第十九話

どうしようもない野菜

 ――君は実に――どうしようもない男だな――



 暗黒の中で、その言葉が何度も響き、俺は目を覚ました。

 意識が焦点を結ぶにしたがって、三つの疑問が頭に浮かんでくる。


 ここはどこだろうか?

 周囲には白い物が立ち込めている。

 臭いの類は無い。という事は霧か? してみると部屋の中ではないということか。

 下は剥き出しの、味もそっけもない茶色い土のようだ。それは、一メートルも行かないうちに霧に飲まれて見えなくなっている。

 次に浮かんだ疑問は、一体何故こんなことになっているのか、ということだった。

 地面があまりに近すぎるのでは、と更に下を向くと、驚いたことに首から下は埋まっているようだった。試しに体を動かしてみるが、指一本動かせない。ならばと精一杯首を捻ってみても、斜め後ろまでしか向けない。やはり、そこも同じく味もそっけもない地面と霧の壁だ。

 つまり地面に首まで埋められ、霧の壁に囲まれているのだ。

 夢――か。

 単純な結論だった。

 だが、それなら最後に浮かんだ疑問も致し方ないのかもしれない。


 俺は自分の名前が判らなかった。



 ――君は実にどうしようもない男だな。私はここで神に祈ることにするよ――



 はっとして目を覚ます。

 いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。

 動けないのに、苦しくもなく、それどころかほんのりと温かい。

 だから、眠ってしまったのだろうか。

 しかし、夢の中で寝る、ということがあるのだろうか?

 もしや夢ではないのか――いやいや、状況が変すぎる。相変わらず自分が誰なのかも思い出せないし。


 俺は動けない体で伸び、のようなものをした。

 夢というやつは、見ている間は現実と区別がつかないと聞く。

 なら夢の中で寝る、というのもありなのだろう。

 それにしても、夢の中の夢で聞いたさっきの声は、自分の声ではないようだった。落ち着いた、そして非常に呆れた調子の、そう、老人のようだった……。


 神に祈る、とか言っていたな――


 俺は鼻で笑うと、周囲を見回す。

 相変わらず霧以外には何も見えない。

 上を見る。

 霧の向こうに、一際白く、そして丸く光るものが見える。

 太陽、だろうか?

 やはり、外か……。

「……おい、誰か……」

 俺は恐る恐る声を出した。圧迫感は無いが、声は出辛い気がした。

「誰かいるか? おい……俺、埋められてんだけど……」

 静寂。

 急に、自分が間抜けに思えてきた。恥ずかしくなり、そして、頭にきた。

「おおい! 誰か! 誰かいるか!? なんなんだよ、これは!?」

 叫び、体を動かそうとする。首の筋が張るのは感じるが、体が動く感覚は全くない。もしや、すでに長い間埋められていたので、色々と障害が起きているのだろうか?

「おい! 早くここから出せ! ふざけてるのか!? 俺を笑いものにしようってのか!!?」

 そうだ、そうに違いない。

 誰かが俺をここに埋めて、動画にでも撮って笑いものにしようってんだろう。

 怒りが加速する。

 そうなると――そうだ、いつも抑えが効かなくなる。抑えが効かなくなれば、あとは勝手に手が動いて――

「おい、こらっ! こんなもの全然笑えねえ――」


 悲鳴が聞こえた。


 男の悲鳴。

 だが、霧のせいか、遠いのか近いのかも判らず、そしてもう聞こえなくなった。

 ごくり、と喉が鳴る。

 なんだ?

 これも動画の演出――いや、これは夢のはずだったよな? 

 なら、そろそろ覚めてくれても――


 ぐしり、と大きな音がした。


 ぞくりと首筋に鳥肌が立つ。

 何だ、今の音は?

 再び、ぐしりっ。

 ぎゅむ、ぐしりっ。

 雪を踏みしめるような音。

 だが、酷く大きい。

 地面に目をやる。

 そこらに転がっている小石の位置が、さっきと違っているような――

 ぐしりっ。

 地面が――揺れている!

 どういうことだ、と俺は息を殺しながら、霧の向こうに目を走らせ続ける。

 みしり、ぐしり、と大きな音。

 俺は左を向いた。

 確かにそちらから聞こえた気がしたからだ。

 息を殺し、首を強張らせる。

 汗が額から右目の脇をつうっと流れていく。


 霧の向こうに影が現れた。


 俺は息を呑んだ。

 それは人の形をしていた。

 だが、巨大だった。

 まるでビル、いや山のような大きさ――


 悲鳴がまた聞こえた。

 霧の裂け目ができたのだろうか、間違いなく男の悲鳴だった。そして、すぐ後に、ぶちぶちという音が響いた。何かが千切れていくような――いや、肉がを裂けるような音。

 そして――


 ぼとっという音が聞こえた。


 いつの間にか、視界の端に小さな影があった。

 それはごろりごろりと、一ヶ所で揺れ、やがて止まった。

 いびつな球体で、表面に凹凸があるらしいシルエット。あれが首じゃなかったらなんなのだろうか?

 幸いなのは霧のせいで、詳細が判らない事だ。

 今、それが判ってしまったら、俺は悲鳴を上げてしまうんじゃないだろうか。



 ――君は悲鳴を上げたことがあるのかい? ――



 な――んだ?

 一体なんだ、この声は?

 俺は――

 そうだ! 階段を上る前に、部屋で交わした会話だ!

 俺が部屋に入った時、あいつは、あの爺は確かにそう言ったんだ!



 ――君は悲鳴を上げたことがあるのかい? ないだろう? つまり、君は人の痛みが判らないんだ。だから、そんな事が言えるんだ――



 そうとも、俺は悲鳴を上げたことが無い。

 むしろ――悲鳴を上げさせるほうだ。

 いや――だった?


 霧の向こうで、また大きな何かが動く。

 悲鳴。かすかに肉を裂く音が聞こえる。

 そして――霧が動いた。

 するするとカーテンのように霧が無くなっていく。


 あの影はやはり首だった。

 酷い表情の千切れた土に汚れた首。

 口を開けて、涙と鼻水を垂れ流した俺の首が転がっていた。

 俺は悲鳴を上げた。

 霧が引いていくにつれ、赤茶けた地面がどこまでも広がっているのが判ってきた。そこに、均等に並んだ首、首、首。そしてぽつりぽつりと転がっている千切れた首達。

 俺は更に叫び続ける。

 涙と汗、そして鼻水がとまらず、埋まっていて動かないはずの全身が震えた。

 見渡す限りに、俺が埋まっている。

 俺が転がっている。

 俺の首達は、俺や他の俺達を見て叫んでいるのだ。

 これは――

 これは夢だ、そうじゃなきゃ――――



「反省の言葉はない、か」

 教誨師きょうかいしの老人は、男の薄笑いを浮かべた顔にそう言って溜息をついた。

「君はこれから死刑に――まあ、言わなくても判っているのだろう。そう……現世での更生が駄目だとしても、来世で――君は無宗教だったよね? 生まれ変わりは信じていないかな?」

 男は鼻で笑い、老人にあざけりの言葉を浴びせた。

「……来世でも、生まれ変わっても殺す、か。八人殺しても、飽き足らない、と。そうか……君は悲鳴を上げたことがあるのかい? ないだろう? つまり、君は人の痛みが判らないんだ。だから、そんな事が言えるんだ」

 老人は扉の横に佇む刑務官に頷いた。

「君は――君は実にどうしようもない男だな。私はここで神に祈ることにするよ。ん?」

 老人は笑った。

 男の憎まれ口に、大いに笑ったのだ。

「はははは! 君の冥福なんて祈らないよ。私は、君が人に生まれ変わらないように、と祈るのだよ。

 そうだな……誰とも競わず争わない――管理された土地に植えられた植物、そう、野菜なんていいんじゃないかな? うん、君が野菜になれますように、って祈ることにするよ」

 男は呆れ、笑った。

 だが、老人は笑っていなかった。



 辺りがふっと暗くなった。

 影だ。

 真っ黒い、人の形をした大きな塊。それが複数辺りをうろついている。

 やや小さい無数の影と、巨大な二つの影、それらが一ヶ所に集まってしゃがみ込むと、悲鳴と肉の裂ける音が聞こえ始める。

「た、たすけ、助けてくれ――」

 俺の叫びが聞こえる。いや、喋っているのは俺自身か? もう、それすら判らない。歯がかちかちと勝手に噛み合わさり、なのに体はぴくりとも動かない。手も胸も、足の感覚もない。鼓動すらない気がする。

 きっと――きっと俺の首から下は、絡み合った根っこなのだ。

 だから、だから――


 ぞくり、と髪の毛が逆立つ。

 巨大な影達が俺の方を見ていた。

 やめろ、と俺は呟いた。

 やめろ、やめてくれ。

 影達が一列になって近づいてくる。土を踏みしめる音がどんどん大きくなる。

 やめろ! 触ったら殺す、殺すぞ!

 影達はしゃがみ込み、その巨大な手が俺の頭を掴む。

 撫でまわし、ぐっと圧力がかかり、そしてぐりぐりと首を左右に回し始めた。

 ひ、引きちぎる気か!?

 やめてくれ! やめて! 助けて! 痛い! やめっ、お願い、いた――




 のどかな日だった。

 学校の近所にあるこの畑は、毎年子供達の体験学習のために開放されている。折り畳まれ、畑の脇に積まれた白く薄い防虫ネットは、昨日の大風で骨組みが壊れたらしく、先ほどまでキャベツ一個一個に覆いかぶさっていた。

 大風が続いていたら延期だったな、とジャージ姿の女性教諭は胸を撫で下ろす。

「……はい、では、キャベツの収穫なんだけどもね、ホントならこう、根元の部分に鎌を入れて切るんだけど、皆さんには危ないので――」

 女性教諭はそう言って、子供達を見た。

 熱心に聞いてくれている子が八割、退屈そうに地面をいじっている子が二割、そして残りは――

「先生! ほら! 見てて、見てて! はあぁ~~~っ……」

 やれやれ、と女性教諭は苦笑いすると、畑の持ち主の老人に頭を下げた。牧師である彼は、同じく苦笑いをしながら、やんちゃをしている子供に温かい眼差しを送っていた。

 その子は、気合を入れながらキャベツの下に手を入れ、左右に捻って千切り取ろうとしているのだ。

 あらあら、腰をやっちゃわないかしら。

 女性教諭が不安に駆られたのと同時に、ブチブチと音がした。

 顔を真っ赤にしたその子は、自分の頭よりもやや大きなキャベツを、頭上に掲げた。

「とっっったどーっ!!」

 皆がどっと笑い、凄い凄いと拍手が巻き起こった。

 まったくもう、と女性教諭も笑いながら拍手をした。

 牧師の老人はキャベツを受け取ると、子供達に向かって微笑んだ。

「さて! 今からこのキャベツを使って美味しいシチューを作るんだけど、手伝ってくれる人はいるかな~?」

 子供達は一斉に、はーいと手を挙げた。

 だが、キャベツをもぎ取った子は、畑に目をやっている。

「……ねえ、牧師さん、もう一個キャベツをとってもいい?」

 老人はその子が見ているであろう方に目をやった。

 畑のはずれに、隠れるように生えている丸々としたキャベツ。

「そうだね。もう一個ぐらいは……いいかな」


 子供達の何人かが立ち上がり、その子を先頭にキャベツに近づいていく。

 老人と女性教諭も土を踏みしめながら、その後に続いた。


 了

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なんとなく怖い話 島倉大大主 @simakuradai

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