華のかんばせ

「何事だ」

 衣擦れの音と、沢山の人声が近付いてきて、この朝廷の中、そしてこの国の中で一番尊い人物が、宣耀殿の貴子の部屋に、姿を現した。

 帝である。

 誰しもが、突然の帝の登場に驚き、その場に再び凍り付いた。

帝は、格子は上げられ、几帳と御簾で仕切られただけの、貴子の狭い部屋をぐるりと見渡した。

部屋はすでに、ぐちゃぐちゃの状態だ。

燭台が倒れなかったことだけで、皆の命が無事であったと、物語っていた。

それから、真っ白になっている大夫の君と、貴子を腕に抱き込んでいる在鷹を、交互に見比べた。

 そして、とても面白そうな顔をした。

「これはこれは……」

 皆まで言わず、扇で口元を隠した帝は、目がにたにたと笑っていた。


 帝は、どちらかと言うと大夫の君の気持ちが分かった。

 一般に知られている、貴子の入内がうやむやになった理由は、貴子の母の不幸と父の身分の低さ。

しかし、貴子には、きっぱりはっきり入内を断られたのだった。

理由は一言。

「賭けをしていますの」

 帝は訳が分からなかった。

 数多の女御、更衣たち、そして帝についている女房たちの中で、最も美しい女人が、貴子であった。

 帝である自分が、一番美しい女人に入内を断られるなど、あるはずがないと思っていた。

 しかし、それはあったのだ。

 しかも、若かった帝にはよく理解出来ない一言で。


「……それで、丸く収まったように見えるが?」

 帝は、にやにやと笑いながら、扇を広げたり、閉じたりし始めた。

 近衛の文官武官が、平身低頭しつつ、肩を震わせている。

在鷹は、はっと気付いた。

「主上、私は通りがかりを連れて来られたまでです」

 慌てて在鷹が膝をつくと、気が抜けたのか、貴子の膝が崩れた。

 とっさに両腕で抱き留めて、在鷹は、しまった……と思った。

 帝のにやにや笑いは、止まらない。

「通りがかりでも、三位中将を助け、抱き留めたのだな?」

 在鷹は、あの若い女房が弁解してはくれないかと思って、部屋を見回してから、自分がその場に制したことを、思い出した。

 恐らく、彼女は廊下で平伏しているだろう。

 ……負けたのか、棚から牡丹餅なのか。

 蝶々は、手燭の灯りに近付きすぎて、眩しくて、その白く美しいかんばせを、覗けなかったのだろうか。

「…………さようにございます」

 在鷹が降伏した瞬間に、帝は破顔した。

「三位中将、賭けは勝ったのだな?」

 在鷹の腕の中で、膝が崩れたまま立ち上がれない貴子が、帝の顔を見た。


「……はい、主上」

 幸せに頬が染まった、華のかんばせだった。

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華のかんばせ 斉木 緋冴。 @hisae712

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