第3話『掃除と説明』

 手錠で動きを制限された基晴。

 それを良しとして、幸せそうな笑みを浮かべる美菜。


 しかし、部屋に押し入った美菜の目には基晴しか移っておらず、兄の部屋が今どうなっているのかに気付くのが遅れた。

 余韻が冷めたところで美菜は唖然。


「………なんなの、この汚部屋は?」

「…………」


 美菜の大好きな兄は隣で、手錠で繋がった事実と自身の汚部屋から現実逃避。

 その様子を見た美菜は呆れ顔で基晴を眺め、やがて決意したように付けたばかりの手錠を外す。


「み、美菜……?」

「今すぐ片付けよう、お兄ちゃん!」

「おおう……」


 迫力に押された基晴は素直に頷く。

 現状、基晴の部屋はそれは見事なゴミ屋敷と化していて、廊下は足の踏み場が皆無。

 綺麗好きな美菜にとっては、この環境を許容することは断固として出来ない。


「あ、手錠外したのは──」

「手錠なんてしてたら、お掃除が上手くできないでしょ? でも……終わったらまた付けるから、絶対に逃げないでね?」


 結局は手錠付けるんだ……、と基晴は消え入りそうな声を漏らした。

 それを聞き流した美菜は袖をまくって、ヘアゴムを外しポニーテールに結び直す。


「下着とか、見られたくないものは今から隠しておいてね」

「わ、わかった……」

「でもエッチな本は出しといて。全部処分しておくから……」

「ないからな!?」


 そして、美菜指導のもと部屋の掃除が強制的に始まった。

 まず足の踏み場を確保して、次に床に散らばっている衣服は全て洗濯機に放り込む。


「エッチな本はなさそうだけど、散らばってる雑誌は要らないよね。種類はバラバラだし、その時々で気になったものを買ってるだけだもんね」

「あー、せめて料理が載ってる本は残して欲しいんだけど……」

「お兄ちゃんって、料理好きだよね。床は散らかってるのにシンクだけは綺麗」

「まぁな。やっぱり料理は楽しいしな」

「お皿も綺麗に片付けてる。食器類はちゃんと洗えるのに、どうして掃除は出来ないんだろう……」


 呆れたような、或いは懐かしそうな様子を見せる美菜は、器用に手と口を動かす。

 散乱していたゴミはあっという間になくなり、雑誌は次々と纏めて縛る。


「相変わらず手際がいいな」

「お兄ちゃんは口じゃなくて手を動かさなきゃダメだよ」

「ハイ………」


 注意された。

 掃除中の美菜は普段と違い凛々しいというか、厳しい性格になってしまう。

 この時ばかりは、美菜の甘えん坊も鳴りを潜めて実におとなしい。




「やっと綺麗になったね」


 満足した様子の美菜は、袖を下ろして来た時と同じようにツインテに戻した。

 掃除は半日を費やしてなんとか終わり、フローリングの床が久しぶりに顔を出した。


「ありがとな美菜」

「ちゃんと維持できるように努力してね、お兄ちゃん。これから住む部屋が汚部屋なんて、やっぱり嫌だから」

「善処するよ」


 実家にいた時のような会話に苦笑したが、ふと、美菜の言葉に違和感──聞き流してはいけない単語を見つけた。


「『これから住む部屋』?」


 ついさっき美菜は、そんなことを言っていなかっただろうか──?


 基晴が気になって見つめると、美菜はパチパチと瞬きをして小首を傾げる。

 よく考えてみれば、何故ここに美菜が来たのかを説明されていなかった。



「………で、美菜は何しに来たの?」

「……? お兄ちゃんに会いに来たんだよ?」

「ふーん…………」


 あの様子じゃそれしかないか、と手錠の件を思い出して強く頷く。


「………で、美菜は何しに来たの?」

「だから会いに来たの。そして今日からまた一緒に住むんだよ!」

「ぇぇ………」


 単純に「なんで?」と疑問に思う。

 父と母との約束で、美菜の進学先は地元、もしくは基晴と離れた学校にする事になっていた筈だ。これでは約束が違う。


「私もね、スポーツ推薦で葉月第一に入ることになったの」


 兄の疑問を察したのか、美菜は玄関に置いていたキャリーバッグを持って来て、ゆっくりと何があったのかを話す。


「お母さんもお父さんも、地元の高校に通ってほしいって言ってた。でも、美菜はお兄ちゃんの所に行くって『説得』したの」

「説得………?」

「そう、『説得』」


 何故だろう──?

 基晴の知っている「説得」と、美菜の言う『説得』の意味合いが違う気がした。

 兄の訝しげな様子に気付いていないのか、美菜は神妙な面持ちで続ける。


「ずーっと反対されて、でも諦めずに『説得』したの。長かったけど、やっと納得してもらったの」


 まただ………、と美菜の言う『説得』が何か違うことを確信した。

 しかし、それをどう指摘していいか分からないため、基晴は黙って続きを促した。


「それでね、もう一つお部屋を借りるのは勿体ないでしょう? だから、お兄ちゃんのお部屋に住むことになったの」


 父の『すまん、もう無理だ。お前がなんとかしてくれ』というメールの意味が、ようやく正しく伝わった気がした基晴。

 詰まるところ、父と母は盛大に失敗したのだろう。

 その結果、逆に負かされた………と。


(そういえば………なんだか、妙に逞しくなったよなあ美菜)



 一年前の幼児退行型号泣事件。

 あの頃の情けなくも、愛らしい姿からは想像も出来ないほどに凛々しい。


 立派に成長したようで兄としては嬉しい。

 嬉しいのだが………


(ブラコンは治らなかったか……)


 若干の落胆も感じた。

 美菜と離れた最大の理由は、そのブラコンと甘えん坊な性格を修正するなおすためだった。

 なのに、実際はブラコンに拍車が掛かった様子を見せている。


 距離が離れたことに比例して、逢いたい想いが募ったのだろうか。

 あるいは、逢いたいのに逢えないもどかしさが、より一層愛おしい想いが募りに募ってしまったような………。



 まるで、そう───遠距離恋愛みたいだ。



「そうか……。俺になにも知らせなかったのは──」

「去年はお兄ちゃんがそうだったから」

「進学先を葉月第一にしたのは」

「お兄ちゃんがいるから!」

「………あ、そ」


 進路は自由だが、兄を追って選ぶことに反感を覚えた基晴。

 しかし、思い返せば美菜は兄の跡を追いかけるような人生を送っている。

 例えば部活動なんかは、兄がバスケ部だから自分もそうしただけだった。兄が部内で貢献すれば、「今度は自分も」と張り切って努力を重ねていたのだ。


 そうして、スポーツ推薦が貰えるまでに実力をつけたのだろう。

 今までと変わらずに、兄の跡を追い掛けるためだけに………。


「美菜、お前はもっと自立を目指した方が良いと思うぞ」

「? 分かった。美菜、頑張るからね!」

「……ほんとに分かってるのかねぇ」


 分かっていないのだろう、と美菜の将来を思い嘆息する基晴。

 そんな時、美菜は「あっ!」と何を思い出したのか、唐突に大きな声を上げる。


「どうした美菜……?」

「あー、うん忘れてたことがあって」

「忘れてたこと?」


 訝しげな基晴にそっと近付いた美菜は、流れるような手捌きで、基晴の左足と自分の右足に先の手錠をかけた。


「……ふぅ、これで良しっと」

「良くないわ」


 足首に冷たい感触が走り、なんだかむず痒くなってきた。

 同じものを付けてる筈の美菜は、どこか満足げ──或いは安堵している様子だ。


「つか、なんで今度は足なの!?」

「さっき二人で部屋を掃除したでしょ? その時に気付いちゃったんだー。手だと色々と不便だってことにね!」

「そもそも手錠をかけること自体がおかしいんだけどな。なんでこんな事を……」


 論点がおかしい、と基晴は必死に美菜の説得に掛かるのだが──


「だってぇ〜〜、もう離れたくないもん」

「つまり何か? これから一生、俺たちは手錠を足にかけたまま過ごせと?」

「大丈夫! 流石に外では外すから」

「そういう問題じゃねええええ!!」


 美菜の幸せそうな表情から、これが冗談でも何でもないことが分かった基晴は、この先のこと考えて頭を抱えた。

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