第44話 出立と始まり

 コルキアが、遠い北方の国・ミーレンスに向けて出立する日。メルは、特別に午前中だけ休みをもらって、ヴェスターと共に、コルキアが収容されていたロワペール監獄に駆けつけていた。


 コルキアは、ここロワペール監獄から馬車で出立し、そのまま駅に向かって鉄道に乗り換え、ミーレンス王国へ行く手はずとなっている。駅で待つことも考えたが、あそこは人が多い。見送るなら監獄へ行った方が、よりチャンスがあるだろうと、こちらへ来た。しかし、普段は縁もゆかりもない監獄の姿と、出発の支度を整えた黒い囚人護送用馬車、その周囲を固める予想以上に物騒な空気の兵士の列に、二人は圧倒された。


 メルは、コルキアが乗っているはずの馬車の窓を、固唾を飲んで見守る。窓にはほとんど隙間なく鉄格子が嵌め込まれており、中の様子は見えそうになかった。コルキアの姿を、一目でも見られたらと思って来たのだが。


 所在げなく、胸の前で拳を作りながら、なかなか出発しないでいる馬車をモヤモヤした気持ちで眺めていると、監獄の方から物々しい雰囲気の集団が現れた。それもまた武装した兵士で、彼らは、一人の人物を囲い込んで馬車へまっすぐに向かってくる。その人物を垣間見て、メルは自分が勘違いしていたことに気づいた。コルキアはまだ馬車に乗っていない。これから乗り込むのだ。


 さすがに警戒されているのだろう。足は自由のようだが、コルキアの両腕には重々しい手錠がかけられていた。彼女の華奢な見た目も相まって、随分痛々しく映る。しかしそれ以外は、特別、酷い扱いを受けているような箇所はなかった。相変わらずの無表情に、幾重ものフリルが折り重なってできた黒いドレスを纏っている様は、以前と何ら変わるところがない。


 一方で、彼女の周りを固める兵士たちの面持ちは硬い。いつでも引き金を引けるよう、各々が軍用の小銃を握りしめている。未だ、彼女が王都のランドマークでもある時計塔を半壊にした事実は皆の記憶に新しい。奇跡的に死人や重傷者は出なかったものの、その力の強大さは兵士たちにもしっかり刻み込まれている。物々しい武装も彼らの面持ちも、決して行き過ぎではない。


 場の重々しい空気に飲み込まれそうになっていたメルは、コルキアが馬車の扉が開かれるのを待つために足を止める時になって、ようやく動いた。


 ここには、護送される罪人を見物している野次馬は一人もいない。だから、メルの動きは大いに目立った。眉を寄せた兵士に進路を塞がれ、メルは後ずさりかけたが、今を逃せば次にコルキアにいつ会えるかわかったものではない。


「コルキア」 


 話しかけるつもりはなかった。それなのに、気がつけば自分の中での精一杯の大声を出していた。メルは、兵士の肩越しにコルキアの後ろ姿を見る。馬車のステップに足を掛けようとしていたコルキアの動きが、不意に止まった。そして、ゆっくりとこちらに顔を向けた。血の気のない、人形のような美貌。今は表に現れていないだけで、その下にはちゃんと血の通っていることを、今はもう知っている。


 コルキアが初めて見せた自分の意思を拠とする動きに、周囲の護衛兵達の間に、さっと緊張の色が走る。それが行動に現れるギリギリのところで、コルキアはサッと前へ向き直って、おとなしく馬車の中へ姿を消していった。メルは、馬車の扉に錠をかける音を、穏やかな表情で聞いた。


 前方へ向き直る寸前、確かにコルキアの唇はこう動いた。


——さようなら


 車輪が動き出す。メルは頷き、コルキアに向けて言葉を放つ。


「ええ、さようなら」





「さて、コルキアも無事に出発したことだし、あとは僕らだね」


 清々しい目をこちらに向けてくるヴェスターに、メルはうめき声を返した。


「どうしてくれるのよ」


 青ざめた顔のメルに、ヴェスターはメルの肩の上で「え」と引きつった笑みを

向ける。


「……ヴェスターの管理人になることは了承したけれども、管理人の就任式があるとか、しかもそれを王城で、さらに国王陛下とミシェル王子の前でするとか……なんで先に教えてくれなかったのよ。知ってたら……」


「知ってたら?」


「……知ってたら」


 ヴェスターは人間で言うところの肩をすくめる仕草をした。


「管理人になるの、了承しなかった?」


「そこまでは……ないけど」


「本当にメルは緊張しいだなあ。大丈夫だよ。王子の誕生会みたいに大勢がつめかけるようなものでもないし、ほとんど内輪の式なんだから、ほら、肩の力抜いて抜いて」


 そんなことを言われても、ヴェスターに両肩を占領されているので、抜こうにも抜けなかった。メルは口をへの字に曲げながら、監獄の敷地内を出た先で辻馬車を拾う。


「じゃあさ、メル」


 辻馬車の座席へ、ヴェスターが一足先にメルの肩から飛び移る。


「先に就任式始めちゃおっか」


「王城までお願いします……どういう意味?」


 前半は馭者に、後半はヴェスターに向けたささやき声で、メルは素早く目を瞬かせる。


 メルが席に座るのを待ち、ガタンと動き出す馬車の揺れにすっ転ばないように注意を払いつつ、ヴェスターは胸を張った。その胸には、赤い蝶ネクタイが結ばれている。


「メル・アボット、汝を我の管理人とする。これは、我が汝を信頼している証である。本来であれば、ここに鍵をもって就任の儀とするが、鍵は故あってここにない。よって」


 そこで改まった口調は途切れた。ヴェスターは難しそうな顔で馬車の天井を睨みつけている。


「ヴェスター?」


 メルも揃って天井を見上げる。


「いい感じの続きの言葉が思い浮かばないんだ」


「それでは」


 意外にも、メルが仕切り直したので、ヴェスターは目を丸くした。


「よって、代わりにこのメル・アボットが誓いを立てる。我は親愛なるヴェスターこと、エルヴェスタム・デ・エスタンテと共に、これより先、良き友人であることを……えーっと、やっぱりまどろっこしいわね。私たちの関係はそんな厳粛なものじゃないわ」


 メルは、小さく笑った。それから、そっと身をかがめて、ヴェスターと視線を合わせ、飾り気のない言葉で伝えたのだった。


「これからもよろしくね、ヴェスター。あなたのこと、大好きよ。これから先も、ずっとよ」



【完】

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図書館司書メル・アボットと魔女コルキア 藤咲メア @kiki33

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