女ヲタからみた女性アイドルの楽しさ
アイドルの楽しみ方は人それぞれだ。
歌やダンスが好きという人間もいれば、彼女たちが可愛い格好をしているだけいいという人間もいる。
その立ち居振る舞いや性格に惹かれるという人間もいれば、ただ夢を追っている姿に憧れるという人間もいる。
アイドルの楽しみ方に貴賤はない。
顔が好み、大いに結構。体が好み、大いに結構。
明るい性格が好き、大いに結構……といったところである。
中にはその人しか理解できない部分を好きになっているファンも多い。
それでも、アイドルファンをやっている人間は大抵楽しそうである。
誰にも理解されずとも、自分しかわからない部分を推していようとも、楽しそうなのだ。
そして、実際、楽しい。
物心ついたときから、女性というものに並々ならぬ興味があった私は、色んな場所で女性をみつめてきた。
その中でも、女性アイドルをしている女性ファンの面白さは限りない。
なぜ、彼女たちはあんなにも楽しそうで、あんなにも面白いのか。
私なりに考えたことをつらつらと書いていきたい。
女性アイドルのファンは多くの場合、男性である。
男性が女性アイドルを好きになる、応援するとき、その心情はどのようなものだろうか。
「この子、可愛いなぁ。付き合えたら嬉しいなぁ」というものが多いだろう。
つまり、男性は女性アイドルを応援する場合、多かれ少なかれ「理想の女性像」を反映して推しを決める。
理想の部分は何でも良い。
顔でも体でも性格でも、何でも良いのだ。
ただ「こういう女性がいたらいいなぁ」という願望が透けて見える。
それに対して、女性のファンは女性アイドルという人間そのものを楽しむ。
もちろん、男性ファンと同じように、自分の理想とする女性像を投影する人間もいる。
しかし、女性アイドルを長く楽しめる人は、どちらかというと、アイドルを“ひとりの人間”として楽しんでいる。
彼女の顔が好きなわけでもない。
彼女の体が好きなわけでもない
ただ、その人間性が面白くてしょうがない。
そういう世界が、女性ファンの中には確かにある。
とはいえ「ひとりの人間としてアイドルを楽しむ」と言われても、ピンと来ない人も多いだろう。
そのため、もう少し噛み砕いて説明していきたい。
まず、忘れてはならないのが【かわいい女の子をたくさん見れる】という点だ。
女性がかわいいもの好きだというのは議論に値しない。人間誰しも美しいものやかわいいものが好きだろう。
女性アイドルを推すという点で、この部分は非常に満たされる。
数行前に「彼女の顔が好きなわけでもない」とは書いた。
書いたが、これは最低限見れる顔だという前提に成り立っている。
女性ファンは、顔が一番好みのアイドルを推すわけではない。(顔が好みすぎて推しになることはある)
「顔は〇〇が好きだけど、推しは〇〇かな」
「推しは〇〇だけど、顔的には〇〇が一番好き」
このような会話は女性ファンだったらよくあることである。
女性はキレイなものを否定しない。キレイも可愛いも、きちんと評価する。
評価した上で、推しを決めるポイントは別のことがほとんどなのだ。
アイドルは基本的に顔がいいので、それも当然だ。
中には「え、アイドル?」というような人間もいるが、不思議と、アイドルをやっているうちに洗練されて容姿に磨きがかかる。
長年女性アイドルのファンをやっていれば、そのような場面は海千山千見てきた。
そのたびに、プロデューサーの人を見る目に深くうなずかされてきたものだ。
もちろん、幼いころにデビューして「可愛くなる!」と思った子が可愛くなったら、ファンとしても鼻高々である。
自分はその成長になんら影響していないのだが、「私が育てた」と言いたくなるのも、小さい頃からアイドルを推してきた人間独特の観点だろう。
アイドルは可愛い。
そのうえ、今どきのアイドルはすべてコンセプトや世界観がある。
歌に力を入れている子なのか、ダンスに力を入れている子なのか、トークに力を入れている子なのか。
それぞれが、それぞれの目指す世界があるのだ。
ファンはその世界観に同調して、応援する力を高めていく。
熱の入ったファンほど、今までのアイドルを逐一知ろうとする。
知れば知るほど応援したくなる好循環に入ったら、推しアイドルへの道まっしぐらだ。
ちなみに、私はあるアイドルのファンだったときに、シングルがカレンダー代わりだった。
「〇〇が発売されたのが、2009年9月だから、絶対に試験に落ちれないと思って頑張ったわー」という具合だ。
シングルの発売日をすべて暗記していたので、その間何があったか、思い出しやすかった。
このようにハマればハマるほど、生活に密着してくるのがアイドルの恐ろしさである。
次に、グループアイドルでは【女性アイドル同士の絡みが見れる】という点をあげたい。
ひとりの人間を楽しむためには、必ず比較対象の人間が必要である。
その人単体で憧れを維持できたり、無条件に楽しめるようになったら、それは余程しっかりプロデュースされているに違いない。
女性アイドルは、一人だけで扱うと個性が埋没しやすいと私は感じている。
女性の本質というものは、基本的に表に出ることはない。
誰かと一緒のときに初めて、その人らしい個性が出るのだ。
「女は生まれながらの女優である」なんてことを言ったのは誰だったか。この言葉には本質的な部分が含まれている。
女性は男性に比べ、間違いなく装うことを得意としている。得意な人間になれば、女優さながらだ。
これは女性が求められる役割が多いことが関係しているのだろう。
小さいときは、可愛らしい女の子を求められ、恋人には良い女を求められ、結婚すれば良い妻を求められる。子供ができれば母親になる。
その役割で求められるものはそれぞれ違う。
男性は男らしさという枠はあっても、それぞれを使い分けるように要求されることは少ないだろう。
仕事場でも家庭でも、男性はそのままで許される。
反対に女性は、仕事場でも家庭でも、そのときに合わせた自分を作るのだ。
これは良い、悪いではなく、そういう性質なのだと思う。
女性は求められたものに基本的に応えようとする。
そして、装うことが上手な女性たちは、その立場によって求められる装いをまとうことができるのだ。
得手不得手はある。その状況にあわせて完璧な女性を演じることができる人間もいれば、疲れる人間もいる。
しかしアイドルを夢見る女の子は、基本的にこの装いが上手い。
上手ければ上手いほど、男性は女性が装っているの気づくことはない。
では、この上辺に気づくのは誰か――それは同じ女性である。
女性は、演じること装うことに敏感だ。
その女性が、その場だけを演じているか、わかってしまう。
小さい頃から演じる女の子に囲まれているのだ。
自然と嗅ぎ分けられるようにならなければ、女性の世界では生きていくのが不自由になる。
不自由というのは、大抵、不利な立場に立たされるということだ。
そのため、女性は演技や装いに敏感になり、自分が足をすくわれないようにする。
そんな女性が、装ってばかりの女性アイドルを好きになれるか。
当然の結果として、大半の女性は嫌いになる。
アイドルとは、基本的に形作られた女の子だ。
求めるアイドル像を見たくて、ファンはアイドルを推す。
男性は作られたアイドル像だろうとなんだろうと気にしない。
女性は作られたアイドル像には、あまり興味がない。
その表面の作られたアイドル像ではなく、表面を形作るアイドル自身に興味があるのだ。
表面がぶりっ子のアイドルだとしよう。
男性はぶりっ子だろうとなんだろうと、可愛ければそれでいいと推せる。
同じアイドルでも、女性はそれではファンになれない。
ぶりっ子アイドルのファンになる女性は、ぶりっ子の部分ではなく、ぶりっ子を続けられることに興味を覚えるのだ。
ぶりっ子は女性のもっとも嫌いなもののひとつだ。
ぶりっ子の女性がひとりいると、その周りの女性にとばっちりが及ぶことが多いからだ。
女性は何より一番それをわかっている。その上で、ぶりっ子を演じる大変さもわかっている。
だから、長く続ければ続けるほど、その体力と根性に驚くことになる。
女性アイドルが“ただの”ぶりっ子なのか、"計算された”ぶりっ子なのか。
見極めることは非常に難しい。
しかし、女性アイドルが確実にキャラを考えなければならな時がある。
それは、他の女性アイドルがいるときだ。これは繊細な問題なのだ。
女性は被ることを嫌がる時が多い。おそろいだったらいい。だが、キャラが被るのは絶対的に嫌がる。
ぶりっ子キャラが二人、揃ってしまったらどうなるだろう。
二人は瞬時に自分と相手のキャラの濃さを計算する。
どちらがぶりっ子キャラとして認識されているか、ここでぶりっ子キャラを演じたほうがいいのか、譲るのか。
どれが最適解か、彼女たちは選ぶことになる。
これにより、キャラが被ることなく、新しい彼女が見えてくる。
この瞬間が面白い。本人たちの性格が垣間見える。
絶対引かない子なのか、引いてからかう子なのか、知らんぷりする子なのか。
何が見えてくるのか、それだけをワクワクして見つめている。
つまり、女性ファンは集団で空気を読めるアイドルが大好きなのだ。
最後に【女性の本質がみれる】ことだ。
女性ファンが一番美味しく味わえるのは、この部分だと思う。
前にも書いたように、女性ファンは女性アイドルの演じている部分じゃなくて、その中身に興味がある。
では、アイドルの本質的な部分が一番見えるのはどこか――恋愛である。
アイドルではタブー視されやすい恋愛だが、玄人の女性ファンになると、これさえ楽しめるようになるのだ。
女性は基本的に恋バナが大好きだから、それも関係してくる。
まず、どんな男を選んだか。
これは良くも悪くも、女性の本質がでる部分である。
好みというのは、どうしようもない部分がある。好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いなのだ。
どういう男を選んだかで、その女性自身の好みが如実に現れる。
不思議と男性でそういうことは少ない。男性が最終的に選ぶ女性は定型化しているに近い。
つまり「若い美人」だ。
中身がどんなんであろうと、男が選ぶ女は最終的にそうなるのだから、人間本質は変わっていないのだろう。
女性の場合は違う。
相手に求めるものがわかりやすく出る。
大別すると2つだ。面倒を見てくれる人なのか、面倒をみないといけない人なのか。
これにより、女性アイドルの意外な一面をしれたりする。
ぶりっ子で、色々してもらいたいようなキャラを作ってるけど、実は世話好きなんだろうとか。姉御肌だけど、甘えたいんだろうなとか。
まぁ、すべては想像のものだが、女性ファンにしてみれば、そういう想像をめぐらせるのも楽しいのだ。
さらに、突っ込んだことをいえば、スキャンダルの発覚時の行動がいろいろ物議をかもすことになる。
スキャンダルが発覚して、頭を丸めたアイドルは記憶に新しい。そのとき様々な視点から意見が出された。
それほどセンセーショナルだったのだ。
私個人としては、ショックだった。
恋愛スキャンダルなんて、誰でも起こすものだから、謝ればいいのだ。
わざわざ頭を丸める動画を放映する理由がどこにあるのだろう。
誰も望んでいないことをする必要はない。それは多くの人にトラウマを作るだけだ。
まとめるとしよう。
女性アイドルは楽しい。それは、普段女性が隠している部分を垣間見ることができるからだ。
女性ファンは、女性アイドルの人間性そのものを推している。
言い換えれば「生き様」を推しているのだ。
頂点に登るためならなりふり構わないのか。
あくまでマイペースで生きていくのか。
恋愛で道を踏み外すのか。
強烈な個性が、強烈な人生を生む。
それをじっと見ていられるのが「女性アイドル」というコンテンツなのだ。
これほど、面白く、興味深いものはほぼない。
人間観察にはぜひ女性アイドル観察をおすすめしたいと思うのだ、どうだろう?
end
アイドルの不作法 藤之恵多 @teiritu
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