安らぎの時―エピローグ―

 ヨルベはクラースの森にある真新しい墓の前で、目を閉じて祈っていた。墓前には多くの花束が供えられている。

 彼女の背に一つの足音が近づいてくる。足音には、もう一つ違う音が含まれており、杖をついて歩いているのは明らかだ。


「あなた……」


 ヨルベは振り返ると、ゆっくりと歩いてくるミササギの姿を見つけた。杖を持っていない手には花束を持っている。駆け寄ろうしたが、ミササギは身振りでそれを制した。


「よく、ここまで来れたわね」

「馬車で森の入り口までは来れるからな。どうしても、お参りをしておきたかった」


 ヨルベがいたのは、タタウ=クストスの墓前だ。

 ミササギはそこまで来ると、ヨルベに杖を渡し、墓に向かって手を組んで祈りを捧げた。しばらくして目を開けてから、墓に花束を置く。

 ヨルベから杖を受け取ると、墓に深く一礼してその場から去り始めた。ヨルベもその横に並ぶ。


「大丈夫なの?」

「体も魂も、時間をかければ元に戻る。不安に思うほどのことではないよ。その、二日間眠り続けていたのを見ていた身としては、そう思わざるを得ないのかもしれないが」

「ええ、その通りよ。むやみに歩かないで」


 ヨルベはずっとミササギのことを看病していたと、セセラギから聞いていた。目覚めた時も、最初にミササギが見たのは嬉しそうに泣いている彼女の顔だった。


「あの人は、お墓さえないのね」


 こぼすように、ヨルベは言葉を口にした。


「オルド殿のことか?」

「ええ、だって森の奥にある彼の墓は本当の意味での、彼のお墓ではないわ」

「そうだな。だが、だからこそ、私たちが彼のことを魂に刻んでおかなければ」

「そうね……」


 そこから、二人の間に沈黙が流れたが、


「もう帰るのか?」


 唐突なミササギの問いにヨルベは一瞬、歩みを遅めた。


「そうね。古くからの家臣がよくやってくれているけれど、そろそろ領地に戻らなければならないわ。あなたも目覚めたことだしね。ザエが成人するまで、私が領主として頑張らなければ」


 ヨルベは地方領主だ。今回の事件に巻き込まれたことも領地に帰ることができなかった理由の一つだろうが、何よりもミササギが目覚めるまでは帰るつもりがなかったのだろう。

 ミササギはしばらく何も言わなかったが、止めている馬車が見えてくると、歩みを止めた。


「すまなかった」

「何を」

「君は今回のことで本当に苦しんだと思う。ずっと私との約束を守ってくれた。そして、私が気を失ったばかりに、君の手をさらに煩わせてしまった。本当に申し訳ないと思っている」


 ミササギはヨルベに頭を下げた。水色の髪がさらさらと動く。


「君は本当にいいのか? 将来、こんな男と一緒になるということで」


 それを聞いて、ヨルベは腕を組んで不満げな顔をした。


「ミサギ、あのね。人には言って良いことと悪いことがあるわ」

「えっ?」


 聞き返したミササギに、ヨルベは腕を振り上げて見せた。

 ミササギが身を固めた次の瞬間、ヨルベは彼に抱きついていた。体力が戻りきっていないミササギは、驚きながらも杖を支えにしてそれを受け止めた。


「ねえ、私。あなたのことがいつから好きだと思う?」

「えっ?」

「この前話したばかりよ」

「……え?」


 ヨルベは体を少し離すとミササギの顔を見上げた。ミササギは戸惑ったまま、見返してくる。

 その顔を見て、彼女は呆れたように息を吐く。


「あなたって、変なところで抜けてるわよね。そういうところも含めて好きだけれど」

「……」

「私はあなたが好きだから、あなたの約束を守っただけ。だって、あなたは今まで約束を破ったことがないもの。実際、こうしてまた会えたわけだし。だから」


 ヨルベはもう一度抱きついた。目を閉じて、彼がそこにいることを確かめる。


「守りなさい。一度私と結婚すると決めたのだから、その約束を。破ったら許さない」


 ミササギはその言葉を聞いて、ヨルベに視線を落とした。空いている手で、桃色の髪をなでるように優しくすく。


「ありがとう」


 そのまま微笑むと、髪をすいていた手を彼女の背に回して抱きしめようとしたが、途中で何かに気づいたように手を止めた。そして言う。


「シルワ、出てこい」

「ふえぇっ、は、はい!」


 ヨルベが慌ててミササギから離れ、声のした方に顔を向けると、そこには木陰から出てきたシルワがいた。


「え、えっと、その、ミサギ様がここにいると聞いたからその、邪魔したら悪いと思って、そもそもどうしてわかるんですか、いやそうじゃなくて」


 顔を赤くしながら、シルワはしどろもどろになっている。その背中を落ち着けるように、彼女の後ろにいたセセラギが優しく叩いた。

 同じように木陰から出てきた弟を見て、ミササギは呆れたように首を振った。


「魂の感知は慣れの問題だから、魂が弱っていても行える。……それにしてもセラギ、悪い弟だな」

「言いがかりはやめて下さい。シルワの言う通り、こちらにいるというから来たんですよ。声をかけようとしたら、話し始めたので悪いかと思いました」


 ミササギはうつむいているヨルベの肩に優しく触れてから、セセラギに近づいた。近づこうとして、バランスを崩しそうになる。杖を突いて体を支える。


「兄さんっ」

「大丈夫だ。そもそもこの体に戻ってから、その日のうちに倒れたからな。体の感覚が掴みにくい、というのもある」


 セセラギは、考えるように眉根を寄せた。


「母さんは、どうしてそこまでに強い魔法を作ったのでしょうか」

「生きてほしかったのだろう、私たちに。現にあの魔法を唱えたからこそ、私もお前も生きている」


 ミササギは考えるように言葉を切ると、再び話し始めた。


「父上には、ある程度のことまでは言おうと思っている。察しのいい人だ。何か勘づいてはいたはず」

「なら、一緒に言ってあげますよ」

「それは尚更不安だな」


 ミササギが笑いながらそう言うと、セセラギも笑みを浮かべた。


「失礼ですね、弟がせっかく申し出ているのに」

「ふ、そうだな」


 ミササギはうなずくと、森を眺めた。すでに日が暮れ始め、森は橙色に染まりつつある。鳴き交わしていた鳥の声も途絶え、森には穏やかな時が流れている。

 そのミササギに、シルワは遠慮がちに近づいた。


「あの。実は、あなたに言いたいことがあるから、ここまで来たんです」

「言いたいこと?」

「はい。あなたは、私はあなたのプロムスではないとおっしゃいました。でも、どうか私をプロムスとして雇ってくれませんか?」


 シルワは、ミササギに真っ直ぐな視線を向ける。


「私には結局、行く当てなんてないですし、せっかくあの方に助けてもらった身だからこそ、魔法をもっと学んでみたいと思っています。……それに、あなたにはお礼をしたいんです。結局、オルド様には何もできませんでしたから」

「私に、お礼?」

「だってあの時、王都の路地で男の人たちから、私を助けてくれたのはあなたですよね?」


 シルワは、あの時と同じ穏やかな目をしているミササギに、確かめるように問いかけた。

 そんなシルワを見てから視線をそらすと、


「さあ、どうかな」


 ミササギは、止まっている馬車に向かって歩き始めた。


「でも、そう。君の好きにするといい」


 後から聞こえた声に、シルワは嬉しそうに笑うと元気よく「はいっ」と答えた。


「行こう」


 ミササギがそう言うと、シルワたちは彼に続いて馬車に向かいはじめた。

 ミササギは横に来たヨルベの顔をうかがうと、その手を優しく握った。ヨルベは驚いたものの、ミササギが笑っていることに気づくとそのまま歩き続けていく。

 横にいるヨルベの温もりを感じながら、ミササギは自分を抜きさったセセラギとシルワを見ると、森の向こうにある王都と王城を思い浮かべた。


 今日訪れた王城とそこにいる人々。王都とそこにいる人々。そして今共にいるシルワ、セセラギ、ヨルベ。彼が守りぬいたものは、こうして今存在している。


 きっと、ミササギがこれからやらなければならないことは多くある上、それらを成し遂げることは簡単ではないだろう。事件の後処理も完全に終わったわけではない。

 しかし、今のこの一瞬、この安らかな一時を大切にしても罰は当たらないに違いない。それくらい、も許してくれるだろう。



 ミササギは魂から安らぎを感じながら、彼らと共に森の小道を歩いて行った。その背に、木々の間から差す柔らかな夕日が光を当てていた。










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the Last Lot ラスト・ロット ―水色の死神と過去の継承― 泡沫 希生 @uta-hope

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