ささみサラダ・十一鉢目

 つぐみを乗せた救急車には、文太ぶんたがつきそうことになった。


「みどりちゃん、ひばりよ、彦一ひこいちなら心配するねえ。

 だからよ、ここで待っていてやっておくれ」


 本当は文太だって彦一の安否が気になる。

 だけど、つぐみも大切な孫である。

 だからふたりに頭を下げた。


「文太さん、ここはわたしがいる。

 それにひばりちゃんも一緒。

 だから、つぐみちゃんをお願い」


 サイレンを響かせて、高規格救急車が走り出した。

 ひばりは目で追いながら、隣に立つみどりの白衣を両手でギュッとつかむ。

 みどりはひばりの肩に手を優しく回した。


「大丈夫、大丈夫よ、ひばりちゃん。

 あなたのおにいちゃんは、誰よりも強い男なんだから。

 それに」


 みどりは舞い上がる炎をものともせず、同僚の消防士と小型油圧ジャッキを担いで階段を駆け上っていった恭司きょうじのたくましい後ろ姿を思い出す。


「恭ちゃんなら、必ず約束は守ってくれるはずだから」


 みどりは目尻からあふれる涙にも気づかず、心からみんなの無事を祈った。


 ボンッ!

 ボンッ!

 ボンッ!


 激しい爆発音がビルの内部から、大量の黒煙と共に国道に響く。

 まるで爆撃を受けたかのように、アスファルトの地面が揺れた。


 みどりはひばりをかばい、しゃがみこむ。

 警察官は野次馬を避難誘導し、消防隊は持ち場で必死に消火作業にあたる。

 みどりの門下生である警官が駆け寄ってきた。


「先生!

 やはりここにおられては危険ですっ。

 すぐに安全確保できる地点まで、お下がりください!」


「待って、お願い。

 わたしの大切な友人が、まだビル内にいるのっ」


「ですが、このままでは二次被害に拡大するおそれが」


「アアーッ!」


 警官の言葉を遮るような大声で、ひばりが叫んだ。


「みどりちゃん!

 見て!

 ほらっ、あの煙のなかから」


 みどりはひばりを抱えたまま、背後を振り返る。

 ヘルメットにマスクで顔はわからないが、体型から恭司だとわかる消防士が非常階段へ姿を現した。


 そして、その背には両腕をだらりと下げ、頭がうつむいている男性が背負われていた。


「ひ、彦、ちゃん」


 みどりは身体から、すべての力が抜けていく感覚に陥った。

 あの背負われ方は、間違いなく彦一は還らぬひととなった証拠だ。

 みどりにつられるように、ひばりもクタリと地面にしゃがんだ。


「みどりちゃん?

 彦ちゃんは、おにいちゃんは無事だよね?

 ね?」


 みどりの両目から、とめどもなくあふれる涙の意味に気づくひばり。


「いやだ、いやだよう!

 彦ちゃん!

 おにいちゃーん!」


 ひばりは立ち上がって走り出した。

 恭司は階段を下りるとビルから遠ざかり、背にしていた彦一の身体をアスファルトの上に、そっと横たえた。


 彦一は無残な姿と化している。

 髪は全体がチリチリに焦げ、目を閉じた顔は靴墨を塗ったように黒い。

 シャツも破れ、焦げ、まだうっすらと煙が立ち上ってきている。


「ウワーンッ!

 おにいちゃーん、おにいちゃーん!」


 ひばりは泣きながら彦一の身体に覆いかぶさった。

 他の消防隊員が引き放そうとするのを、マスクを外した恭司がだまって首をふる。


「う、ウソよね、彦ちゃん、アンタまさかこのわたしを遺して、おかあさんたちの世界へ行っちゃったんじゃないよね。

 わたし、わたしは彦ちゃんがいなくなったら、どうすればいいの!」


 みどりは彦一にすがりつきながら、恭司を見上げた。


「恭ちゃん、約束したよねっ。

 絶対に、絶対に彦ちゃんを助けるって」


「みどりさん」


 恭司は真剣な眼差しでみどりを見る。


「ぼくは、決して約束は破りませよ、昔から」


「えっ」


 恭司はグローブをはめた手の、親指を立てた。


「ひ、彦ちゃん!」


 みどりは彦一の汚れた顔を、両手で包んだ。

 彦一は手を伸ばして、泣きじゃくるひばりの背をなで、そして両目を細めてみどりが包む手を見つめる。


「みどりんの手って、なんだか優しくて気持ちいいんだなあ」


 みどりはひばりと一緒になって、横たわる彦一に覆いかぶさった。


 ~~♡♡~~


 中村なかむら区にある、ナゴヤ第一赤十字病院。

 救急部が設けられており、十日前に発生したホテル・ニューオオタミの火災現場から、数名の被災者が搬送されていた。

 つぐみ、彦一も含めて。

 

 つぐみは幸いなことに外傷はなく、煙により気管支が軽い炎症を起こしただけであったため、念のため一夜を病室で過ごした。

 翌日には体調ももどり、文太とひばりと共に自宅へもどることができた。


 彦一は落下したコンクリートの塊に左脚を挟まれたのだが、直撃ではなく、さらに幸運なことにコンクリート内部の折れた鉄筋が支えとなっていたため、足首の捻挫だけで済んだ。


 ただかなりガスを吸っていたために全治二週間の診断を受け、現在も入院生活を余儀なくされている。


「彦ちゃん、どう具合は」


 時間を作っては、みどりがお見舞いに病室を訪れてくれる。

 彦一は整形外科病棟の六人部屋で加療中である。


「ありがとうね、みどりん」


 ベッドの上で編み物をしていた彦一は、嬉しそうな表情を浮かべた。

 病院指定の寝間着姿だ。

 みどりは明るいグレーのシャツに赤いプリーツスカート姿で、両手に荷物を持っている。


「これ、文太さんが入れてくれた下着類とタオルね。

 編み物までこなすんだね、彦ちゃんは」


 みどりは慣れた様子で、ベッド横のパイプ椅子を出して腰を下ろした。


「うん。

 つぐみがね、教えてほしいっていうからさ。

 少し手慣れておこうと思って。

 この冬までにさ、なんかマフラーを編みたいんだと。

 俺に言ってくれれば編んでやるのに、どうしても自分で編みたいなんて真剣に言うわけよ。

 いったい、誰のをつくるんだ?」


 みどりには察しがつくが、あえて口にはしない。

 だから話題を変えた。


「それと、こっちはクッキーを焼いてきたから、おやつに食べて」


「ええっ!

 みどりんって、クッキーを手作りできたっけ?

 あっ、いや、そうだよねえ。

 みどりんは女の子だもんな。

 クッキーくらい焼けるわなあ。

 あはっ、あはははっ」

 

 彦一はみどりの切れ長の目に、剣呑な光が灯ったのを見逃さなかった。


「お店は文太さんが、つぐみちゃんと一緒に頑張ってるようよ。

 つぐみちゃんったら、毎日お弁当をひばりちゃんの分と一緒に作ってるんだけど、焦げた玉子焼きとウインナーしかおかずが入っていないって、ひばりちゃんがベソをかいていたわ」


「ああ、らしいね。

 昨日はつぐみとひばりが来てくれたんだけどさ。

 驚いたことに、恭ちゃんまで一緒でね」


 彦一は首をかしげている。

 みどりはつぐみから聴いていた。

 恭司はつぐみが退院した翌日にお店ではなく、自宅へつぐみのお見舞いにきてくれたこと。

 かなり心配してくれていたこと。

 それから、メールアドレスを交換したこと。

 まだ彦一には報告していないようだ。


「そっかあ、恭ちゃんがね。

 でも、ホント、素敵な男性に成長しちゃって。

 みどりおねえさんは、なんだか乙女心がくぐられちゃうわ」


 みどりは色っぽい表情で、宙に視線を向ける。


「い、いや、でもね、みどりん。

 やはり年齢差というか、なんというか。

 みどりんに恭ちゃんは、どうかなあ。

 みどりんには、ある程度年齢を踏まえた男?

 のほうが、しっくりくるような」


「たとえば、彦ちゃんとか?」


「そうそう、そうよ。

 俺なんてまさしくオトナの男。

 みどりんには、もっともふさわ」


 ここで彦一は口を開けたまま固まる。

 顔がみるみる赤くなっていった。


「なによぅ、彦ちゃん。

 その先を、みどりは聴きたいなあ」


「あら?

 あらら、な、なんだか急に熱っぽくなってきちゃったな、これが。

 いや、まずいな。

 えーっと、ナースコール、ナースコール」


 彦一は真っ赤になった顔で、ベッド周辺をさがすフリをする。


「もうっ、彦ちゃんのイケズ!」


 みどりは頬をふくらませ、包帯の巻かれた足首を思いっきり裏拳で弾いた。

 ナース・ステーションまで響き渡る彦一の絶叫。

 その様子をお見舞いにきていた、つぐみとひばりは病室のドア越しに眺めていた。


「あれは、おにいちゃんが悪い」


「これでぇ、また入院が伸びること請け合いだねえ、つぐみちゃん。

 はあっ、当分あの超アバンギャルドなお弁当が続くかと思うとぉ、あたしは悲しくなってしまいますう、トホホ」

 

 ~~♡♡~~

 

 消防と警察の現場検証により、ホテルが消防法を遵守することなく、スプリンクラーや防火シャッターなどを設置していなかったことが判明した。

 しかも非常ベルは故障したまま放置されていたようだ。


 さらにサービス業でありながら、従業員に緊急避難時のマニュアルを徹底していなかったことも、聞き取り調査で明るみに出た。


 当然ながらホテルの実質経営者である大手居酒屋チェーンの経営陣には、行政指導が厳罰に下されることとなった。


 幸いなのは、このホテル火災で命を奪われたひとはいなかった点だ。

 宿泊客がゼロであったこと、ホテル内には講演会参加者とホテル従業員のみであったことが幸いであった。

 そして、彦一やつぐみがそれこそ命懸けで、避難を呼びかけたからである。


 新聞やテレビの報道で、彦一はそれらの経緯を知る。


 夕暮れ。

 ベッドから窓越しに見える夕焼けが、とても美しい。

 彦一はあの日、火災現場で三人の母親に会った。

 そのことは、結局誰にも話していない。

 夢か幻かと笑われるだけだから。

 だけど彦一は信じている。

 かあちゃん、おかあさま、ママはいつだって、どんなときだって、愛する我が子たちを見守っていてくれていると。

                            第三話 終り

「本陣メーエキ商店街、焼き鳥まいど!」了

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本陣メーエキ商店街、焼き鳥まいど! 高尾つばき @tulip416

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