其の七

 彼女はスティックを旨そうにかじりつくすと、


『じゃ、依頼人さんによろしく』そう言ってくるりと背を向け、鉄のドアを開けて出て行こうとした。


『言っていいのか?あんたが殺し屋だってことを』


 俺は彼女の背中に声をかける。


『今更隠し立てしても始まらないでしょ?シナモン、美味しかったわ』


 彼女はそう言って手を振り、鉄扉の向こうへ消えていった。



 俺はその夜、大急ぎで報告書を仕上げると、依頼人の廣田誠氏に連絡を取った。


 夜、9時を過ぎて(そんな時刻しか予定が取れなかったそうだ)、俺の事務所に大急ぎで現れた。


 事務所でソファに座った彼に、俺は報告書を手渡す。

 勿論、彼女の言葉もその通りに伝えた。


 俺が渡した報告書を読み俺の言葉を聞きながら、しばらくの間足をがくがくさせてモノも言わずにただ座っていたが、ようやく落ち着いたのか、少しづつどもりながら、


『全部、本当の、こと、ですか・・・・?』と訊ねた。


『勿論、こっちもプロの探偵だ。報告書にウソは書かないし、事実を調べて依頼人に伝えるのが仕事だからね』


『有難うございました。これ、ギャラです』


 彼は暫くたってから、財布を出し、そこから4日分のギャラと実費、そして一日分の危険手当をプラスしたものを俺の前に置いた。


 確かにきっちりしていた。


 一円の違いもない。


『確かに・・・・』俺は数を数えて懐に収めた。


 ソファから立ち上がり、彼はもう一度、


『有難うございました』と、深々と頭を下げ、


『僕、諦めませんから』と、付け加えた。



 それから二週間ほど経ったある日、俺は事務所でデスクに足を投げ出し、ラジオから流れる音楽に耳を傾けていた。

『懐かしのハリウッド・スター』という、1時間半ぶっ通しの番組である。

 今時珍しく、やかましいDJなど殆どなしで、映画音楽や映画俳優の歌声をながしてくれるという。良心的なプログラムだ。


 歌っているのは、マレーネ・ディートリッヒ。曲は『リリー・マルレーン』


 かすれたような、鼻にかかったような、あの蠱惑的な節回し、俺の心にずしんとくる。


(番組の途中ですが、ここでニュースの時間です)


 と、無粋なアナウンサーの声が、ディートリッヒを妨げた。


 何でもつい三日ばかり前の事、西アフリカの某国、つまりはあの『20年間独裁を続けていた偏執狂の大統領』がいる国、


 そこで、独立記念日とやらの式典の真っ最中、大統領が狙撃を受け、殺害されたというのである。


 実行犯はその場で逮捕された。


 東洋系の女性だという。


 彼女は自分の名前を『』と名乗った以外は黙秘を続けていて、マレーシア発行の偽造パスポートを持っていたという。


 また、ちょうど同じ時刻に、彼女の居た直ぐ近くで、やはり拳銃を持っていた不審な日本人と名乗る男性も逮捕されていたことを付け加えていた。


 アナウンサーは形式的に己の無粋さを詫び、再びディートリッヒが歌い始めた。


 俺は立ち上がり、冷蔵庫からビールの缶を取ってプルトップを開ける。


 頭の中で、ある光景が浮かぶ。


 砂漠の中を兵隊に両腕を掴まれ、手錠をかけられ、裸足で歩く女。


 その後ろを革靴を履いてついてゆく眼鏡の男・・・・・


 何でそんなことを思ったんだろうな。


 俺はビールを一口、ぐっとやった。


『もう、夏じゃないんだな・・・・』俺はぼそりと呟いた。



                             終わり

*)この物語はフィクションです。登場人物その他全ては、作者の想像の産物であります。

 




 




 

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彼女は『ヤシャ』 冷門 風之助  @yamato2673nippon

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