第10話 バスバラ伯国の闇剣イスカンデルと深淵の鏡
――その鏡には真実の姿が映る。
ただしその鏡は日を追うごとに変容していく。自身の悪い心を強く強く増幅していくのだ……(エキドナの書 第二節)
バスバラ伯国の首都はシュトルの街から馬車に乗って5日ほどの距離だった。貸し切りの三頭立て馬車だ。そこそこの金を払ったが、まだロークの金貨には余裕があった。
エキドナ、サーラの姉妹はロークと共に行くこととなり、馬車に乗っている。
今のバスバラ伯爵の旧名はエドマンド。
すなわち勇者エリスの一行の1人でありロークのかつての旅の仲間だ。
「しかしこれは……」
ロークはバスバラ伯国の首都に近づくにつれ濃くなっていく瘴気に鼻を覆った。
道は細く、狭くなり、森の中に入っていく。
さらに森も深くなり、緑というより黒に近くなってきた。
そしてどこからかただよってくる強烈な臭気。
「おえー! キモ!」
サーラは遠慮ない。
「これは……何なの?」
エキドナが目を細める。
「わからないが……思ってたよりもひどいな」
ロークは周囲の術式を確認する。
「バズバラ伯爵とはどういう関係なの?」
エキドナが問う。
「……昔の知り合いだよ」
「おじさん、悪い人なの?」
「……悪い人だよ」ロークは苦笑した。
魔法王国ダストランシアから追放された賢者。
禁術の使い手。
元勇者のパーティの一人。
いろいろな呼び方があるだろう。
そして、勇者エリスを救えなかった者。
さらに進むが、どうも森の奥からゾンビか何かの気配すら感じるようになってきた。馬車の御者が「これ以上進めない」と泣き出したので、馬車の御者から馬を1頭買い取った。
一行の荷物を馬に乗せ、そこからは歩く。
もう徒歩でも半日ほどの距離だ。
バスバラ伯国の首都は元々は要塞だ。
首都といっても住民がいるわけではない。要塞を改造し住めるようにしたらしい。
森を抜けるとその要塞が見えてきた。
「うわぁ……」
サーラが自分自身の肩をだきしめた。
「こいつは……」
その要塞は半ば朽ち果て、人の気配はまったくない。
それどころか何かの遺体と思われるものがそこら中に散らばっている。
しかしまがまがしい気配を放っている。
ロークは術式を確認した。
幸い、罠のようなものはなさそうだ。
モンスターなどの気配もない。
「……行ってみようか」
ロークを先頭に3人は要塞に向かう。
城門は朽ち果て、大扉は開いたままになっている。
ミントか何かだろうか。
草木が生い茂り、石の壁を侵食していた。
中庭を抜けるとすぐに
その門は閉まっていたが、その前に黒衣の男が座りこんでいた。
剣を抱くようにしている。
「え……死んでる?」
サーラが嫌そうな顔になる。
「いや……生命を感じるから生きていると思う」
ロークは念のために短剣を抜き、その男に近づいた。
彼は古風な鎖帷子の上からバスバラ伯国の紋章が刺繍された上衣を着こみ、さらに漆黒のマントをまとっていた。
黒髪がぼさぼさに伸び、頬はこけおちている。
その顔に見覚えがあった。
「エドマンド」
その声に、男……エドマンドは目を見開いた。
「ロークのおっさんか……」
「……随分老け込んだな。私よりも年を取ってみえる」
「フフフフ……お前が……いつか来ると思っていたが……」
エドマンドはゆらりと立ち上がった。
「エドマンド、このありさまはどういうことだ? 魔王城よりも強い瘴気に満ちているぞ。まさか魔王の遺物を集めているのではないだろうな?」
エドマンドは答えずに剣を抜く。
「最初は……鏡だった」
「鏡?」
「魔王の遺物のひとつさ。深淵の鏡。俺はそれを土産にこの国の後継者となった。鏡は深く封印するつもりだったが……気が付いたら毎日覗き込んでいたよ。素晴らしい、素晴らしい世界を鏡は見せてくれた。エリスが死ななかった世界。俺と共に生きている世界だ」
エドマンドの瞳は瞳孔が開き、まるで目全体が黒目のようになっていた。彼は恍惚の表情を浮かべ血の涙を流していた。
その異様な様子にサーラとエキドナが下がる。
ロークは姉妹をかばうように手を広げた。
「そうさ、魔王の遺物の虜になった。まるでコレクターのように集めたよ」
その顔は狂気に満ちていた。
「いつか……人をよみがえらせるか時間をさかのぼることができる遺物にであうのではないかと信じてな。たくさん人を殺した」
彼は両手をあげた。
「そして分かった。魔王は、魔王はこの遺物の虜になった元人間だと。俺は日々、深淵の鏡をのぞきこむことで魔王に近づいていったのだ」
「狂ってるな……」
「この剣は闇の剣イスカンデル。聖剣
エドマンドは狂気に満ちた表情でイスカンデルをふりかぶった。
剣身が伸び、エドマンドの身長の三倍ほどの長さになる。
「くらえ」
猛烈な斬撃がくりだされた。
ロークは姉妹に向かってタックルし、彼女たちを剣の攻撃の範囲から押し出した。
「うぐっ!」
剣がローブをかすめ、肩の一部を切り取っていった。ローブも服も着られていなかったが、人間だけを切り裂くというのは本当のようだった。
「ちっ相変わらず身軽な……」
「これはいかん……」
ロークはそこそこ短剣には秀でていたが、やはり元傭兵のエドマンドのような剣の専門家にはおとる。まして相手は魔王の遺物のひとつで武装している。攻撃範囲は広く鋭い。次でやられる。
「……どうせならここをついてこい」
ロークは心臓の位置を左手で叩いて挑発した。
エドマンドは歪んだ笑顔を見せた。
「望むところだ」
闇剣イスカンデルが伸び、それは正確にロークの心臓付近に突き刺さった。
「おっさん!」
エキドナが悲鳴をあげる。
彼はぐらりと揺れ、剣が抜かれると共に倒れた。血だまりが広がる。しかしロークは瞬時に薄れてゆく意識の中で、もっとも得意とする秘術を使った。
自らに向かって。
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