愁いを知らぬ鳥のうた「龍きたる」

 古代地球のツルに似た姿のそのファルはひらりと空中で回転し、カヌーの帆柱に止まった。

 カヌーが重みでぎしりと揺れ沈む。

 細い足の片方が帆柱を、もう片方が猛禽を掴んでいた。

 ファルは純白の鱗をてらてら輝かせ、爬虫類の目で涼やかにカヌーを見下ろしている。

 アムはその個体に<クレイン>とひそかに名付けた。

 長い首に小さな顔。

 鼻先からすっと伸びるのはツルならば口ばしだが、ファルクレインの場合は口吻である。

 威嚇のように打ち鳴らしたその中に、細かい歯がぎっしり並んでいるのが見えた。

 これまた純白の翼は羽毛を持つ鳥に近い。

 パドルを船内に投げ捨てて、トゥトゥが怒気を発する。

「離せよ泥棒。それは俺たちの獲物だぜ」

 クレインは微かに目を細めた。

 不愉快な騒音が聞こえた、という風に。

 小さな流線型の頭のてっぺんで、とさかが威嚇するように持ち上がった。

海の幼子セムタム、お前はまだ手にしていない物を我がものと決めたるか」

「その鳥は俺が呼んだんだよ馬鹿」

 アムは非常にはらはらする。

 馬鹿とは暴言もいいところであった。

 セムタム族とファルは共通の言語を持つ。

 ファルはアルマナイマ星に生息する第二の知性体種族だ。

 この星では二種類の知性体が共生していることになる。

 生態の不確かさと、主に知られる個体が爬虫類に近い外観であったため、アムが論文中にアルマナイマ龍と記したことから、汎銀河系では知性体の通称が「龍」になった。

 むろんセムタムはドラゴンなどとは言わない。

 彼らの正式な総称は「ファル」である。

 そのファルクレインは飛び去ろうとしたが、トゥトゥが銛を構えたので体勢を戻した。

 帆柱の上で翼を広げて威圧する。

 猛禽も大きいがファルクレインはとてつもなく大きい。

 アムはカヌーごとその影にすっぽりと埋もれてしまうほどであった。

 だが恐らくはまだ小さいほうであろうとアムは推測する。

 初めてこの星に来た時、アムが乗ってきた往還機がファルに襲われたのだが、その大きさたるや、往還機に長い胴を巻き付けてまだあまりがあるほどだった。

 ファルクレインが飛行するのを躊躇ったのは、セムタム族が優秀な狩人だからである。

 体格の大きさでは絶対に敵わない。

 力の強さや、ファルが持っている――とセムタム族が信じている神秘的な能力でも絶対に敵わない。

 ただし、セムタム族はファルが持ち合わせない器用な手足で武器を振るうことが出来る。

 彼らの武器はファルの鱗や爪や骨を使ったもので、すなわちファルの外皮と同等かそれ以上の硬度を持ち合わせているので、じゅうぶんにダメージを与えることが可能なのだった。

 ファルは一匹として同じ外見をしたものはいないが、しかしセムタム族は狩人の眼でファルの弱点を暴くすべを身に着けている。

 故に、ファルクレインは飛行の為に伸び切るであろう足の腱や、無防備な首筋、あるいは翼の付け根に銛を突き立てられて、今後の龍生を棒に振る危険性を感じたのだ。

 ファルクレインは小生意気なセムタムをねめつける。

 羽ばたくと突風が起こって、思わずアムは顔を腕でかばった。

「我を害するというなら海の幼子セムタム、容赦はせぬぞ」

「そりゃあこっちのセリフだ真っ白け。俺の獲物だっつってるだろ。置いてけ!」

 ふたりは睨み合う。

「無礼なる小さき者、<挑みの儀>をして出直すがよい」

くたばれバハンガ。手前みたいなのにだれが挑むか。ただの喧嘩だこんなもの」

 ファルクレインの足元で猛禽はぐったりと頭を垂れている。

 頭目を失った鳥の群れは混乱をきたし、カヌーを中心に円を描いて回り続けていた。

 ぐぐ、とトゥトゥが身を沈める。

 全身から闘志がほとばしっていた。

 本当にこの人は武力で解決しようとしているのだわ、とアムは感心するやら呆れるやら。

 どう考えてもアムの試験対策の事など忘れていそうである。

 まあ、いいのだが――。

 先の先を取ろうとして、ファルクレインは風唸りとともに口吻を突き出す。

 トゥトゥは交差するように前に踏み出した。

 ファルクレインの細かい牙が相手をつかみ損ね、空を切ってがちりと噛み合わされる。

 そこにすかさず、トゥトゥが銛を突き込んだ。

「ぎいいいい!」

 悲鳴が細首を震わせる。

 カヌーの船体に赤い血が点々と散った。

「とろいやつ」

 銛の先から血を振るい落とすトゥトゥは、いにしえの戦神のように見える。

「い、いぃい……」

 ファルクレインは牙を剥いたまま口吻を振って、痛みを追い払おうとしていた。

 力んだ足の下で、その爪が猛禽の骨を割り折る音がする。

「あのなドク」

 トゥトゥはいたって悠長にこちらを見ながら笑った。

「歯茎に突き刺してやったんだ。しばらく物を食う時に痛いぜ」

「トゥトゥ後ろ!」

 ぶん。

 振り子のように勢いをつけたファルクレインの頭突きが、余裕をかましたトゥトゥの背後から襲い来る。

 トゥトゥは咄嗟に銛を繰り出して防御したが、激突の衝撃で、2メートル近いその体は軽々と舷側を乗り越え海に落ちた。

 派手な着水音と共に水柱が立つ。

 呆気にとられていたところ、しぶきが顔にかかって、アムはようやく自失から引き戻された。

 ごろごろと遠雷のような摩擦音。

 振り返ればファルクレインが鼻先から血を垂れつつ、黄色い目を意地悪そうに細めて喉を鳴らしているのだった。

「より小さき者」

 大きく息を噴き出したので、鼻血がアムの足先にかかる。

 アムは一歩後ろに下がった。

「男は沈んだ。この鳥は我がものである。認めよ」

 さあ認めよ、と言いながらファルクレインはずいと口吻を突き出す。

 歯がこすれるぎょりぎょりという音が、アムの耳を圧した。

 認めないと言えばたちどころに引き裂かれるだろうと思い降参しようとしたとき、

「だめだ、だめ」

 舷側にがしりと手がかかり、トゥトゥが顔を出す。

 何事も無かったかのようなけろりとした顔である。

 一番驚いているのはファルクレインのようだった。

 アムの側にあった頭が跳ね上がり、翼を広げて仰天する。

 カヌーに戻ったトゥトゥは大型犬のように身を震わせて水を飛ばし、

「セムタムなめるなよ」

 と言った。

 再び銛を構える。

 アムは思った。

 このまま野放しにすると、泥仕合になる。

 それで、トゥトゥがまた全身に精気を張り詰め、ファルクレインが筋肉と言う筋肉をたわませて最高の一撃をくわえんと身構えたその時に、言った。

「ちょっと待って」

 精悍なセムタムと、巨大なファルが同時に肩透かしを食らってよろめく。

「おいおいドク」

「もっと平和的に解決できないの」

 と、アムは言った――つもりだったが、実際には、

「戦う、悪い、戦わない、より良い、方法、探す、ねばならない」

 そう単語を連ねただけである。

 土壇場で文法をこねくるような余裕はまだなかった。

 その上セムタム語「平和」とか「血を流さない」という単語をアムは知らない。

 トゥトゥとファルクレインは双方とも戸惑った表情で、アムを見た。

 それから、互いを見た。

 アムはファルが戸惑うところを初めて見たし(思っていたよりも表情筋が良く動くのだった)、それにこのファルは見た目ほど嫌な奴じゃないのではないかとも感じる。

 見た目で決めてはいけない。

 何事も。

 そう言い聞かせる。

「つまり、俺たちが戦って決めるのは駄目だって言いたいのか、ドク?」

「そう」

 アムが頷くと、トゥトゥは眉間に皺を寄せた。

「じゃあどうしろって? 飢え死にか?」

「その……」

 脳内の単語帳をアムは必死にめくる。

 辿り着いた単語は非常に簡単なものだった。

「あなたたちは欲しいものを話し合うべきよ」

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