愁いを知らぬ鳥のうた「丸鶏の蒸し焼きセムタム風」
トゥトゥは真剣にアムの目を見ている。
アムはトゥトゥに見つめられると、どうにも落ち着かなかった。
自分の言葉の意図を真剣に考えてくれていることは重々伝わっているのだが。
「わかったわかった。おい、白いの」
銛を脇に投げ捨て、腕を腰に当ててトゥトゥは続ける。
「おまえ、メシ食ってないんだろ」
歯をカタカタと打ち鳴らして
「父上が最近とみにご機嫌悪しく、風をも吹かせぬお心積もりだからな」
「提案する。俺たちがその鳥を料理して、お前に捧げてやる。だから、島まで連れて行け」
「あのうトゥトゥ、捧げてやるって何」
トゥトゥは顔の前で手を振った。
黙ってろ、というセムタム流ジェスチャーである。
「後でな」
そうトゥトゥが言ったので、アムは項垂れた。
アルマナイマ星に言語学の研究生として赴任してから二年半。
その間にセムタム語とセムタム文化学の論文で博士号は取ったものの、彼らと本格的なコミュニケーションを取るには経験も学識も全然足らない。
そもそも汎銀河系の文明とかけ離れているので、まず意思疎通の部分からして難がある。
アムの常識とセムタム族の常識は違うし、
帆柱の上の
「ドク、網をかけて」
言われるがままアムは網を猛禽の上にかぶせた。
もう鳥は絶命しており襲われる心配は無かったが、可哀想にも感じられる。
空を行く鳥が足で踏まれて死ぬなんて、考えたこともなかっただろうに。
「これで俺たちのものになった」
トゥトゥは言った。
「違えるでないぞ」
トゥトゥは、ふんと鼻を鳴らし、
「メシを作ろう」
そう宣言した。
×
カヌーの上で火をおこす。
船体は燃えづらい
セムタム族の文化では調理技術の発展が著しく、彼らはみな美食家と言ってよい。
アムはこの星に来てから確実に体重が増えた。
筋肉が半分、もう半分はセムタム料理が美味しいからである。
そして「料理を作る」こと、それもまたセムタム族に出来て
トゥトゥが説明してくれたことには、セムタム族から料理を捧げられるということは、
そんなわけで。
「まず血抜きをする」
と言ってトゥトゥは猛禽の頭をすっぱりと落とし、帆柱に逆さにくくりつける。
血も大事な食料だから、下に皿を置いて受けるようにした。
猛禽の体から血が抜けきるまでの間に、トゥトゥは
「それ飛べ」
「命じるでない。馬鹿者」
それでも猛禽の頭を丸かじりしながら勢いよく飛び立った
風が耳元で音を立てる。
五日ぶりに聞いた嬉しい音だった。
「どこまで連れて行ってくれるの?」
「食い物と水のある島までだな。もし間違えやがったらやり直しさせる」
いよいよ血が抜けきったので、アムはノートをしまい、トゥトゥと一緒に猛禽を抱えて沸騰する鍋にぶちこむ。
これが残りの真水すべて。
同じ状況ならアムは怖くなってしまうだろう。
煮えたら今度は羽むしりだ。
むしった羽は取っておき、物々交換の種にする。
セムタム族は貨幣を持たないので、商売は物同士あるいは労働力同士で行われるのだった。
内臓を抜き、開いた腹に香草を詰め込んで蒸す。
海の上に香草があるのか、と疑問に思われるかもしれないが、セムタム族は常にマイ・ブレンドのスパイスを持って歩くほどの香草好きである。
当然、カヌーの上にも香草を入れた壺が常備されているのだ。
塩を使わず魚や肉の臭みを取るのには、香り高いスパイスが適任。
塩分を取り過ぎれば喉が渇き、貴重な真水を減らすことになってしまうから、これまた海洋に暮らす人々の知恵なのであった。
内臓はスパイスをまぶし、部位ごとに串に刺して焼く。
良い匂いが立ち上ったと思ったら
「セムタムの匂いがする」
「これは
トゥトゥが説明する間にも
その度にカヌーがぎしぎしと音を立てた。
羽毛に包まれた背中が興奮でぶわりと膨らんでいる。
「仕方ねえなあ」
串を一本取ってこれは
その時の
小指の先ほどの食事であったろうが、明らかに
「うむ、うむ」
と大きく首を振ってから
先ほどよりも張り切った様子の巨体に曳かれ、カヌーは速度を上げて進んでいく。
「
「俺のメシが旨いんだよ」
アムの鼻先に内臓の串が突き出された。
見た目は飾りっけがなく、如何にもグロテスクで、ふと躊躇するような串。
内臓料理はセムタムの十八番であるが、アムはまだ食べるのに勇気を要する。
トゥトゥが、ほれ食え、と言う。
アムは恐る恐るそれを受け取り、意を決してがぶりと噛んだ。
そう、食べてしまえば美味しいのだ。
肉食亀のモツでも魚のハラワタでも。
弾力のある(どこの部位かわからない)内臓はぷりぷりとして、歯に当たると滑らかに弾けて旨味があふれる。
トゥトゥのスパイスは辛口で――いやこれは水がいるんじゃないの、とアムは思ったが、内臓の甘さがそこにかぶさってくると不思議なほど良く混じって美味しかった。
「最高」
アムが素直にそう言うと、
「そうだろそうだろ」
トゥトゥはにやにやしながら、こちらも串をもりもり食べる。
意外なことにトゥトゥはご飯を食べるときだけはお行儀が良い。
「ところでトゥトゥ、あの鳥のうたはどういうことだったの」
「愁いを知らぬ鳥のうた、ってな。俺の育ての親が教えてくれたんだが。本当に効果があるとは思わなかった」
伝統的な狩猟儀式の一環なのかもしれない。
それにしても、
「セムタムが信じてない、信じられないという伝説もあるのね」
「俺にはな」
トゥトゥはセムタム族の中でもはみ出し者の部類であった。
彼の異端な考え方が余所者であるアムを受け入れる素地になったので文句を言うつもりはさらさらないが、ただ、たまに彼の行く末が心配になる。
その時、
「何だ」
と、トゥトゥ。
「小さき者。お前は何を歌っていたと?」
「愁いを知らぬ鳥のうた」
ほんほん、と
「小さき者。お前は――」
ほんほん、とまた
笑っているように思われる。
「――音痴だな!」
「なっ、何だとう!」
トゥトゥは目を剥いて立ち上がった。
背中の長髪が警戒した犬の尻尾のようにぶわりと揺れる。
「空の高みに届いた声、<愁いを知らぬ
「ううううるせえな」
「<愁いを知らぬ
「蒸し返すな
しかし実のところアムはこの時、彼らがどういう会話をしていたのかとんと聞き取れずにいた。
トゥトゥはいきり立って肩を震わせているし、
それで、
「今なんて? トゥトゥが
「聞くな聞くな!」
「歌が下手だと言ったのだ」
「ああなるほど、音痴なのね」
「聞くなったら!」
トゥトゥは地団太を踏む。
鍋が噴きこぼれてアムトゥトゥは慌てて蓋を取った。
見事な猛禽の香草蒸しが出来上がっている。
「旨いもの食って忘れてくれ。頼むから」
「オーケー。そうする。任せといて」
笑う
(了)
アルマナイマ博物誌 愁いを知らぬ鳥のうた 東洋 夏 @summer_east
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