まるで民俗学だ。
初見で思ったのは、まずこれだった。
細かな設定は、どこまでが実際に語り継がれているものなのか。
どこまでが作者によって作り出されたものなのか。
知識を詰め込むように、読み進めていった。
鬼と式。
大切な人を奪われてしまった事への復讐と、大切な人が向かう先を案ずる思い。
集められた東西南北に指名された者たちは、それぞれが苦しい現実の中を生きていた。
心がとても苦しくなる場面につらさが覆いかぶさり、悔しさに身もだえもした。
世の中の理不尽が読者を物語りに引き込んでいく。
人は、醜く弱い。
甘い言葉を信じ、ふらりと近寄ってしまう。
何が本当で何が嘘なのか。
判断力が鈍るほどの口のうまさにとりつかれ、己の目的に憎悪が加わる。
救いはあるのだろうか――――。
この物語に入り込み、確認してもらいたい。
誰もが持つ弱い心に目を瞑ることなく、最後までご覧になってもらいたい。
是非、ご一読を。
ううぉー(感嘆のため息)最新話まで拝読しました。ものすごく面白かったです。
この面白さは間違いなく夷也さんでないと出せない持ち味ではないかなと。
人間を掘り下げるように暗く陰鬱な部分をしっかりと描いて、それを面白さに繋げていく。これがオリジナリティだよ、と私は思います。
前回拝読した『獏の見る夢』もメチャクチャ面白かったんですが、こちらも凄まじいものがあると思います。
式という鬼を飼い、蔓延る鬼を式に食わせる能力者のお話なんですが、肌に纏わりつくような不快の描写が素晴らしく、微妙な心の機微を描いて読者の心を物語の中へと引きずり込む。目に浮かぶ、鮮やかなまでの文脈に惹きつけられてゾクゾクするという方も多いのではないかと思います。
夷也さんの作品に触れて「ああ、私ってこういう作品好きなのだな」と発見でもありました。
章ごとに主人公(能力者)が変わりまして、特にお気に入りの章は『羊の章』と『雉の章』なんですが、その他も面白い。全部を読み終えてもう一度読み返したいような衝動にかられます。
まだ、物語途中なのでぜひこれは追いかけて頂きたいなと。
おススメいたします!
神代の御代、黄泉平坂で恋しい夫にイザナミノミコトは呪詛を放った。
「いとしいわが夫(せ)の君よ。こんなことをなさるなら、私はあなたの国の人を一日に千人絞め殺しましょう」
それに対し、イザナキノミコトは呪詛返しを行った。
「いとしいわが妻の命よ。あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てるだろう」
こうして放たれた鬼たちが、ひとの生命を喰らい続ける――
感情を麻痺させて常にgive & takeで生きる千砂は、「受信」現象に悩まされていた。ある日「何か」に狙われた彼女を救った令は、式「犬」を使う式使いだった。彼は千砂にも「鶏」がいると言う。
親にも級友たちにも疎んじられる少女・巴は、必死に生きようと足掻いていた。彼女に憑く鬼の正体は――
幼馴染の改と甲は、甲の姉・菜摘をめぐる愛憎のただなかにいた。そこへ、鬼たちが現れる。
日本古来の鬼道・陰陽道・卦などが複雑に絡み合い、現代日本を生きる青年・少女たちの葛藤を巻き込んで繰り広げられる、暗く、激しく、心が痛くなるような伝奇ファンタジーです。民俗好きにお薦めします。