リンドウ
『俺の父さんが浮気した相手って、雪菜のお母さんなの?』
話された内容にも、多少は驚いた。けれどこちらをじっと見つめる三潮と目が合い、真っ先に思った。
―――あ、
どうしよう。
見たことのない表情。
口角が上がっているのに、目元が歪んでいる。ぐちゃぐちゃの感情を、無理に乗せたような顔。
『なぁ、それ本当なのか?』
――どうしよう。
これから先、三潮が今までのように笑ってくれることはない。そう予感めいたものを感じた。屈託なく雪菜と話して、一緒に遊ぶようなことはもう、きっと。
だってこんなに苦しげな顔をしている。笑うのに失敗していることを、本人が知っているかは分からない。でも苦しいのなら、雪菜と共にいるのが辛いなら、ゆっくりと三潮は離れていくだろう。最初は少しずつぎこちなくなって、二人の関係はいつか疎遠になるはずだ。
――どうしよう
――どうしよう
三潮の眼の奥、揺れるものを見た。脆く、今にも壊れそうな。
――あぁ、あれは崩れる寸前で耐えてる。
――もしあれを、粉々に潰したら
君は
喉から、言葉が溢れた。それは確かに雪菜の声をしていて、でも何処から湧いたものなのか分からない。
「ねぇ、三潮くん」
「私のこと、嫌いになっていいよ」
「無視しても、悪口言っても、殴ってもいい。いじめていいんだよ」
はっきりと、三潮の顔が強張った。それでもその深奥が激しく揺れている。不安定で無防備なそこを、雪菜はまっすぐに狙った。
「だって悔しいでしょう?
三潮くんのお父さんは、私のママを選んだんだから」
亀裂が。
「可哀そう、三潮くん」
言い終えると同時に、肩に強い衝撃を受けた。
ざら、と手のひらが地面に荒く擦れる。腰とお尻に、鈍い痛みが走った。
突き飛ばされ、後ろに尻もちをついた雪菜は、声一つ挙げずに三潮を見上げた。
その眼差し、その奥で弾け飛んだものを見て、ただただ安堵する。
――良かった
***********
笑う顔が好き。
何か面白いものに会ったとき、目を見開くその癖が好き。
三潮くんが嬉しいなら私は幸せだし、楽しいならこっちも楽しくなる。
でも、
苦しんでる君も好きです
悲しんでる君も好きです
どんな三潮くんでも、目を逸らそうとは思わない。どうか傍らで、全部見せてほしい。辛くて歪んだ表情も、笑顔と同じくらい好きだから。
お願い、離れないで。距離を置こうとしないで。私は君から目を離さないし、私のことも見てほしかった。憎悪でも嫌悪でもいい、どんな眼差しでも何も向けられないよりかは、遥かに幸せになれる。
だから、
憎んでいいんだよ。
嫌っていいんだよ。
それで君は私を忘れない。
酷いことしたっていい。三潮くんにはその権利がある。何しろ私がそれを望むから。
三潮くんが我慢して、耐えて、必死に、私に対して今までと同じように笑いかけようとして。
そして多分私たちの関係は、だんだんと薄れていった。
それが自然で、おそらく君にとって一番、苦痛が少ない選択だった。
でも私がそれを奪ったから。
崩れそうな弱い部分を握りつぶして、できたばかりの傷口を広げたから。
君が苦しんで、私を嫌いになってくれるために。
薄れていくであろう私の存在を、痛いところに刻みつけた。
できれば二度と、消えないように。
……どうか、許さないで。
(忘れないで)
それだけで、私は生きていけるから。
リンドウ 立見 @kdmtch
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