第1話 禁術の賢者ロークが田舎暮らしを楽しんでいた件

――10年ほど前。

 僅か17歳の少女だった「勇者」は世界の脅威だった魔王と刺し違えて消えた。

 魔界の扉は閉じられ世界は平和になった。

 残された勇者のパーティは解散し、それぞれ散っていった。


 「禁術の賢者」と呼ばれた賢者ローク(35)は故郷に戻らず、魔王城のあった禁断の地からほど近いロッテンブルクに移住し勇者の帰還を待つ共に魔王城を見張る役目を自らに課し、田舎暮らしをすることにしたのだった。


「……というわけだよサーシャちゃん」

 ロッテンブルクの外れにある場末の酒場。

 薄暗く人相のよろしくない連中がたむろしている。かつての魔王城の近くということもあり冒険者や物見高い観光客も出入りしており、それなりに賑わってはいた。

 粗末だがよく磨かれたカウンターでローク(37)は銅のゴブレットに並々と注がれたビールをがぶがぶと飲みながらくだを巻いていた。


 カウンターの向こう側ではふわふわとした栗色の巻き毛の女が適当に相槌を打ちながら酒を注いでいる。

 看板娘のサーシャ21歳だ。胸元の大きく空いた酒場の衣装にやや厚めの化粧。それが彼女をやや大人びて見せていた。


「はいはいロークさん、すごかったんですねー」

「そうだよぉ」とローク。

「でもロークさん一般魔法とかちょっとしたまじないくらいしか出来ないじゃないですか」

「へへへ苦手なんだよ、ほらなんつーの、細かい魔術とか苦手でさ……」

「もう……この間、雨降らすの失敗したじゃないですか、農家のエド爺さん怒ってましたよ……」

「まぁまぁサーシャちゃんもう一杯!」

「はいはいいいですけどね、ツケも払ってくださいね」


 ロークはそうやって看板娘をいじくるのを何よりの楽しみとしていた。

 中~下位魔術や下位呪術が苦手なのは本当で、ロークが得意としている禁術や高位法術以外はそこらによくいる冒険者並みか、村によくいるちょっとしたまじない師くらいの実力しかない。

 しかしロークにとってその程度のまじないや魔術、かんたんな祈祷だけくらいしか需要がないというのは、平和の証拠と思ってそのように振る舞うのも楽しみのひとつだった。


「だぁっはは! こんくらいの田舎になると、まじない師のレベルも低いなぁ!」

 会話を聞いていたのだろうか、少し離れた円卓で冒険者風の男たちが笑い声をあげる。

「俺らのパーティの魔法使いのほうがレベル高いよな!」

「勇者のパーティだ? 魔王なんて本当にいたのかってレベルだよな」

「違いねぇ!」


 サーシャは眉をひそめる。

「ほらぁ、ロークさん、変な事ばっかり言ってるから……」

「いいんだよサーシャちゃん、これお勘定ね」

 ロークはカウンターに銀貨2枚を放って店を出た。

 背後でどっとまた笑い声が聞こえるがロークは気にしていなかった。


「はぁ……ロークさん良い人なんだけど今いちうだつ上がんないのよねぇ……」

 先ほどの円卓の冒険者たちはロークをネタに盛り上がっている。


 ふと便所に行っていたらしい灰色のローブの男……冒険者たちのパーティの魔法使いが手を拭きながらその円卓に戻ってきた。銀色の髪を短髪にしたもの静かそうな青年だ。


「よぉジオ、戻ってきたか、さっきこの辺鄙な村のまじない師をネタに酒飲んでてよぉ」

 赤ら顔に下品な笑みを浮かべる戦士風の冒険者。


「さっきもさ、ほらなんつってたっけ? 雨降らすのに失敗したんだってよ、おめぇだったら失敗しないよな」

 ジオと呼ばれた青年は薄く微笑みを浮かべた。


「まさか……天候術は結構難しいんですよ、まぁ自分なら……10日もやってれば1回は成功するでしょうね、雨を降らすくらいなら」

「さすがだよなぁ! たった10日の祈祷で雨降らすんだからよ! 俺っちの田舎のまじない師なんて乾季に半年祈り続けてたぜ。半年もやってりゃあそりゃあ偶然でも雨くらい降るわな」


(10日……? 聞き間違いかしら……)

 サーシャの酒を注ぐ手が止まる。

(ロークさん……5回に3回くらいは数分くらいの祈祷で成功するよね……あれ?)

 

 サーシャの心中に浮かんだ疑念は、しかし新たに酒場に入ってきた5、6人ほどの集団の喧騒にかき消された。

「おう! 人数分のビールな! あとなんか食えるもん出してくれや姉ちゃん」

「はいただいまー!」


 その頃、ロークは待ちの外れ、断崖の上にある自宅への道を急いでいた。

 断崖からはよく魔王城が見える。その間に酔いも覚めてくるのだった。

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