくも蠱のほうが飢餓を訴えている。腹の虫が鳴くとはこのことだ。

 大内裏のなかで済ませてしまおう。できるだけ人気のないところを……と陰陽寮のほうへ進む。

「陰陽茶屋カフェ?」

 なんだこりゃ。ニュースで見た気がするが。

 まだランチタイムな店はここくらいだから、とりあえず入っておこう。

「っしゃい」

 狩衣姿のオヤジが、ぶっきらぼうに俺を出迎えた。

 黒い布をかけたカウンターに座ると、妙な雰囲気の青年が茶を出した。こっちも狩衣姿だが、妙に艶っぽい色白の男である。そでの紐の色からして、若くはないはずだが。

「こういう店ってのは……もともと中務省とかのインテリが片手間に経営してるんだよなあ」

 ってことは、彼も末は博士か頭になるのだろう。

「おい! 晴明、札を下げておけと言っておったろう」

 オヤジが怒鳴った。

 呼ばれた青年は、鷹揚に水時計の目盛りを見て、「失礼しました、賀茂殿」と悪ぶれもせず頭を下げる。

 どうやら休憩時間に俺は潜り込んでしまったらしい。

「また来ましょう」

「いいんですよ、まだ。ご注文どうぞ」

「そうですか。ええと、じゃあ」

 俺はテーブルの竹簡を手に取った。メニューを何度も書き換えたのか、削られすぎて薄くなっている。

「山のもの、海のもの、野菜、果物、なんでもありますよ」

「じゃあナスと貝のセットを」

 神饌しんせんで毒気のあるものといえば、それくらいしか思いつかない。

「はい、三方さんぽうランチ」

 カウンターに座っているのは俺だけで、ほとんどの客は御簾みすで仕切られた個室に引きこもっていた。

 下男どもが邪魔で見えないが、陰陽ブームでやってきた若い女性ばかりのようだ。

「上流階級向けの『陰陽五行説』も、今じゃすっかりサブカル扱いかぁ。庚申御遊こうしんぎょゆうだの、方違えにかこつけたお泊まり会だの、禁忌を楽しむってのは苦手だな」

 ランチのお札を取り込みに出ようとして、例の従業員がまたオヤジにどやされる。俺の注文ができあがったので、そっちを優先しろってことだ。

「お待たせしました」

「うわあ、さすが神様の食べ物。人の食えるものじゃないなあ」


強飯こわいい

  こしきで蒸した飯。ねばりがなく、とてもカタい。

【ナス】

  まるごと山盛り。すごくカタい。

【のしアワビ】

  アワビを削って干して打ち伸ばしたもの。やたらカタい。


 俺は蠱を吐き出して、それを食わせる。

 むぐ、むぐ、むぐ。

 しかし、おだやかな給餌のひとときも、またもや厨房のやりとりで台無しにされた。

「おい、禊ぎはいいから、先に祝詞の準備。あと、式神」

「しかし紙がないようです」

「なにィ。じゃあ式神を飛ばせないだろ。注文どうするんだ」

 オヤジは嘆息する。

「晴明よぉ、狐に育てられたかなんだか知らないが、人間の世界はそんなテンポじゃやってけないぞ」

「は」

「歳の割に出世が遅れて、そりゃ大変だろうけどな」

 大変なのは、間近で説教を聞かされるこちらのほうだ。

 ばん。

 俺は銅銭を祭壇にたたきつけた。

「人の蠱が食ってる前で、怒鳴らなくていいでしょう。蠱は騒がしいのが嫌いなんだ」

 蠱をくっつけた金を拾えば、そいつに蠱が嫁ぐ。餌のやり方を知らなかったら、蠱に食い殺されるのはオヤジのほうだ。

「なんだァ、あんた文句あるのか」

「ある。あんたは客の気持ちがわかっていない。蠱に餌をやってるときはね、誰にも気づかれず、隠秘で、なんというか魅入られてなきゃダメなんだ。独り厳かで豊かで」

「なに邪悪なこと言ってる。出て行け左道の輩」

 オヤジが二本の指で印を切ろうとするのを俺はかわしざま、扇を広げて顔を打つ。

「があああ」

 扇が顔にはりつき、オヤジがもがき苦しむ。

「おやめなさい」

 俺をとめたのは、あの従業員だった。あれだけ文句を言われ続けて、まだオヤジに忠義立てするのか。

「それ以上はいけない」

 くそっ。

 俺はしぶしぶ扇をたたむ。


 蠱を回収して店を出たはいいが、あの男の顔が記憶から離れない。

 はぁ。

 あの目。

 俺を値踏みするような目、どこかで……。

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