第9話 Bar Memoria ⑤

 最高だった。


 一番信じていた相手に裏切られる気持ち。

 それは狂おしいほどに残酷でみにくいことだ。


 求めていたものはこれだった。

 バーテンダーが言った通り、私にぴったりと合った一杯だ。


「お気に召していただけたようですね」


 無表情のままバーテンダーがそう言った。

 普通、もっと誇らしげにするべきところだと思うのだが、なんだか人形を相手にしているみたいだ。


 それにしても本当に良い記憶だった。

 今も胸にはっきりと“恐怖”の感情が残っている。


 “恐怖”だけではない。

 “絶望”や“悲しみ”、そして“後悔”。


「え、いや待って……どうして……」


 今までと違う。違いすぎる。

 前の3杯は、こんなにも感情が刺激されなかった。


 いや、そうじゃない。

 これは感情が刺激されているとかではなく――のだ。


 もしやと思い、私はスマホを取り出して見てみる。


「うそ……」


 割れたスマホ画面。

 それは、さっきの“恐怖”の記憶で石橋に踏みつぶされたスマホと全く同じ割れ方。


 するとどんどん思い出されていく。

 安藤あかりの、いや、私自身の記憶が。


「ねえ、どうして……? これ、私の記憶ですよね……?」


 否定してほしい。

 何かの間違いであってほしい。

 そう願いながら訊ねた。

 しかし、バーテンダーは静かに頷く。


「さようでございます」


「そんな……じゃあ私――」


 ――もう、死んでるんだ……。


 その事実を前にした時、意外にも心は穏やかだった。


 死は怖くない。死よりも怖いものを、知ってしまったから。


「ここは死者の来る場所。何らかのショックで“死んだ”という記憶を失ってしまう方が時々出てしまいます。そのままでは現世を永遠にさまようことになってしまうため、死の記憶を思い出していただく場所なのです」


「そう、だったのね」


 バーテンダーは淡々と、出口のドアへと目を向ける。


「お迎えが来たようです」


 迎え。

 きっとこれから私は、あの世に行くのだろう。


「この後、私はどうなるの」


「それはわたくしにも分かりかねます」


「そう」


 私は静かに立ち上がり、ドアのもとまで歩いていく。


「またのご来店をお待ちしております」


 バーテンダーのその言葉を背に、店を後にした。



▼▼▼▼▽



 穏やかなジャズのBGMが流れるバー。

 バーカウンターの中には、グラスを拭くバーテンダーが。


 ふと入口の戸が開き、鐘の音が鳴る。


 バーテンダーはそのガラス玉のような瞳に客を映し、向かい入れるのだった。



「いらっしゃいませ、バー・メモリアへようこそ」

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Bar Memoria 海牛トロロ(烏川さいか) @karasugawa

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