光がつくる物語の影について

印象派と評される絵画には、『黒』を置かない、という特徴があると言われます。
もちろん陰影は黒色で表現出来てしまいますが、光の在り方を捉えようとした画家たちは、影をもたらす対象の固有色や補色を用いて、更にはそれらを混ぜずに並べて濁りのない要素として画面に置きました。
そうすることで、明るい部分から乱反射する光という表現を以て総体たる影を表したのです。

物語においても、明暗が重要であることは言うまでもありません。起伏と言い換えても良いでしょう。

本作における明は例えば、束田の健気な明るさであり、坂島先輩の儚い輝きであり、二人が執筆に注ぐ危うげな閃光となって現れます。
これらは要素として物語に置かれ、いたずらに濁りません。
そればかりか、これらの要素は私たちの目の中あるいは脳内において結合し、混ざりあい、一つの物語を紡ぐのです。

そうして紡がれた本物語の総体は、私たちに影や暗を突きつけるかもしれません。しかし、最終的に表現された影は、決して黒一色で表現し切れるものではない。
色のない花弁が落とした影は、スマホを握る手に翳る暗は、黒一色ではありえない。

その陰影を構成する色が何かは誰にも知る術はありませんが、結末という名の影は紛れもなく光によって表されていたと、そう思うのです。

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