CHAPTER 13:アクト・オブ・イノセンス

「その言葉、本気か?」


 決死の覚悟を示したハルシャに対するレイエスの返答は、あくまで冷たかった。


「其許では私には勝てぬ。分かりきったことだ」

「そうだとしても、僕はあなたと戦う」

「ならば、死ぬほかあるまい」


 レイエスがそう告げたのと、槐丸えんじゅまるの右腕が動いたのと同時だった。


 イクシュヴァークめがけて不可視の刃が飛ぶ。

 刃にまとわせた衝撃波を放出する技――吸血鬼の剣術の基本中の基本だ。

 剣術の心得のある者ならばだれでも使える初歩の技。

 それも、剣聖の手によって放たれたならば、まったく別種のものとなる。


「――――!!」


 イクシュヴァークの右足が膝のあたりで音もなく切断されたのは次の瞬間だ。

 まるでような、どこまでも平滑な切断面。

 抜刀の疾さ、間合いの見極め、絶妙なパワーの調整……どれかひとつでも欠ければ成立しえない、それは完璧な一撃にほかならなかった。


 ブラッドローダーと乗り手ローディは、高度な神経接続ニューロリンクによって結ばれている。

 それはとりもなおさず、ハルシャにとっては、自分の足を切り落とされたのとおなじ苦痛を味わうということだ。

 もっとも、もし現在の主人格がアラナシュであったとしても、レイエスの一閃を躱すことはむずかしかっただろう。

 剣聖の斬撃を見切ることができる者など、この世にひとりとして存在しないのだから。


「いまの一撃でよく理解できたはずだ。其許では話にならぬ」


 レイエスはハルシャの無力を嘲るでもなく、あくまでそっけなく言い放つ。

 

「無理をするな。に代われ」

「僕が相手をすると言いました」

「左様か」


 レイエスはやはり無感情に応じる。

 ハルシャだろうとアラナシュだろうと、自分のすべきことに変わりはない。

 ただ剣を振るい、対手あいてを討ち果たす。

 相違があるとすれば、多少の抵抗があるかどうかという点だけだ。

 もっとも、たとえアラナシュに交代したとしても、左腕と右足を失ったイクシュヴァークではもはや槐丸に勝つことは望めない。


 敵の強さへの期待も、決着の味気なさへの嘆息も、レイエスにとってははるか昔に忘れ去った感情だった。


 つつ――と、水面をすべるように槐丸が動いた。

 右手の長剣はだらりと下げたまま、白亜の機体は一気に間合いを詰める。

 衝撃波によって遠距離から切り刻むのはたやすい。

 それでもあえてイクシュヴァークの内懐に飛び込んだのは、一撃で確実にとどめを刺すためだ。


 勝敗はわかりきっている。

 苦しみを長引かせたところでなにが変わるわけでもない。――そのはずだった。


 火花を散らして銀閃が流れた。

 イクシュヴァークの胴を捉えた槐丸の剣は、あと一歩というところでむなしく空を奔った。

 むろん、レイエスがあえて外したわけではない。

 イクシュヴァークの剣によって斬撃を逸らされたのである。


「――――」


 必中の斬撃を躱されたことに驚くより疾く、レイエスは長剣を槐丸の肩の高さまで持ち上げていた。

 突きの構え。

 のちに”閃光槍フラッシュピアサー”と呼ばれるようになった技は、至尊種ハイ・リネージュの剣技の例に漏れず、生前のギデオンによって編み出されたものだ。

 後世ではもっぱらとして用いられる突き技も、剣聖が繰り出せば一撃必殺の威力をもつ。

 その速度はブラッドローダーのセンサーでは捕捉できず、超高速電子頭脳ハイパーブレイン・プロセッサによる予測さえ追いつかない。

 ひとたび放たれれば即座に死命を制する、それは文字どおり回避不能の絶技なのだ。


 剣尖は宙空にするどい軌跡を描きつつ、まっすぐにイクシュヴァークのコクピットへと吸い込まれていく。

 まちがいなくハルシャとアラナシュの息の根を止めるはずの一撃は、しかし、右肩の装甲を浅く削るだけにとどまった。

 ハルシャが突きのとほとんど――否、まったく同時に機体を反らせたのである。

 言い換えれば、剣聖の技の後のせんを取ったということだ。


「其許には私の剣が見えるのか」


 レイエスはべつだん動揺したふうもなく、まるでひとりごちるように言った。

 わずかな沈黙のあと、ハルシャはおずおずと言葉を返す。


「み……見えません。僕には、とても……」

「ならば、なぜ二度までも躱すことができた?」

「あなたの技は見えなくても、殺意を感じ取ることはできます――――」


 レイエスは「ほう」と呟く。


 みずからに向けられた殺意を感じ取り、見えないはずの攻撃を躱す……。

 ともすれば荒唐無稽な言い分だが、それが可能であることは、ほかならぬレイエス自身がだれよりもよくわかっている。

 彼もまた敵の殺意を察知し、みずからが動く術を心得ているのだ。

 敵の殺意を読み、それに先んじてみずから動けば、理論上はあらゆる攻撃を見切ることができる。剣はむろん、光にちかい速度で飛来するビームさえ、発射されるまえに回避することが可能なのだ。

 それはあらゆる剣技を究めた无冠者ギデオンが、生涯をかけてようやくその片鱗にふれた技の極致にほかならない。


 いかなる達人もけっして到達しえない見切りの極意。

 無力なハルシャに与えられた、それは唯一にして至高の天賦の才だった。


「あなたの攻撃は僕には当たりません。だ、だから……」

「だから、なんだ?」

「もう戦うのをやめてください。僕は自分が傷つくのも、だれかを傷つけるのも嫌なんです」


 ハルシャは声を震わせつつ、一語一語吐き出すように言った。

 

「其許の言い分は承知した」


 安堵の息をつきかけたハルシャにむかって、レイエスはあいかわらず感情の欠如した声で告げる。


「それなら……」

「戦いをめる理由にはならぬ」


 言い終わるが早いか、槐丸の両腕が動いた。

 あくまで美しく優雅なその所作には、寸毫ほどの敵意も感じられない。

 次の刹那、槐丸とイクシュヴァークのあいだでするどい銀光がほとばしった。


 冬の泉のごとく澄みきった、殺意なき一撃。

 それは、果てしない修練を積み重ね、ついに無念無想の剣境に辿り着いた者だけが会得できる技だ。

 それは千年の時を経てようやく結実した”无の型”の完成形にほかならなかった。


 転瞬、イクシュヴァークの輪郭がふいに歪んだ。

 片手片足を失いながらも人型を保っていた機体はみるまに崩壊していく。

 槐丸が放った不可視の刃によって、ちょうど腰のあたりで上下に両断されたのだ。

 かろうじてコクピットへの直撃こそ逸れたものの、もはや戦闘を継続することはできない。


 レイエスは間髪をいれず、最後の一撃をイクシュヴァークへと送る。

 やはり殺意はない。まったく無意識のうちに、彼の肉体、その延長である機体がひとりでに動いたのだ。


 イクシュヴァークの唯一残った左腕がかすかに動いたのはそのときだった。

 重力に引かれて自由落下していく機体は、最後の力を振りしぼり、槐丸にむかって弱々しく剣を突き出す。

 それは意思を持った攻撃というよりは、死に瀕したさいの不随意な痙攣をおもわせた。

 その動きを、レイエスは凝然と見つめる。

 

 否――眼を離そうにも、彼の本能がそれを許さなかったのである。


 永遠に等しい一瞬が二騎のあいだを占める。

 イクシュヴァークの剣がゆるやかに空を掻いた。

 敵を斬るというよりも、まるで透明な蝶とたわむれているかのような動き。

 

 やがて――

 凍てついた時間が溶けだしたのと、槐丸の手元にするどい衝撃が駆け抜けたのと同時だった。

 レイエスは大気圏へと落下していくイクシュヴァークには一瞥もくれず、手にした長剣をまじまじと見つめる。


 刀身と柄の接合点――鎺元はばきもとのあたりに無数のヒビ割れが走っているのはひと目でわかった。

 それはまぎれもなく、イクシュヴァークが放った一撃によって生じたものだ。

 

 ヒビはみるまに周囲へと広がり、ついには刀身そのものが跡形もなく砕け散った。


「殺意なき剣、か」


 砕けた長剣を見据えて、レイエスはひとりごちる。

 

 ハルシャが最後に放った一閃には、毛一筋ほどの殺意も込められていなかった。

 それはレイエス――ギデオンとおなじ無想無念の剣境に、たとえ一瞬でも触れたということを意味している。

 偶然ではない。

 ならば、避けがたい死をまえにして、遺伝子の奥底に隠されていた力が目覚めたとでもいうのか。


「なかなかどうして、この時代もおもしろいものだ」


 レイエスがぽつりと洩らした言葉は、だれの耳に届くこともなく、成層圏の暗い空へと吸い込まれていった。

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