最終話:「一緒に幸せになるぞ」

 ――――気づくと、世界は夕暮れ時だった。


 茜色に染まった空間。

 窓から差し込む眩しい夕日。

 それに目が慣れた時、今いるのが例の場所だと理解する。


「お久しぶりです、お兄さん」


 それと同時に、後ろから聞こえる声。

 どんな時でも愉快そうな雰囲気を隠さない声音に呆れつつ、俺は後ろを振り返った。


「久しぶりって、この前夢に出張してきたろ……って」


 軽口を叩きかけていた口が、途中で止まる。

 振り向いた先にいたのは、銀髪の俺こと女神。そして、髪色が変わらない俺。

 優しげな表情が、彼女がついさっきまで向き合っていた『フレール』じゃないことを告げていた。


「素フレールもいたのか。久しぶり……でもないな、さっき話しかけられたし」

「はい。声が届いたようで何よりです」


 そう言って微笑んだ後、髪色が変わらない俺こと素フレールはぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございます、お兄ちゃんさん。フレールを慰めてくれて」

「いいっていいって。兄属性としてはほっとけないからな、あんなの。むしろ、あれでよかったん?」


 自分で言うのもなんだけど、めちゃくちゃにゴリ押しだったからな……。

 不安に思っている俺に、「大丈夫ですよ」と声をかけてきたのは女神だった。


「お兄さんも思っていたように、素フレールさんも悪のフレールも、元を辿れば乙女ゲーム『サンドリヨンに花束を』に登場する主人公おんなのこですから。心を解きほぐすには、単純で純粋な同情の方がきくんですよ。理路整然とした理屈も、同じ境遇による共感も必要ありません。だって、そういうキャラじゃないんですから」

「大丈夫ならいいんだけど……ってかお前、司教に大嘘言うように指示するなよ!?」


 よく考えると、ロザリオを俺に預けたってことはあの野郎、ああなるの知っていたってことじゃん!結託すんな!あと今単純って言ったな!?

 おこになる俺を見て、女神はぺろっと小さく舌を出した。

 てへぺろじゃねえんじゃ。銀髪補正あっても俺と同じ顔なんだから許されないぞ!


「まず彼の名誉のために言っておきますと、私は嘘をつくように指示はしていませんよ。嘘の解決法を真実のようにお話して、リティアさんがその嘘に気づいただけです。もっとも、あの時点では私の嘘をわざわざばらす理由が彼にはなかったので何も言わなかったみたいですけどね」

「あの野郎……」

「まあ、嘘だって言ったところで他に対処法もないですし?彼なりの気遣いでしょう」

「それもそう……なのか……?」


 いいように言いくるめられているような気もする。気のせいだろうか。

 むむと唸っていると、さっきの素フレールみたいに女神も頭を下げてきた。


「騙す真似をしたのは申し訳ありませんでした」

「……」

「『フレール』にとって特攻存在であるクリストフ王子がセーフティーとなってくれるでしょうが、いったん危険な状況に陥っていただくことには代わりありませんでしたので。妹さんに反対されないよう、ああいう形をとらせていただきました」

「…………まあ、謝ってくれるなら」

「それに、事前に「悪のフレールを慰めること」と言ってお兄さんのたん…まっすぐさが損なわれたら、彼女を逆上させる可能性もありましたから」

「実は謝る気ないだろ?」


 また単純って言った!言いかけた!

 まあ、本気で殊勝になられてもなんか気持ち悪いし。申し訳ないと思っているのが本当なのは神様パワーで伝わってくるから許すが……。危ない目にあったのも一応俺だけだし……。


「ふふ、ありがとうございますお兄ちゃんさん」

「心を読むな。そしてお兄ちゃんさんって言うな」


 VS『フレール』よりも疲れるな、こいつとのやりとり……。

 あ、素フレールには思ってないからな?その呼び方が嬉しいわけでもないけど。

 そんなことを思いながら、俺は素フレールの方を見る。そして、目を見開いた。なぜなら素フレールは、今にも消えそうなキラキラエフェクトに包まれていたからだ。


「……えっ!?なんで!?」

「ああ、もう時間が来てしまったみたいですね」


 俺のリアクションで、素フレールも自分の体がキラキラエフェクトに包まれていることに気づいたらしい。だけど驚いた様子もなく、当然のことみたいに受け止めていた。


「女神様が言うには、この私は『世界の端末』――「幸せになりたかった」という『フレール』の願いを叶えるために生まれた、この世界のフレールの人格。それを元にして『フレール』が生み出した、善なる側面の具現化、だそうです」

「……難しいな!?」

「ええ、はい。ややこしいですよね」


 俺の言葉に素フレールはふふっと笑った後、キラキラエフェクトとともに俺の前まで歩いてきた。

 キラキラの手が、俺の手をとる。

 手にあるまじきふわふわとした感触に戸惑っていると、素フレールが言葉を続けた。


「今までは恨みの想いが強すぎたせいで、分かたれた私は『フレール』の中に戻ることができず、お兄ちゃんさんの中に残り続けていました」


 ……えっ。もしかして時々俺の脳内でカップリング応援していた素フレールって、俺の幻覚じゃなくマジのやつだったの?


「でも、お兄ちゃんさんのおかげで負の感情が落ち着いた今なら、私はフレールのところに戻ることができそうです。だからもう、『フレール』がお兄ちゃんさんや妹さんを害そうとすることはないでしょう」


 ツッコミに傾きかけた思考が、シリアスな言葉で引き戻される。

 はっきりそうと口にしているわけじゃないけど。素フレールが「もう会えない」と言いたいのは、察しが悪いでもさすがに気づけた。


「お兄ちゃんさん」

「……ああ」

「クリストフ様とお幸せに」

「……うん」


 カップリング厨の邪さがないまっすぐな言葉に、俺もまっすぐに頷く。


 ――――直後、急に足元が消えた。

 えっ、ちょっ、まっ。


「ではさようなら、お兄さん。『フレール』の多くが得られなかったハッピーエンドを、どうか楽しんでください♪」

「クソ女神ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」


 お前、今度会ったら絶対ぶん殴るからな!!

 そんな決意を抱いたまま、俺の意識は暗転した。






「シリアスに帰還させろや!!」


 勢いよく上体を起こしながら、目覚めと同時に俺は叫んだ。

 天丼すんな!しかも絶妙に空気読んでないタイミングで!

 鬼畜の所業に憤慨していると、横から視線が突き刺さるのが感じた。……なんかめちゃくちゃ覚えあるな、この流れ。地の文も含めて。

 とりあえず、視線が飛んでくる方向に顔を向ける。

 そこには、呆れた顔をしたクリスがいた。


「……お前は叫ばないと気を失った状態から復活しないのか?」

「そんなわけあるかい!」


 誹謗中傷?名誉毀損?

 ともあれ、俺が悪いみたいに言われるのは甚だ心外だったので全力で噛みつく。

 がるると唸る俺を、クリスは呆れたままの表情で見つめた直後。


「ひょわっ!?」


 いきなり、がしりと抱きついてきた。

 肩越しに見えるバルコニーと、さらにその向こうで輝く満月。

 うわー、綺麗だなー……じゃなくて!


「きゅ、急に抱きつかれるとびっくりするんだけど!?」


 ひっくり返りそうな声で抗議をする。

 それに対して返ってきたのは、安堵が色濃く乗った、深い深い溜息だった。


「……こっちはお前のせいで一日に二回も心臓が止まる思いをしたんだぞ。お前のぬくもりや鼓動を全身で感じ取っても罰は当たらんだろ」

「それは……まあ、うん……」


 一回目はともかく、二回目は言い訳のいの字も立たない。


「……ごめん」


 素直に謝れば、いっそう強く抱きしめられた。

 ぐえ。く、苦しい……。

 わりと真面目に息苦しかったが、こっちを気遣う余裕がない力強さは、どれだけクリスが俺のことを心配していたかを物語っている。それを振り払うことなんてもちろんできるわけもなく、俺は少し前に『フレール』にしたように、その背中をよしよしと撫でた。


「お前、今夜は絶対帰さんからな……」

「ひえ……」


 耳元で恐ろしいことを言われた。

 覚悟しとこう、色々と……。

『物語』が終わったってことは、いわゆるレーティングも解禁されてそうだし……。


 そう考えたところで、ふと思う。


『物語』は終わった。

 フレールはハッピーエンドに辿り着いた。

 ゲームでできたというこの世界が、これからどう転ぶのかはちっともわからない。

 とりあえず見た感じ、何かが劇的に変化したという感じではなさそうだ。

 まあ、『物語』が終わったので世界も終わります!とか言われたら、なんとしてでもあのクソ女神を張り倒しにいかないとならないから、そういうイベントは起きなくていいんだけど。いや、いずれ殴りに行くのは確定だが……。


 まあだが、何も変わらないということはないだろう。

 少なくとも、ゲーム的な強制力やらはこれからはなくなっていくはずだ。

 悪役令嬢補正でスールが必要以上に悪く思われて破滅フラグが立つことも、フレールを巡って血で血を洗うようなデッドエンドフラグが軽率に立つこともあるまい。というか立たないでほしい。

 でもそれは、裏を返せば今まであった補正……フレールに会うという行為が優遇されていたみたいに、俺にとって都合が良かったものもなくなるということでもある。

 ……ゲームだからこそ許された王子と庶民の強引な結婚も、できないかもしれない。

『世界』は、俺とクリスが結ばれることを許してくれないかもしれないけど――――


(……まあ、いっか)


 人によっては、色々投げっぱなしだと言われるかもしれないが。

 俺とクリスの物語はここでひとまず区切りがついたのだ。

 めでたしめでたしで終わった物語の、世知辛いかもしれないその後を考えるなんてナンセンスなこと、少なくとも今はしなくてもいい。だってそういうのは、クリスと一緒に考えて、クリスと一緒に乗り越えていくものなんだから。


「……なあ、クリス」

「なんだ?」


 だから俺は背中を撫でるのを止めて、代わりにクリスの首に腕を回した。


「あのさ――――」


 そして、口を開く。

 プロポーズされた時、本当に言いたかったことを言うために。

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兄妹で乙女ゲームの世界に転生したけど俺がヒロインで妹が悪役令嬢ってどういうこと? 毒原春生 @dokuhara_haruo

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