LAST CHAPTER:レディ・フォー・ザ・ショウ

 けっきょく、帝都に帰還したのは槐丸えんじゅまるただ一騎だった。


 レイエスとともに出陣した六騎のブラッドローダーは、乗り手ローディもろとも喪われたのだ。

 多士済々たる至尊種ハイ・リネージュのなかでも、ひとかどの使い手として知られていた六人である。

 そのかれらが、ひとり残らず討ち死に遂げた――それも、イザール侯爵ただひとりに敗れ去ったことは、帝都にすくなからぬ衝撃をもたらした。

 

 聖戦十三騎エクストラ・サーティーンはブラッドローダーの最上位に位置づけられている。

 だが、その存在は八百余年の歴史を閲するうちになかば伝説化し、昨今ではじっさいの強さはと囁く声さえあったのだ。

 六人の敗死は、そんな風聞を跡形もなく消し去るのに充分だった。

 聖戦十三騎がいまもって最大の脅威であることを、帝都の至尊種ハイ・リネージュたちは否応なく再認識させられたのである。

 複数の聖戦十三騎を擁するリーズマリア・シメイズ・ルクヴァースの一党に対する帝都市民の危機感も、従来とは比べものにならないほどに高まったことは言うまでもない。

 

 田舎領主に担ぎ上げられた世間しらずの小娘と、その下に集まった得体のしれぬ馬の骨ども……。

 そんな多分に軽侮と蔑みをふくんだリーズマリア派への従来の評価は、またたくまに霧消した。

 リーズマリアの一党はおそるべき反乱軍であり、至尊種ハイ・リネージュの存立をおびやかす危険な敵対勢力であることを、いまや帝都防衛軍団のみならず末端の市民までもが理解したのだ。


 はたして、このをきっかけとして、帝都とその勢力圏では戦時体制への急速な移行がはじまった。

 これまで八百年ものあいだ太平の世を謳歌していた吸血貴族たちも、こうなってはもはや安閑と過ごしてはいられない。

 自分自身あるいは子女の軍役を免除するかわりに、所蔵するブラッドローダーを軍に差し出す家が続出したのである。

 いくら先祖代々の家宝といっても、ろくに訓練していない者がブラッドローダーに乗ったところで戦力にはなりえない。その一方で、もはやブラッドローダーの新造が不可能であることから、軍では慢性的に機体の不足と乗り手ローディの余剰という問題をかかえている。

 軍役と引き換えにブラッドローダーを取り上げることは、不適格者を戦場から排除し、必要な将兵にブラッドローダーを行き渡らせるという意味において、まさしく一石二鳥だったのだ。


 ほんらいの所有権を消去デリートされ、まっさらな状態となったそれらのブラッドローダーは、工場において画一的な艤装をほどこされていった。

 家紋と銘板ネームプレートは削り取られ、意匠を凝らした装飾品はゴミのように打ち捨てられた。拵えに贅を凝らした華美な刀剣もやはり鋳潰され、より実戦むきの無骨な長柄斧ハルバード戦棍メイスへと作り変えられていった。

 そうして完成したのは、無個性な灰白色ホワイトグレーの装甲をまとった、無銘の巨人騎士たち――その名を”ネオ・ストラディオス”。

 改造対象はじつに百騎以上におよび、帝都防衛軍団はかつてない大兵力を擁するに至ったのである。


 長い昏睡にあった最高執政官ディートリヒ・フェクダルが覚醒したのは、まさしくそんな折のこと。

 皇帝陵でのノスフェライドとの戦いから、すでに半年もの月日が流れ去っていた。


***


「まずは過日の失態についてお詫びする。すべては私の不徳のいたすところ――――」


 言って、レイエスは深々とこうべを垂れた。


 帝都の全権を司る執政府庁舎――その最上階の一室である。

 

 いま大理石のテーブルを囲むのは、四人の男たちだ。

 レイエスからみて右手には軍の総司令官であるアイゼナハ・ザウラク侯爵、左手には最高審問官ヴィンデミアが着席している。

 そして、ちょうどレイエスと相対するように端座しているのは、黒い軍服に身を包んだ黒髪の美丈夫だ。


 最高執政官ディートリヒ・フェクダル。

 十三選帝侯のひとりにして、至尊種ハイ・リネージュの事実上の支配者。

 亡き皇帝のたったひとりの養子である彼は、ほんらいなら皇帝の座に就くべき男なのだ。

 皇帝の実の娘であるリーズマリアの誕生によって即位の道を永遠に閉ざされたディートリヒは、リーズマリアがとなったいまも、あえて玉座を空白のままにしているのだった。


「……おもてを上げよ、カリーナ侯爵」


 ディートリヒは低く錆びた声で言った。

 まだ昏睡から醒めて日も浅いということもあって、その白皙のかんばせは常にもまして青白く、あざやかなはずの双眸の真紅もこころなしか褪せてみえる。

 

 言われるがまま頭を持ち上げたレイエスは、どこか他人事みたいに言葉を継いでいく。


「最高執政官閣下が処罰をお望みなら、いかようにも――――」

「それには及ばん」


 すげなく言って、ディートリヒはザウラク侯爵のほうに視線を移す。


「あえてリーズマリア陣営の強さを知らしめ、きたるべき戦争にむけて帝都の綱紀粛正を図る……すべて貴公の一存か? ザウラク侯爵」 

「いかにも仰せのとおりにござる」

「私の不在のあいだにずいぶんと勝手なことをしてくれたな」

「独断専行については返す言葉もござらん。――――しかし、


 するどく問い詰めるディートリヒに、ザウラク侯爵は豪胆そのものといった笑みを浮かべる。


「戦って死んでいった者を貶めるつもりは毛頭ござらんが、こちらの損失はたかだか六騎。太平のぬるま湯に浸かりきった連中に事態の深刻さを思い知らせ、やがてくるいくさのためのができたのであれば、あの者たちも浮かばれましょうや」

「……」

「それに、もし最高執政官閣下が私の立場なら、おなじことをなさったはず。いかがですかな?」


 ディートリヒはなにも言わず、ヴィンデミアのほうをちらと見やる。


「君が休んでいるあいだに、アルギエバ大公の残党の掃除は終わっているよ。軍内部にひそんでいた隠れリーズマリア派の炙り出しも順調だ」

「この帝都にまだそれほど多くの反乱分子が潜伏していたか」

「君が気に病むことではないよ、ディートリヒくん。彼らにはどのみち死んでもらわなければならない。そのタイミングが遅いか早いかだけさ」

「ならば、このまま粛清を続行するがいい――最後の一人まで抜かりなく、だ」


 突き放すようなディートリヒの言葉にも動じることなく、ヴィンデミアは「もちろん」と応じる。

 獅子身中の虫といえども、野放しにしておけば、いずれこちらの身を食い破られる。

 最高法院による反乱分子の摘発と処刑は苛烈をきわめ、見せしめとして太陽の下に引き出され、生きながらにして灼かれた者は数知れない。


「すべては至尊種ハイ・リネージュの存続と繁栄のため。多少の犠牲はやむをえん――――」


 ディートリヒは指を組んだまま、冷厳な声で告げる。

 三人に命令するというよりは、自分自身に言い聞かせているようでもあった。

 リーズマリアとの戦争が始まれば、味方にもおびただしい犠牲が出ることは避けられない。

 その規模は内部粛清の比ではない。同胞の犠牲を恐れるあまり戦に敗れては、それこそ本末転倒というものだ。


「決戦の日は近い。たとえこの生命尽きるとしても、私は至尊種ハイ・リネージュの未来のためにリーズマリアを討つ。貴公らにもそのつもりで戦に臨んでもらいたい」


 悲愴な、しかし決然たるディートリヒの宣言に、三人の選帝侯は黙したまま首肯するだけだった。


***


 その日の夜――。

 座敷の縁側に佇んだレイエスは、ひとり物思いに耽っていた。 


「これはこれは。御屋形様が真剣なお顔で考えごととは、明日は帝都に雪が降るやもしれませんな」


 レイエスの背後から声をかけたのは、ひとりの童女だ。


「私が考えごとをするのはそれほど珍しいか? ばあや」

「ええ。でもそのような姿はついぞ見たことがございませぬ」

「其許がいうなら間違いはないのだろうな」

「ギデオン様のことなら、御自身よりもよく存じておりますゆえ」


 聖戦の時代、ギデオン・ファルダシルの従者として戦場を駆けたひとりの女吸血鬼がいた。

 年端もいかない子どもの姿で成長を止めた彼女は、戦後もギデオンとその家族に仕えつづけた。

 やがてギデオンが死ぬと、女吸血鬼はその娘に付き従い、輿入れ先であるカリーナ侯爵家へと移っていった。

 吸血鬼としても並外れて長命な彼女は、いつしか本来の名前ではなく、ただ「ばあや」と呼ばれるようになった。

 カリーナ侯爵家にレイエスと名付けられた男児が誕生したのは、それから四百年あまりの歳月がすぎたころ。

 レイエスがギデオンの記憶を受け継いだ存在――正真正銘の生まれ変わりであることにいち早く気づいたのも、やはり彼女だった。

 かつて死によって永遠に別離したはずの主従は、奇妙な縁に導かれて再会を果たしたのだった。


「戦が近い」


 レイエスは虚空をみあげて呟く。

 

「もし私が帰らぬときは……」

「今日は御屋形様らしくもないことばかり仰せでございますね」

「此度の戦はこれまでとはちがう。過日の戦いで、私は生まれて初めて剣を折られた。千年のあいだついぞなかったことだ」

「耳が遠くなったせいか、まるでよろこんでいるように聞こえます」

「うれしいのだろう、きっと」


 レイエスは感情のこもらぬ声で応じる。

 あらゆる剣技を究めながら、自分の喜怒哀楽さえ把握できない。

 生まれ変わるまえからずっとそうなのだ。


は強かった。だが、ノスフェライドは彼らよりもさらに強いという。ぜひ試してみたいものだ」


 レイエスはふと夜空を見上げた。

 遮光ドームを透かして、庭園に青白い月光が降り注いでいる。

 騒然たる戦場とは正反対の、寂蒔と静まりかえった清浄な月夜。

 剣、そしておのれの心と向き合うには、これほど好ましい環境もない。


(私には、私の心がわからぬ)


 レイエスは傍らに置いた愛刀へと手を伸ばす。


(わが心、剣に問う――――)


 孤高の剣聖は、きよらな月明かりのなかにゆっくりと一歩を踏み出していた。


【終】

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吸血葬甲ノスフェライド ささはらゆき @ijwuaslwmqexd2vqr5th

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