第8話 メモリー・ロス
「……の、以上のメンバーで次の企画を進めてもらうことになる。他のメンバーもバックアップに回るようにな」
会社のオフィス、全員が起立して行う朝礼で、前に立った課長が一同へ向けてそう言った。
この会社へ入社一年目の
課長が二、三言話して朝礼が終わると、各々が本日の仕事に取り掛かる。
安藤も椅子に座ってパソコン画面を操作し始めた。
「あかり、すごいじゃん! 新人でこの企画に入れたのあかりだけだよ!」
隣の席に座った女性――
企画に安藤が入れられたことに、本人よりも興奮している様子の石橋。
彼女は安藤と同い年の同期で、入社後すぐに意気投合した彼女たちは親友のように仲が良かった。
安藤は照れくさそうな笑みで返す。
「偶然だって」
するとそこで、コト、と音を立てて安藤のデスクに缶コーヒーが置かれた。
安藤が見上げると、爽やかな表情をしたスーツ姿の男性社員が立っていた。
年齢は30だが、見た目はそれよりもやや若い。
真面目で頼れる社内のエースだ。
「あ、
「次の企画よろしく」
「はい、よろしくお願いします!」
須藤は少し身をかがめて、内緒話をするように声を
「企画に備えて
「あのお店ですか! いいですね、行きましょう!」
「じゃ、仕事終わった後にね」
にこりと笑って、その場を後にする須藤。
安藤は心の中で飛び跳ねて喜んでいた。
昼休み。
外に食べに出る社員がいるため、オフィス内は静かだった。
節約のため、自分たちの席で自前の弁当を食べる安藤と石橋。
「あかりってすごいなぁ」
世間話をしながら弁当をつついていると、
いきなりのことに、少し驚く安藤。
「え、どうして?」
「だって入社一年目から大事な企画チームに入れて、須藤さんからもお食事に誘われてたし」
「須藤さんは仲間想いなだけよ」
「でもわたしなんて、須藤さんと二人きりでお食事に行ったこともないし」
須藤はその爽やかな外見と優秀さから、社内には憧れる者が多い。
浮いた話はあまり聞かなかったが、ここ最近誰からどう見ても須藤は安藤にアプローチをしているようだったのだ。
そのことに安藤自身も気付いており、なんだか気恥ずかしくなって話題を
「だけど仕事量増えるの嫌だなぁ」
「あはは、大変そうだったら手伝うね。そのかわり、美味しいごはんおごりで」
「ちゃっかりしてる。でも、持つべきものは親友ね、ありがとう!」
その夜、須藤との食事を終えてご機嫌な様子でアパートへと帰宅した安藤。
風呂に入るため、洗面所に。
ふと彼女が鏡を見た瞬間、あることに気が付いた。
「え、なにこれ……?」
安藤の左頬に書かれた“22209”という数字。
何かのフォントというよりは、子どもがイタズラ書きをしたようにうねっている。
「うそ! このまま須藤さんと食事に行っちゃったの!?」
安藤はぎょっとしてすぐさま洗顔する。
冷水を浴びせているというのに羞恥心で顔が熱くて仕方なかった。
それにしても安藤は、この数字を書かれた覚えなどない。
朝はなかったし、お手洗いやメイク直しのたびに鏡で顔は見る。
いつの間に書かれたというのだろう。
そんなことを考えながら洗い、顔を上げる。
しかし――
「あれ、消えてない……っ!?」
――顔に書かれた数字は、消えるどころか、全くかすれることなく残っていた。
まるで皮膚そのものが黒く変色してしまったかのように。
その後も
仕方がなく、リビングへ戻って床にぺたんと座り込む。
洗いすぎてひりひり痛む左頬をさすりながら、スマホを使って自分のようなケースが無いか調べてみようとした。
しかし、検索を掛ける前に思わぬところに目が留まった。
本日のニュースがまとめられたトップ画面。そこに載せられた写真である。
「うそでしょ……」
写真には芸能人や政治家など、様々な人物が写っていた。
けれども、安藤の目に映る彼らの顔には、自らと同じように数字が書かれていたのである。
“13110”や“4653”など、数は人によってバラバラ。
4桁や5桁など大きな数字の人が多いようだが、万の位が“3”の人は見当たらない。
大きくて、自分と同じくらいの数字だった。
一体これは何を表しているのだろう。
安藤は考えてみるが、皆目見当もつかなかった。
そこでふと、数字が“1”の人物を見つけた。
70歳過ぎの政治家。難しそうな顔をして写っている。
大きな数字ばかりだったので非常に目立った。
どうやら数字の幅は本当に広いらしい。
安藤は分析し、改めてこういった事例がないか調べるが、まるで出てこなかった。
それからもう一度顔を洗って数字を落とそうと試みるものの、やはり無理だった。
どうしようもなくもやもやとした気持ちを抱えたまま眠り、朝を迎える。
起床後、すぐに鏡を確認するが、左頬に書かれた数字はそのままだった。
これは幻覚なのかもしれない。
人の顔に数字が見える病気か何か。
今日は医者に行くべきなのかもしれない。
そう迷いつつ朝食を取り、テレビのニュースを見ていた。
『続きまして、
キャスターが告げるニュース。
「え、亡くなった……?」
それは、昨晩顔に“1”が書かれているのを確認した政治家だった。
テレビにはその政治家の写真が流される。
と、その時安藤は目を見開いた。
なぜなら、政治家の顔に書かれた数字は“1”ではなく“0”になっていたからだ。
――昨日は確かに“1”だったのに、どうして?
安藤は考え、まさかという仮説に行きつき、スマホで様々な人物の写真を検索する。
そして、その仮説を裏付ける答えを見つけた。
歴史上の偉人は軒並み全員“0”。
芸能人はほとんどが4桁か5桁の数字。
しかし、闘病を発表した芸能人は2桁や3桁と小さい数字。
この数字とは恐らく――余命が長ければ長いものほど大きい。
つまり、命のタイムリミットなのである。
▼▼▼▼
日数として計算した時、安藤は自分の残り寿命が約60年であることを知った。
83か84歳くらいで死ぬのかと思うと、ずっと先のことなのになぜだか怖くなってきた。
日頃の生活を気を付ければ、もっと延びるだろうかと考えてしまう。
そうしている内に出勤時間になっていた。
他の人には見えないのだろうか、という不安を抱えながら外に出てみると、皆これまでと変わらぬように生活をしているようだった。
安藤の顔を見て不思議がる人もいない。
どうやら自分だけに目覚めた能力なのだと安藤は理解した。
他人の余命なんて、安藤は見たくもない。
だから会社に着いても、できるだけ人の顔を見ないよう心掛けていた。
「お疲れ、あかり。今日も頑張ろうね」
「うん、おつか――」
いつものように、朝礼の後に声を掛けてきた石橋。
ふと彼女の顔を見てしまい、安藤は絶句した。
石橋の顔に書かれたのは――“1”だったのである。
「そんな……どうして」
あまりのショックに、安藤は口元を押さえて固まる。
「どうしたの、あかり? 怖い顔してるよ?」
普段と違う様子の安藤を心配する石橋。
だがそんなことは構わず、安藤は石橋に早口で
「伊織、どこか具合の悪いところない?」
「え、元気だけど」
「じゃあ、明日どこか出かける予定はっ?」
「今のところなかったと思うけど、それがどうしたの?」
「あ、いや、ううん。何でもないの」
今朝の事例から考えるに、石橋は明日死んでしまう。
これは神が決めた運命なのだろう。
いや、しかし、その未来をいち早く知った自分は、その死を回避させることができるのではないだろうか。
親友は自分が守らなければ、と安藤は心に強く思う。
「あ、石橋君、ちょうどよかった。急で申し訳ないんだが、明日ちょっと出張に行ってきてほしいんだ」
課長が石橋にそう言ってきた。
出張に行って事故にでも遭ったら大変だ。
石橋が返事をするより先に、すかさず安藤が言う。
「あの、課長、私じゃダメでしょうか?」
「え、ちょっとあかり……」
困ったような顔をする石橋。
課長もきょとんとして安藤に問いかける。
「安藤君は例の企画があるから忙しいだろ?」
「いえ、私やれます」
「いいえ、課長。わたしが引き受けますので」
石橋がそう言ったため、結局彼女が自分で行くということで話は落ち着いた。
すぐさま石橋は安藤に問い詰める。
「あかり、どういうつもり?」
「これは伊織のためなのよ」
「ちょ、意味が分からないよ」
「伊織、お願いだから明日は休んで」
「無理だよ。さっき出張引き受けたじゃん」
自分が危険な目に遭うかもしれないというのになぜ分かってくれないんだ、と妙な焦燥感に駆られるが、常識的に考えて石橋の行動は何もおかしくない。
今は自分がおかしいんだ、ということを認識しつつ、親友を守るため安藤は明日を待つことにした。
翌日、石橋の出張先のビルの前。
「もう帰ってくれる、あかり?」
冷ややかな口調でそう言う石橋に、安藤は真剣な眼差しを向ける。
「邪魔はしないから」
「そういう問題じゃなくて……」
石橋は呆れのため息を吐いた。
安藤は年休をとってまで彼女の出張についてきた。
今日一日石橋から片時も離れない覚悟だ。
全く聞き分ける様子を見せない安藤。
仕方がなく石橋はビルへと入っていった。
夏で暑い中でも、安藤は辛抱強く彼女の戻りを待つ。
そして1時間ほどして石橋がビルから出てくると、すぐに彼女に駆け寄り、変わったことがないか調べた。
「帰りもついてくるの?」
石橋の問いに、安藤が頷く。
すると石橋はあからさまに嫌な顔をした。
「ここの職員の人、あかりのせいですごく機嫌悪かったんだけど」
「本当にごめんなさい。でも、伊織を守るためなの。信じて」
「はあ……」
大きくため息を漏らしたかと思うと、唐突に石橋がくすりと笑いを漏らした。
「もう負けたよ」
それから、にこりと安藤に微笑みかける。
「じゃあ、ちょっと次の出張先も付き合って」
「うん!」
ようやく石橋は安藤の気持ちを分かってくれた。
これで石橋のことを守りやすくなると、安藤は心の中でひとまず
次の出張先まで二人でお喋りしながら移動し、静かなビル街へ。
あるビルに入り、階段を上ってオフィスを目指した。
「こんなところに、どんな仕事なの?」
自分の会社がこんなところにある会社と何の関係があるのだろう。
そう思って安藤が訊ねるが、石橋も首を
「……さあ、わたしもよく分からないんだ」
そして辿り着いたオフィス。
しかし、そこはもぬけの殻。
埃っぽくて大して広くない1フロアの中は、デスク一つなかった。
行くべき場所を間違えてしまったのだろうか、と安藤が考えていると――
「あ、伊織!」
――ふと石橋の顔が目に入り、歓喜の声を漏らした。
石橋の顔に書かれた数字。
それが“20264”になっていたのである。
目を丸くして首を傾げる石橋。
「え、何?」
「ううん、何でもない」
たとえ説明したところで、信じてもらえないだろう。
ともかく、原因は分からないが石橋は死を回避できたのだ。
安藤は胸をきつく締めていた何かが解けたように楽になった。
そうなれば、こんなところさっさと後にして仕事を済ませ、今夜は二人でどこか食事に行こう。
「ビル間違えちゃったかな、ここ何の会社も入ってな――」
安藤の振り向きざま、石橋が体当たりをするようにぶつかってきた。
直後、腹部に燃えるような熱さを感じてその場に倒れ込む。
一体何が起こったのだと混乱しながら、安藤は腹部に目を向ける。
そこには、太いナイフが刺さっていた。
その事実に気が付くと、猛烈な痛みが込み上げてきた。しかし悲鳴も出ない。
息がうまく吸えないというものあるが、親友に刺された衝撃が大きかったのだ。
「伊織……どう、して……」
「ずっとこうしたかった」
石橋は倒れ込む安藤の隣にかがみ、冷たい笑みを浮かべて単調な声音で話す。
「みんな、あかりとわたしを比較して、わたしが少しの劣等感も抱かなかったと思った? それに須藤さんを先にいいなぁって言ってたのもわたしだよね? どうして平気な顔して須藤さんと仲良くできるの? ねえ、意味が分かんないんだけど?」
石橋は安藤のポケットからスマホを取り出し、床に落とした。
そして立ち上がり、それを踏みつぶす。嬉々とした表情で。
二、三度踏むと画面が割れ、画面が真っ暗になった。
「昨日や今日だってあかりはずっとわたしの邪魔をしてくるし、本当に意味わかんない。何? わたしを出世させないつもりなの?」
「ちがっ……」
不意にヒビ割れたスマホ画面に映る自分の顔を見てゾッとした。
“0”
安藤の顔の数字は“0”になっていたのだ。
つまり、残り寿命はもうなし。
今、ここで、安藤は死ぬのだ。
死を前に急に怖くなり、安藤は泣きながら親友に懇願する。
「……い、おり……たすけて」
石橋はにこりと
「え、やだに決まってるじゃん。あ、でも、このまま死ぬまで見守っててあげるから安心してね」
「……ぃ…………」
安藤は泣き叫び、耐えがたい激痛の中、笑みを浮かべる親友の前でゆっくりと意識を失っていくのだった。
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