第5回匿名短編コンテスト・未来編

ガーデン・オブ・エリュシオン

 それは二つの月が見守る地。かつて存在した理想郷。彼方まで広がる悠久の世界――




 森を抜けると、そこは見渡す限りの光輝く丘だった。


 辺り一面に咲き乱れるのは銀色の花。薄玻璃のような花弁は、陽の光を拡散して優しい七色のプリズムを作り出していた。

 無意識に漏れ出たため息が背後からの暖かい風に溶け、丘を撫でる。一斉に身を揺らした銀の花達は、澄んだ鈴のような音を立ててくすぐったそうに笑っていた。


「わあ……!」


 私は思わず駆け出した。


「キュー……キュウ!」


 その後を、私をここに導いた謎の生き物――白いうさぎもどきが、ふわりと漂いながら付いて来る。


「すごい……」


 丘の上に立つのは、薄桃色の葉を繁らせた一本の広葉樹。その枝には色とりどりの提灯ランタンの実が吊り下がり、淡い輝きを放っていた。

 私は提灯ランタンの樹の根元、銀の花の海に仰向けに身体を投げ出した。すると、うさぎもどきが腹の上に降り立ち、ふわふわの尻尾を揺らしながらすり寄った。


「キュウ、キュウーン……」

「?? 何言ってるかわかんないよ」

「――そう? じゃあこっちの姿にする。可愛い生き物の方が、女の子は好きだと思ったんだけどな」

「へっっ!?」


 突然知らない声がして、私は咄嗟に起き上がる。頭に付いた銀の花弁がはらはらと視界を舞い落ちると、目の前には知らない少年の顔があった。


 透き通るような銀の髪を弛く束ねた、銀の花の化身のような少年。

 私が困惑して言葉を紡げずにいると、少年は美しい顔を傾けた。


「ここ、きれいでしょ?」


 確かにすごく幻想的で、綺麗だ。この景色も、目の前の少年も。

 少年の湖面のような青い瞳に私が映ると、まるでその中に捕らえられたかのように身動きひとつできなかった。


「ねえ、きみは退屈してるんでしょ。心踊る何かを求めてここに来た」

「うん、そうだけど……。よくわかったね」


 私が戸惑いながら頷くと、少年は微笑んだ。かつてここに来ていたたくさんの人達も、みんな同じだったよ、と。


「ここにはあるの? 楽しいこと」

「あるよ。幾千の出会いと、胸踊る冒険と、困難を可能にする成長が……」


 そう言うと、彼は立ち上がり、逆光の中から私の手を取る。思わず目を細めると、眩しい閃光が瞼の裏に焼き付いた。



 ――その旅はとても長く、だけど多分一瞬のことだったと思う。


 湖の中心に立つ、荘厳な城。天まで伸びる、高い高い塔。海底には、鮮やかな珊瑚礁の洞窟。そして、大地の真ん中にぽっかり空いた、巨大な穴。


 彼は私の手を引き、たくさんの景色を見せてくれた。そのどれもが息を飲むほど美しく、そして不思議なほど静かだった。



「ねえ、どうだった? 此処のこと、気に入った?」


 銀の丘に戻った私は、再び提灯ランタンの樹の根元に寝転ぶ。すると彼はうれしそうに上から顔を覗き込んで来た。その姿はいつの間にか背が伸び、少年から大人になっている。


「綺麗だった。すごく綺麗で、わくわくしたよ。でも……」


 何か、足りないんだよなあ。

 もやもやを抱える私を見下ろす青の瞳は少し切れ長になって、だけど変わらずどきりとするほど美しかった。


「ねえ、チサ。これからも僕の側に居てよ。ここにいれば、きみはお姫様にも、勇者にも、魔王にだってなれるよ」


 そう言った彼の銀の髪先が頬に触れる。

 その涼しげな顔越しに見上げた空には、真昼の月が二つ浮かんでいた。


「うーん……いいよ。そしたらさ、ここにお城を作ってよ! ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家みたいに、全部がお菓子でできてるお城!」

「ヘンゼルとグレーテル?」

「知らないの?」

「ごめん。僕の知識、ちょっと偏っててさ。アップデートされてないし……」

「そう。じゃあさ、私の友達をここに呼んでもいい? 私がすごく強い魔王になって、みんなをびっくりさせるの」

「きみがここに来れたのは、たまたま生きてるキーが手元にあったから。ここはもう、サービスが終了してるんだ。――でもね、この世界は魔法も使えるし、空だって飛べるし、それに」

「何それ、全然楽しくない」



 この世界はとても綺麗だけど、何もなかった。誰もいないから、世界は空っぽだ。



 そう気付いた途端、あれだけ美しくみえた銀の丘も、青い瞳も、全てが空虚に色褪せた。


「……もう、帰るよ。バイバイ」

「ダメだよ。側に居てくれるって、言ったじゃないか」

「また来るよ。でも今日は帰らないと……」


 私が立ち上がろうとすると、急に周囲の気温が冷え、彼は私の腕を掴んだ。


「ここに居た人達は皆、また来るね、また明日ね、って去っていったんだ。でも結局皆戻って来なくて、ついには誰も居なくなってしまった。――逃がさない。帰さないよ」


 次の瞬間。

 彼は天を衝く咆哮をあげたかと思うと巨大なドラゴンに変貌した。私を掴んでいた腕はそのまま前肢になり、鋭い爪が地面に食い込んで私を押さえ付けた。


「やだ! やめ……っ! ……そ、そうだ、強制終了っ……!」


 思いの外強い力に圧倒され、私は慌ててゴーグルの右縁に付いている電源ボタンを押した。


途端に視界は真っ暗になり、意識は現実へ帰還ログアウトする。


「何このゲーム、めっちゃリアルじゃん。古いのだからって舐めてた……」


 私は額に浮かんだ汗を拭いながら起き上がると、カプセル型のVRマシンの蓋を開けようとする。しかし何故かびくともしなかった。


“――逃がさないよ”


「!!」


 マシンの内蔵スピーカーから、静かな彼の声が聞こえる。かと思うとカプセル内に、嗅覚装置デバイスを通じて甘いが充満した。――それは、銀の花の香り。


「何こ……れ、」


 途端に視界はぼやけ、四肢が痺れる。


「あなた、誰なの……?」


“――僕は概念さ。世界観とか、フレーバーテキストとも言う”


 彼のその言葉を最後に、私の意識はぷつりと絶えた。



 "――おかしいな。身体から切り離せば、心は留めて置けるとおけると思ったのに。肉体が止まったら、意識データも消えてしまった”



 それは二つの月が見守る地。かつて存在した理想郷。彼方まで広がる悠久の世界――

 此処には幾千の出会いと、胸踊る冒険。困難を可能にする成長がある。

 集え、勇者。来たれ、ガーデン・オブ・エリュシオン。


 かつて一世を風靡したVRMMORPG。そのオープニングのモノローグと共に、壮大なファンファーレがマシン内にこだました。





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