エピローグ(02) 行けるはずさ、もっとずっと先に


 * * *


 しばらくしてハレンが出てきて、三人でエントランスホールへ向かった。

「しかし処分が軽くてよかったなぁ……お前はそこまで計算してたのか?」

 カノフが杖をつきながらハレンに尋ねる。

「だから自分一人が悪いようにしようとしたのか? いやぁ……悪い奴だな!」

「少なくとも『探求者』を辞めさせられることはないって、わかってたから」

 ハレンは答える。

「パパは優秀な『探求者』なら辞めさせるべきじゃないってよく言うの」

「……つまりお前は、自分が優秀な『探求者』だと思ってるのか」

 それを聞いて思わずアークは呆れてしまった。その自信がうらやましい。

「少なくとも誰よりも速く飛べるとは思ってる」

 ハレンは正面を見たまま、いつもの様子で言った。それは事実だったな、とアークは思った。それから、とアークは思って口にする。

「あとお前はやってみたら何でもできると思ってる……ほんと、自分のこと、過信してるよな」

「うん……でも、いまはもう、そうは思ってない」

 廊下に人の姿はあまりない。窓から差し込む日の光が眩しかった。穏やかな日だった。鳥のさえずりが聞こえた。と。

「――ドラゴンのことは、勉強になった」

 ハレンは、唐突に話し出す。

「結構、怖かった。それにパパも驚かせすぎちゃったみたい」

 ハレンのさえずりのような声は、いつもと変わらない。話す様子も、普段と変わらなかった。

「ママでも倒せなかったドラゴン……もし出会っても、やってみれば倒せるかもって思ってたけど……ずっと怖かった。動けなくなっちゃってた……でもね、二人がいてくれたからまた動けたの。カノフが頑張ってて、アークも臆病だったのに頑張ってて……だから、私も戦えた。二人が頑張ってるから、私も頑張らなきゃって思えたの」

 アークとカノフは黙ったまま、ハレンの話に耳を傾け続けた。彼女は続ける。

「で、勝てた。ありがとう。パパも……私がドラゴンを倒して、もしかすると少し安心したのかも。正体は、ゴーレムだったけど。でも、ドラゴンの姿をした敵に、勝てたの。だからといって本物のドラゴンが出てきたら、すごく困るけど……でも、なんていうか、ちょっと、乗り越えられた気がするし……もうちょっと考えようって思った。無謀と勇敢は違うから……アークにあれこれ言ったけど、私も気がついた」

「……礼を言うのはこっちだって」

 と、思わず笑いながら、アークは立ち止まった。そして、再び礼を言う。

「……あの時お前に諭されてなかったら……俺は止まったままだった。怖いからって、どこにも行こうとしなかった……」

 あの時戦えたのは、間違いなくハレンのおかげなのだ。カノフがドラゴンに襲われそうになった時、何かやってみようと思えたのは、彼女の言葉のおかげだった。

 そして、ドラゴンと戦えたのは、先に進めたのは、ハレンのおかげだけではない。

「カノフも……ありがとな」

 アークは兄と向き合った。

 ちゃんと憶えていた。

 ――俺はただ、お前の背中を押してやりたかっただけさ。

「俺に自信を取り戻させるために、あの島へ行こうって言ったんだろ? 俺に何か、成し遂げさせようって思ったんだろ?」

 兄があの時何を考えていたのか、あの島から帰ってきてやっとわかりだしていた。

「荒治療だったけどな。無茶したぜ……結果、これだ」

 カノフは笑いながら、包帯を巻いた足を見下ろした。しかし顔を上げれば、

「でも……成果がゴーレムといえどもドラゴンの姿をした奴の討伐に、謎の石像だ。本当にあの時あの判断でよかったと思ってる……お前も、自信を取り戻してくれたみたいだし……心配してたんだぞ、『探求者』になって、お前がネガティブで臆病になっちまって。俺も、アクアリンだって」

 アクアリン――そもそもあの『旅島』を見つけたのは、アクアリンが提案したレースでのことだった。アクアリンは、自分にハレンともう一度勝負する機会を作ってくれたのだ。

 カノフはアークの目を覗き込む。その表情は、大切な家族に向けるもの、そのものだった。

「なあアーク。お前は気付いてないのか、忘れたのか、わからないけど……お前は一人じゃないんだぞ。仲間がいる。もっと自分に自信を持ってよかったし、悩んでいる時は仲間を頼ってよかったんだぞ? ……よく憶えておけ。お前は、一人じゃないんだ。たとえこの先、一人でできないことがあったとしても……仲間がいれば話は別だろ?」

 ――一人じゃない。

 瞬きをして、アークは気がついた。

 どうして自分は、そのことに気付かなかったのだろうか。ハレンに負けて絶望したこと、自分に自信をなくしたことを、誰にも相談していなかった。何もできないと思っていた。何も。

 けれども仲間がいれば、なんて考えたこともなかった。

 ひたすらに、こもってしまっていたのだ。自分はちっぽけだ、と。

 そうだった。自分はちっぽけかもしれない。しかし――仲間がいたのだ。

 そして仲間がいたからこそ――ドラゴンもどきを倒せた。

 ハレンがいたからこそ、あのゴーレムを倒せたのだ。

 そしてハレンからしてみれば……自分がいたからこそ、ゴーレムを倒せたわけで。

 一人ではない。一人ではできないことも、皆で力を合わせれば。

「……ごめん」

 切実に申し訳なくなった。目頭が熱を帯びて、アークは俯いた。

「俺……いつも一人で必死だった。無意識に……一人だと思ってたみたいだ。でも、そうだった。仲間がいて、任務の時やそれ以外でも、いつも助けてもらってた……」

「……そしてお前も、いつも誰かを助けてた」

 顔を上げれば、笑顔の兄と目が合った。同じ色の瞳だった。

「アーク、困った時は、頼ってくれよな。それから……俺が困った時は、助けてくれよな?」

「……そうする。これからはもっと、そうする」

 目はまだ少し潤んでいた。それでもアークは、兄に笑い返したのだった。

 それから再び歩き出して、三人はエントランスホールまでやってきた。

 騒がしいと思ったのは、どうやら気のせいではなかったようだ。耳を澄ませば、話が聞こえてくる――謎の石像。素材を調べるよりもその姿、特徴について調べてほしいということ。まだあの島には同じような石像があるかもしれないから、もっと多くの『探求者』を探索に回そうという話。そして――あの種族こそが『彩の文明』を築いた種族なのではないか、という話。

 やはりあの石像は『旅島』にいた種族を象ったものなのだろうか。あの石像の姿を、アークは思い出す。自分達に似ていた。しかし背中からは直接鳥の羽が生えていた。『叡智の書』の翼とは、大きく違った翼だ。

 ――この空のどこかで、あの石像の種族がいまもどこかにいるのだろうか。

 つと、アークは窓の外を見た。日の光が眩しく、空の透明な青さが美しかった。そこを、魚の群れのようにいくつもの『旅島』が浮いている。

 ――いつか、会えるだろうか。

 きっと、出会うまでにはいくつもの危険に遭遇するだろう。簡単なことではないはずだ。

 しかし会おうと思えば、いつか会える気がした。

 どんな困難が待ち受けていたとしても――自分は一人ではないのだから。

 そして可能性は、ある。小さな可能性だったとしても、信じれば、一つの可能性となる――。

「――サジトラ! それにピッセも!」

 と、カノフが入り口に向かって手を振った。そこにはサジトラとピッセの姿があった。こちらに気付けば、二人は向かってくる。

「ああ、カノフ、アーク……それからハレン。処分は……どうなったんだ?」

 サジトラは心配そうな顔をして三人に尋ねてきた。だが全員の胸にまだ『探求者』証があることに気付くと、それを指さした。

「……誰も資格剥奪されてないし、降格してない!」

 カノフが自慢げに笑った。

「聞いて驚け……なんと、二十日間の謹慎処分になった……それだけだったよ」 

「……本当に?」

 サジトラは驚いて目を見開いた。だがそれも一瞬だけ。次の瞬間には、顔をしかめて、

「……ちょっと待ってくれ。軽すぎないか? どういうことだ? 何が起きたの?」

「詳しい話は今晩の夕食にでも話すさ」

 アークもそう笑った。続けて、首を傾げた。

「それで、サジトラとピッセは、何しに来たんだ? 本部に何か用事でもあるのか?」

 尋ねれば、サジトラが悲しそうな笑みを浮かべた。そして口を開こうとしたものの、ピッセがまだ動く方の手で遮った。そして、

「――俺が『探求者』を引退するから、その話をしにきたんだ」

 ――ピッセは、『探求者』章も青いジャケットも、また『叡智の書』や『叡智の筆』も身につけていなく、私服姿だった。丈が長く薄い上着を肩に掛けるようにして羽織っていて、もう動かないと言われた腕は、すっかり隠れてしまっていた。

「引退……」

 アークはその話を、正式な処分を待っている数日の間に、ピッセ自身の口から聞いた。ピッセ自身が、ネストの全員に話したのだ――片腕が動かなくなった。『探求者』を引退するかもしれない、と。このまま続けるのは、無謀かもしれないから、と。

「引退……本当に、するのか」

 あのピッセが、辞めてしまうなんて。信じられなかった。もう二度と、彼と一緒に空を飛んだり、探索へ行ったりできなくなるというのか。それどころか『探求者』を辞めるということは、ネストからも出て行ってしまうということか。

 一緒に、初期探索任務に、行きたかったのに。

「――『探求者』、引退しちゃうの?」

 事情を何も知らないハレンがピッセを見上げた。「お前がハレンだな?」とピッセは笑った。

「そうだ、引退するんだ……探索の時に、腕に大怪我を負ってな。動かなくなったんだ」

 ピッセはまだ動く方の腕の手で上着をめくり、動かない腕を見せた。

「嫌な話かもしれないが……もうどうにもならなくてな。『探求者』を続けるにしても危険で無謀だからな……本当は続けたかったが、受け入れるしかなかった。俺は腕を失った。この状態で『探求者』を続けるのは、俺には無茶だって」

「……諦めちゃうの? でもまだ……飛べるんでしょ?」

 ハレンはまるで子供のように言う。それ以上喋るのを、アークは遮ろうと思ったが、

「諦めも必要なんだ」

 ピッセは、微笑んでいた。一つも、気を悪くしたような様子や、苦い表情を見せず。

「やればできるかもしれないとは思ったが……俺は全能じゃなかった」

 その話が自分自身のことに似ていて、アークは口を固く結んだ。

 ハレンもピッセの腕を見ている。ピッセは続ける。

「しかしまぁ、ここまで来るのは大変だったぜ。なかなか諦めがつかなかったんだ。でも、こいつに諭されてなぁ」

 と、動く方の腕の肘でサジトラをつく。

「『やめたらもう何もできないって思ってて、それが怖いんだろう?』ってさ。言われて気付いたけどその通りで……でも本当にそうなのかって思えたんだ。腕を失い、翼も失うことになった俺は、果たして本当に何もできなくなっちまうのかって……そう思ってたけど、本当にそうなのかって」

「それで……どうするんだ?」

 アークも子供のようにせかした。

 知りたかった。ピッセが掴んだ光を。するとピッセではなく、サジトラが、

「それでまずは……『探求者』を引退することにしたんだ。このままいても、どうしようもないからね。で、その次のことは、その後で考えようってなったんだ。そうしたら、見えなかったものが見えてくるかもしれないからね」

「ま、死んじゃいない。何かしらまだできるかもしれない。何かやれるかもしれないからな」

 ――何かやれるかもしれない。

 ピッセは「新たな可能性」が見つけられる可能性に、気付いたのだ。

 ――失敗しても、やり直すことはできる。

 ――けれども、取り返せない失敗も、時にはある。

 だが――別の道も、別の可能性も、あるのだ。

 その表情は明るかった。

「何か、見つけられるといいね。探せばきっと、何か見つけられると思う」

 ハレンに言われて、ピッセは笑う。

「ああ、そうだな……何かしら、できることはあるはずだ」

 ピッセは腕も失い、これから翼も失う。

 ――しかし全ての可能性を失ったわけではないのだ。

 ――人は、何でもできるわけではない。それは叡智を手に入れたとしても。

 だが何かができるという可能性は、皆にあるのだ。


 * * *


 本部奥へと進んでいくサジトラとピッセと別れ、三人は協会本部から出た。

 二十日間の謹慎処分。それは短いようで、長い。かと思えば短い。

 とはいえ、退屈になるのは、間違いないだろう。

「でもあの石像、本当になんだったんだろうね」

 ネスト街へ向かう中、ハレンが思い出したように口にした。

「もうちょっと、あの島でいろいろ調べたかった」

「おいおい、あんな目にあったのに」

 カノフが苦笑いを浮かべる。けれどもハレンは、空を見上げて、

「もっと経験を積んで強くなったら、きっともっと先にいけるはず」

「……そうだな」

 だからこそ、よい『探求者』にならなければ――そう思い、アークは力強く、頷いた。

 そうして、未知のものをもっと発見していけば、いつの日にか、あの石像の謎も解けるかもしれない。自分自身で。この目で空に隠された謎の真相を、見ることができるかもしれない。

 ……だが、やろうと思えば、何でもできるわけではない。

 あの石像の謎、『旅島』に住んでいたかもしれない種族についての謎が解けるのは、もしかすると数十年後、いや数百年後になってしまうかもしれない。人々が『旅島』に立ち入るようになって数百年。ここでやっと、あの石像を見つけたのだから。

 一時期は何でもできると思っていた。けれどもそうではないのだ。

 しかし、それを知っているからこそ。やってみようと思えるから。

 そして、一人ではないから。

「行けるはずさ、もっとずっと先に――」

 風に、頬を撫でられる。

 ふと、声が聞こえたような気がして、アークは立ち止まった。

 見上げたのは青い空だった。

 どこまでも青く、どこまでも続いている。自分が本当にちっぽけに思えてきてしまう空。

 それでも――行くのだ。やってみようと思えるから。空に呼ばれているから。


【エピローグ 『探求者』達は空を見上げる 終】

【コール・オブ・スカイ 終】

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コール・オブ・スカイ ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya

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