第25話 エピローグ

 金沢が逮捕されてから一ヵ月が過ぎた。


 金沢は自供の信憑性しんぴょうせいが認められ、三件の殺人と遺体遺棄の罪で起訴された。現在は警察病院を退院させられ、小菅の拘置所で裁判が始まるのを待っている。


 裁判では死刑判決が下されるのは確実視されていたが、たとえ死刑判決が下ってもその死刑は執行しっこうされる事はないだろうというのが、大方のマスコミや識者の見解だった。


 いくら金沢が極悪非道の犯罪者だとしても、手足を失い失明している人間に対して、死刑執行承諾書にサイン出来る法務大臣はいないというのがその理由だった。


 私はそうなる事を強く願った。そうなれば、苦しみから逃れる為に死を選んだ金沢の目論見もくろみが外れ、真希の願いがかなうのだから。


 金沢には、拘置所の中で自由を奪われ、不自由な体でただ寿命がきるのを待つだけの人生の方が、罪の代償としては相応ふさわしいものだ。


 三月一日。私のパソコンに一通のメールが届いた。差出人の名前は須藤多香子だった。


 私の出した手紙の返信が、八年越しに届いたのだった。


 拝啓 諸星凛様

 あなたからのお手紙、読ませて頂きました。

 驚きました。

 朋子があの時妊娠してしまっていた事。

 そして一人で子供を産み、育てた事。

 不慮の事故で亡くなってしまった事。

 その全てをあなたが知っている事。

 それからあなたが今になって加害者の行方を捜している事

 それを知った上で、今までお返事を差し上げなかった事をお許し下さい。

 私にとってはあの出来事は過去であり、思い出したくない出来事なのです。

 しかし、いつまでも忘れられないのも事実です。

 今でも眠っている時に、時々うなされて起きてしまう事があります。

 あの男たちの顔は二十七年経った今でも、忘れたくても忘れられないのです。

 だからでしょうか、そんな私の目に一人の男がまったのです。

 それはテレビの画面の中でした。

 芸人さんが街ブラをする番組で、

 ランチに立ち寄った店の厨房ちゅうぼうの中で料理を作っていた男が、

 あの日、私たちの人生を狂わせた男のうちの一人でした。

 当時、未成年だった名前も知らない男です。

 歳は取っていましたが間違いないと思います。

 詳しいお店の住所は分かりませんが、

 川越にあるうまか飯店という中華料理屋です。

 だけど、勘違いしないで下さい。

 この事実をあなたにお教えするのは、

 あなたに母親の復讐をして欲しいからではありません。

 いつまでも過去にとらわれずに前に進んで欲しいと思っての事です。

 男の所在を知れば、

 人捜しという無駄な時間を過ごさずに済むと思ったからです。

 母親の無念を晴らしたいというあなたの気持ちは理解出来ますが、

 どうか私と同じ過ちを犯さないで下さい。

 あなたは絶対に罪人になってはいけません。

 それは朋子も絶対に望んでいない筈です。

 くれぐれもご自分の人生を大切にして下さい。

                                敬具


 追伸

 このメールはネットカフェから送信したものです。

 ですから返信しても私の元へは届きません。


 私は多香子の忠告を無視して、次の日曜日に川越にある店を訪ねる事に決めた。


 【旨か飯店】は川越の市街地から少し離れた、川越街道沿いにあるありふれた庶民的な中華料理屋だった。三階建ての建物には外階段があり、二階と三階が住居で一階が店舗になっていた。


 十四時三十分。店内にお客がいなくなったのを見計らって私は店に入った。変装などする必要はないのだが、一応キャップをかぶり伊達メガネもかけて行った。


「いらっしゃい」男女の声が同時に迎えた。


 男はカウンターの向こうの厨房の中にいて、割烹着かっぽうぎを着た女はテーブルの上の器を片付けている最中だった。


 店内には男と女と私の三人だけだった。


「お好きなお席にお座りください」女が器を下げながら告げてきた。


 席はカウンター席が七席と四人掛けのテーブル席が三卓と、突き当りに狭い座敷が一部屋あった。


 私はカウンター席の真ん中に座る事にした。


 厨房にいた男は隅にある流し台で器を洗っていた。薄汚れた白い調理帽からはみ出した髪の毛には白い物が混じっていた。少年Aは事件当時十八歳だったのだから、現在の年齢は四十五・六歳の筈だ。


 女が水を持って注文を取りに来た。三十代半ばの小太りのこの女は、店の中に漂う空気感から男の妻だろうと推察した。


「チャーハンセット」


 男の作った料理など食べたくはなかったが、お腹が空いていたのでいつもの癖でつい本気の注文をしてしまった。


 男は注文を聞くと、手際よくチャーハンとラーメンを同時に作り始めた。


 厨房の壁に目を移すと、食品衛生責任者のプレートがられていて名前が書いてあった。


 【吉永光春】少年Aの名前が判明した。


 それから五分後にチャーハンが出来上がり、その一分後に半ラーメンが出来上がった。その味は店名のうまかというほどではなく、可もなく不可もなく至極しごく普通の味だった。


 扉が開いた。


「いらっしゃ……」吉永と女が同時に言い、同時に言葉を遮断しゃだんした。

「久実」女が呼んだ。


 入り口に目を向けると、扉のところにジーンズにグレーのパーカー姿の中学生くらいの少女が立っていた。一目見てその少女が女の娘である事が分かった。二人はポッチャリ具合がとても似ていた。


「あれ、まだお客さんいたんだ」

「何です、その口の利き方」

 母親が注意した。

「すみません、ゆっくり召し上がり下さいね」

 母親が私にペコリと頭を下げた。


 久実も母親にならって私にチョコンと頭を下げた。


「パパ」


 久実の後ろで声がして、五・六歳くらいの花柄のワンピースにピンクのカーディガンを着た女の子が、久実を押し退けて姿を見せた。


「あっ!」私はその女の子の顔を見て思わず声を上げてしまった。


 しかし店内にその声を気に留める者はいなかった。


 その女の子の顔は、私の小さな頃にそっくりだった。違いは私はボーイッシュで、目の前の女の子は肩の下まで伸びた髪をピンクのリボンでツインテールにまとめた女の子らしい女の子だという事だ。


 女の子はカウンターの一番端の席にひざを立てて乗り、厨房の中の吉永と楽しそうに話を始めた。


 吉永は女の子を【未来みらい】と呼んだ。


 どうやらこれから家族全員で未来のランドセルを買いに行くらしい。


 私の食欲は完全に失せた。


 この目の前にいる吉永光春という男こそ、私の生物学上の父親だ。


 しばらくすると、母親と二人の娘は出かける支度したくをする為に店を出て行った。


 店には私と吉永の二人が残された。私は心臓の鼓動が少し早まるのを感じた。


 何か言ってやろうか。


 今日は様子を見るだけのつもりでいたので、ぶつける言葉は用意していなかった。


 私は吉永と二人でいる息苦しさに耐えきれず、食事を中断して席を立ってレジへ向かった。吉永は待っていたとばかりにレジのところへ小走りにやって来た。


「八百六十円頂きます」


 私は吉永の顔を見ずに財布から千円札を出してトレイに置いた。


「ありがとうございました」


 吉永はお釣りをトレイに乗せようとはせず、私に直接渡そうとしてきた。私は仕方なく右手を出した。吉永はその私のてのひらにお釣りを乗せた。その時、吉永の指先が私の掌にチョコンと触れた。


”ゾワッ” 私の全身に虫酸むしずが走った。


 吉永はそんな私の気も知らず、器を下げにカウンターへ向かった。


「あの」その吉永の背中に向かって声をかけた。

「はい」

 吉永が振り向いた。手にラーメンドンブリを持っていた。

「忘れ物ですか?」

「私、諸星凛と言います」キャップと伊達メガネを外した。

「諸星さん……?」

「諸星朋子の娘です」

「諸星朋子……?」

「忘れてしまいましたか? それとも最初から名前なんか興味がなかったのかしら?」


 吉永の目には? が浮かんでいた。


「諸星朋子は二十七年前のクリスマスの翌日に、あなたとあなたの大学の先輩が渋谷のホテルで襲った女子高校生二人のうちの一人の名前です」


”ガシャンッ”


 吉永が持っていたラーメンドンブリが床に落ちて割れ、中に残っていたラーメンが飛び散った。


 吉永は顔を上げずに床を見ていた。割れたドンブリや汚れた床が気になっていたわけではないだろう。


「さっきここにいたのはあなたの奥さんと娘さんですよね」

「……」

「奥さんと娘さんは昔あなたが女子高校生にした事を知っているのかしら?」


 吉永は顔を上げずに首を横に振った。


「すみません……。許して下さい……」吉永は震えた声で謝罪した。

「私に謝って貰ってもしょうがないわ。謝るならお母さんに謝って貰わないと」

「来ているんですか」


 吉永は顔を上げて扉の外に目を向けた。


「来ていないわ……。なぜだか分かる?」

「……」

「亡くなってしまったからよ。私のお母さんはあなたたちに人生を狂わされて、苦労して若くして亡くなってしまったのよ。あなたたちにあんな酷い目に遭わされなかったら、幸せな人生を送れてただろうに……。あなたには……、お母さんの人生を狂わせたその償いをして貰うわ」

「償い……。償いならもう」


 コイツもか。


「少年院に入って償いは終わったと言いたいのね。でもそれはね、あなたがしたのは被害者への償いじゃなくて、ただ単に裁判所が決めた刑罰を受けただけなのよ。勘違いしないで頂戴ちょうだい

「それじゃあ、どうすれば……。お金は……」


”バシッ” 壁を平手で力一杯叩いた。


 その音に吉永はビクついた。


「ふざけた事言うんじゃないわよッ! お金なんかいらないわ。どうすればいいかって? あなたにはお母さんが味わった苦しみと同じくらいの苦しみを味わって貰うわ……。もし娘さんが同じ目に遭えば、私のお母さんの苦しみもあなたにも分かるかもしれないわね」

「ま、待ってくれ。娘たちは関係ない」

「分かっているわよそんな事ッ。想像してみなさいと言っているのよッ。もしあなたの娘が欲望をき出しにした男たちに襲われたら、あなたはその男たちにどうして欲しい?」


 吉永はまた黙り込んだ。


「何をすれば亡くなったお母さんや、あなたたちの罪を告発出来なくて泣き寝入りした女の人たちが納得する償いになるのかを自分で考えなさい」


 吉永は私の言葉に対して何も答えられなかった。


 吉永は自分の犯した罪は過去のものとして忘れていたのだ。答えは直ぐに出せる筈はない。


「また来るわ」私はそう言い残して店を出た。


 あの娘たちには悪いが、買い物には父親は同行しないかもしれない。


 私は吉永に何をして貰えば納得する償いになるのだろうか? ……何をして貰おうと正解はないのかもしれない……。一生償いについて考えさせる事が償いになるのかもしれない。


 今日ここに来て確かになった事が一つだけあった。


 それは、私に父親は存在しないという事だ。


 私はお母さん一人から生まれた子だ。



                            【終わり】


 最終話までお読み頂きありがとうございました。


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一償 秋川十一 @jyuitiakikawa

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