其の五

 その日の夕方、俺は新宿にあるホテルの宴会場にいた。


 何ということはない。


 某保系政党の政治家による『励ます会』、有体に言えば『資金集めパーティー』というやつだ。


 どうやって潜り込んだかは『企業秘密』ということにしておこう。


 彼は中堅の結構名の売れた議員で、次の内閣で国務大臣になれるかというところにいるらしい。


 当然そういう人間だ。


 お世辞にも立派なことばかりしてきた訳じゃない。


 後ろ暗いところも結構あるだろう。


 そんなわけで良からぬ筋が『命を狙っている』という訳だ。

 

 俺はコップを手に、会場を見渡せる壁に背を持たせ、さっきからじっと一人の女に視線を集中している。


 このホテルの係員なのだろう。


 白いブラウスに紺色のタイトスカートという、一見するとどこにでもいそうな、まあそんなタイプにしかみえない。


 さっきから一番奥の壇上では、政治家氏がグラスを手に胴間声で演説をふりまいている。


 どうせこの後、乾杯となって、彼は出席者の間を縫って、頭を下げて回るんだろう。


 乾杯の音頭が終わり、全員が声を上げた。


 議員氏は縁談を降りて頭を下げ始める。


 すると、さっきの彼女もゆっくりとした歩調で議員氏に近づいてゆく。


 俺は見逃さなかった。


 彼女の手に、小型の銃のようなものが握られているのを。


 迷うことなく、俺は俺は彼女の背後に回り込み、気づかれぬように歩調を合わせてぴったりと張り付いた。


 議員まで、ほんの1メートルほどに近づいたとき、彼女が握っている、


『銃らしきもの』の正体を確認した。


 ニードルガン。


 元某共産主義大国で、かつて暗殺に用いられた武器で、小指の先ほどの針を圧搾空気で発射する。


 針・いや、正確には『針状の形のカプセル』である。


 そのカプセルは人間の身体に刺さると、その体温に合わせて溶け出し、中から毒が出る。


 しかもその効果はすぐに表れ、わずか30秒以内で死に至り、しかも死亡してから完全に体内で分解してしまうため、解剖しても検出するのはまず難しいと言われている。


 だが、その銃は射程距離が短く、凡そ1メートル以内に近づかねば確実に当たることは不可能だと言われている。


 従って余程の腕と、そして度胸がなければ扱うことはできない。


 彼女の銀縁眼鏡がきらりと光った。


 手に持ったナプキンで覆い隠し、銃を構える。


 すかさず俺は彼女の背後から手を伸ばし、ぐっと押さえつけた。


『すまないが、お嬢さん、ウィスキーはどこかな?』


 わざと辺りに聞こえるような声を出し、彼女に言った。


 続けて小声で、


(無駄な抵抗は止せ。ここで暴れたら元も子もないだろ)


 囁くように問いかけた。


 彼女ははっとしたように俺の顔を見上げたが、抵抗はしなかった。


『こちらでございます』


 そう言って俺の手をどけ、くるりと向きを変えると、先に立って歩きだした。


 誰も俺たちの事に気が付いていなかった。



 場所は非常階段の外、切れかかった灯りの下で、一匹の蛾が、下手糞なダンスを繰り返していた。


 俺はライセンスとバッジをわざと見えるように大げさな身振りで出してから、


鳳時子ほう・ときこ・・・・別名『ヤシャ』・・・だね?』


 彼女の目つきが変わった。穏やかな女のものではなく、横にすうっと細くなった。人間の目ではない。そう、明らかに『殺しマシン』そのものの目だ。



 


 

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