少年は救われない 〈上〉
『雪菜があんたに何したっていうのよ』
殺すような眼差しだった。
『いきなりあんた達から無視されて、嗤われるようなことを、雪菜がしたわけ?』
『わたしはあんたの友達じゃないから言うけど、こんなの八つ当たりじゃん。雪菜は悪くないでしょ』
話す気はない。
そう一言だけ返すと、久坂毬は一瞬にして顔色を失った。固く握ったこぶしが小刻みに震えている。
無理やり噛み殺したような、低い声で言い放った。
『雪菜が許しても、笑ってても、わたしは許さないから。こんなの間違ってる』
間違っているのは知ってる。でも、先に歪めたのは雪菜だと教えれば、この強気な雪菜の友人はどんな顔をしただろう。
始まったのは、きっとあの時からだ。
**********
6歳の年の夏。その日、三潮は一人で公園に行っていた。いつも遊ぶ友達は、家族旅行やお祖母ちゃんの家に行くやらで誰も集まらなかったのだ。
『何してるの?』
だから、ぽつんと同じように一人でいる少女に声をかけた。
少女は話しかけられても、ただぼんやりとベンチに座っているだけで、三潮が再度呼びかけてようやくこっちを見た。
驚いたように目がまん丸になっていた。
『……なに』
『だれか待ってんの?』
少女はゆるゆると首を横に振る。
『じゃあさ、一緒に遊ぼうよ』
三潮が笑うと、少女はぎこちなくだが表情を変えた。慣れていないような笑顔だった。
『うん』
『俺、菱野三潮。そっちの名前は?』
『雪菜』
三潮は人見知りではなかったし、雪菜も一緒にいるうちにだんだんと打ち解けてきた。
遊ぶと言っても、日差しの強い昼間は木陰で居るのがほとんどだ。地面に描いて○×や絵しりとりをしたり、あまりに暑すぎると近くのスーパーに逃げ込んだ。
その頃、恐竜にハマっていた三潮は、その話も沢山した。家から図鑑をわざわざ持ってきて見せたこともある。雪菜は恐竜について何も知らなかったけど、面白そうに聞いてくれた。
いつも三潮ばかり喋っているのが申し訳なくて、尋ねたことがある。
『雪菜は何が好き?』
雪菜は困ったように笑って、
『花言葉。これだけならすこし知ってる』
そうして、珍しく雪菜が三潮に教えてくれた。
同じ花でも、色によって花言葉が別々にあること。
トマトやゴボウなど、野菜の花でも花言葉がきちんとあること。
正直、花や花言葉に興味はなかったけど、雪菜が話してくれることだから面白いと思った。
『三潮くんは好きな花とかある?』
『んー、特にない。雪菜は?』
雪菜はリンドウが好きだと答えた。三潮が知らない花だったが、濃い青色の綺麗な花らしい。へぇ、と相槌を打ちながら、今度調べてみようと思った。
小学生になっても、度々遊んだ。とりわけ気が合うわけでも、一緒になって騒ぐようなこともなかったけど、何となく心地良い相手だった。学校で雪菜は、クラスの女子のように何人かのグループで集まってはいないようで、ほとんど一人でいた。時々、三潮の知らない女子と二人でいるようになったは、学年が一つ上がってしばらく経った頃だ。
よく遊ぶ仲間のうちの一人が、三潮に問いかけてきたのは四年生になってすぐの頃だった。
『三潮って仲いいよな』
日直が当たっていて、二人でその日集めたのワークブックを職員室まで運んでいた。
唐突な言葉だったが、三潮は特に気負いせず聞き返した。
『誰と?』
返ってきたのは雪菜の名字だった。
確かに、仲は悪くないと思う。昔ほどではないけど今もたまに遊ぶし、TVや本で面白いことがあれば、つい雪菜に話したくなる。
だから教室で雪菜に話しかけることもあった。他の女子と比べると、仲がいいと言えるだろう。
頓着なく三潮が頷くと、彼はやや声を低めて言った。
『やめといたほうがいいよ。あいつんち、結構ヤバイんだって』
『は?』
怪訝な声が出る。彼はちらっと三潮の顔を見ると、言い訳のように早口になった。
『俺聞いたんだけど、あいつのお母さんて
“アバズレ”なんだってさ。それでお父さんに捨てられたって』
『だから?』
正直、友達が口にした言葉の意味ははっきりと分からない。けど雪菜の母親を貶めるものであることは解った。
雪菜の家が、三潮や普通の家族と少し違っているのは薄々勘づいている。昔、雪菜に何人家族か尋ねたとき、雪菜は一緒に暮らしているのは自分と母親だけだと話していた。あんまり帰ってこないんだけどね、とあっさり付け足していたことも。
でもそれは雪菜が悪いことじゃない。
『それ誰が言ってんだ?』
明らかに温度が下がった三潮の声に、友達は決まり悪げになった。
『女子とか……』
『家の事情があっても、別に雪菜は関係ないだろ』
その後、職員室に届けて教室に戻るまで、三潮は無言を通した。友達も流石に気まずいのか、遊びの誘いもなくそそくさと帰っていく。
夕陽が射し込む教室で、しばらく三潮は一人佇んでいた。
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