エピローグ
epilogue
「きれいな海!」
ゆかりが子どものような声を上げた。俺たちは、外海と内海の中間にある喫茶店にいた。俺の実家だ。到着した昨日はあいにくの天気だったので、ゆかりが日の光に輝く高知の海を見るのは今朝が初めてだった。夏を迎える前の海辺に人影はなかった。
「海がある景色っていいよね」
「そうか?」
「これからは毎年見れるからな、ゆかりちゃん」
「そんなこと言って、ゆかりちゃんに会いたいだけなんだから」
嬉しそうな親父に、母親がなかば呆れたように言った。
「こんにちはー」
聞きなじみのある声だった。振り向くと、いつかと同じように奈津が入り口のところに立っていた。今日は黄色い夕日ではなく、白い朝日を傍らに携えていた。
「おう、なっちゃん、いらっしゃい!」
親父はいつものように愛想のいい笑顔を返したが、隣にいた人物に怪訝そうな顔を浮かべた。
「あれ、きみは太鼓教室のとこの……」
「吉村です。お邪魔します」
「なんで?」
おそらく俺は、親父の比じゃないくらい怪訝そうな顔をしていたに違いない。
「いや、その……」と言葉を濁したのは奈津だった。だが、そんなことはお構いなしに、吉村慎之介がこちらをまっすぐに見据えたまま一歩前に歩み出た。
「僕、奈津さんとお付き合いさせていただいてるんです」
「はい?」
思わず素っ頓狂な声が出たが、頬を赤らめる奈津の様子を見るとどうやら冗談ではないらしい。
「え? だって……」
言いかけてやめた。吉村は、葵のことが好きだと言った。奈津は、吉村のことが苦手だと言った。でも、どちらも遠い思い出の中の話だ。あれから、二人の間では様々な出来事があって、新しい思い出ができたのだろう。
ゆかりが二人に挨拶をした。吉村が「モデルみたいにきれいですね」と歯の浮くようなセリフを口にしたが、ゆかりはまんざらでもなさそうだった。奈津を見て葵にそっくりだと驚いてもいた。俺は自分の過去と現在を結ぶ線がまた太くなるのを、やはり不思議な思いで見守っていた。
「ねぇ、カズ兄、明日うちらも来ていいでしょ?」
「あぁ、もちろん」
明日は俺とゆかりの結婚パーティーだった。結婚式はすでに東京であげていたが、ごく内輪で執り行ったので、俺の地元の友人や親戚へのお披露目を兼ねて改めて高知でもパーティーをすることにしていた。
「葵さんは、日本にはいないの?」
ゆかりが奈津に向かって尋ねた。
「姉がどこにいるのか、いないのかはよくわかりません。昔からだけど」と奈津は答えた。
「どこにいるのか、いないのか?」
奈津はなにやらバッグを探ると、ケースに入ったCDを取り出した。
「一応これは預かってるんだけど、もしかしたらひょっこり来るかも」
「それは?」
「カズ兄にって」
「俺に?」
「うん。約束のものだって言ってた」
「約束?」
その言葉に、ゆかりの視線が鋭さを増したような気がした。俺は肩をすくめ、何のことだかわからないということを必死にアピールした。
奈津から受け取ったCDを店のプレイヤーに入れる。ほどなくして天井のスピーカーからサックスの音が流れてきた。八年前にこの高知の海辺で聴いたあの曲だった。だが、あの時の曲とは違って聞こえた。葵の演奏の仕方が変わったのか、それとも俺の気持ちが変わったのか。たぶん、その両方だろう。俺も葵も奈津も吉村も、そしてゆかりも、俺たちはみな歳を取り、大人になった。
葵の演奏は過去も現在も、そして未来も。あらゆる時間軸の意味をなくすように、俺の記憶を掻き乱す。俺は静かに目をつむった。
「奈津、さっき、もしかしたらひまわりが来るかもって言った?」
「うん。なんとなく、そんな気がするの」
「そうか」
「来てくれるといいわね」
ゆかりが呟くように言った。
「あぁ。そうだな」
きみは僕の、友だちだ。
そう。いつまで経っても……。
Love is like... 恋はまるで——。
Love is like... Nico @Nicolulu
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