第8話『目醒め』

 葉月第一高校には学生食堂と購買が設けられており、学食組や購買組、弁当組に三つの勢力に分かれている。

 その中でも、基晴は費用を最大限に抑えられる弁当組に属している。当然、それに倣い美菜も弁当組である。


「今日も美味しそうだねー」

「今日も一口貰っていいよな?」


 そして、今日も基晴の席には野良犬が弁当を集りにやって来た。


「お前ら、一口だったことあったか?」


 基晴は忌々しそうに睨め付けるが、真希も晴樹も引く様子はない。

 それどころか、二人は持参してきた爪楊枝でウインナーに狙いを定めていた。


「おっと。毎回毎回、盗られてたまるか」

「いいだろう? 減るもんじゃない」

「具材が減るだろ」

「まぁまぁ、妹尾君。食べ過ぎは体に良くないんだから、ウインナーの一つや二ついいじゃない」

「二つしかないから。お前たちが食ったら無くなるから」


 何度も同じやりとりを繰り返して、いい加減飽き飽きした基晴。

 物々交換ならば応じよう。だが、二人は何の見返りも用意していない。

 時間の無駄である。


「さっさと学食行けばいいだろ。人の弁当を盗ろうとすな」

「ほら、学食って金掛かるじゃん」

「……」

「勿体ないだろ?」


 なに言ってんだコイツ? という視線を晴樹に向けたが、どうも、分かってなさそう。

 次いで、真希には「コイツなんなん?」的な視線を向けたが、こちらにも、伝わらなかったようでキョトンとしている。

 やはり漫画や小説のように、視線だけで相手に考えを伝えることはできないのだ。


「頭、大丈夫か?」


 だからこそ、こうして口に出すしかない。

 基晴の言い草にカチンときたのか、晴樹は不満そうな表情を浮かべる。


「学食は金掛かるだろうが」

「いやだから? だから人の弁当盗るの?」

「分けてもらおうとしただけだろ」

「断った筈なんだが?」


 つまらない、不毛でくだらない言い争いが勃発した。

 それは小学校低学年の男子二人が、「ピッチャーは俺(僕)がやる!」という、なんとも不毛ながらも微笑ましいケンカのよう。

 しかし、小学校低学年までなら許されるであろう争いを高校生がやらかすのは、只々、不毛であった……。


 基晴も「なんでこうなった?」と内心酷く戸惑っていた!

 引き金を引いた晴樹に至っては、どうも引くに引けない感じに勝手になっていた。


「…………」

「…………」


 それ故にお互い押し黙る。

 この程度の──小学校低学年或いは、幼稚園児レベルの口喧嘩を続けるのは、あまりにも滑稽である。

 だからこその無言。

 特に発展性もなければ衰退性すらない口喧嘩を続けるメリットはない。

 さらに、この場には琴浦真希という女子生徒がいる。とりわけ、彼女に対して特別な想いがある訳ではない二人だが、それでも女子の前で醜態を晒したくはない。


 よって、二人は押し黙る他ない!


(っ………と、とっとと何か喋れよな。早く……これ以上、恥をかきたくないんだからよぉ!)


(黙ってないでなんか話題ふってくれよ……え、頼むからっ)


 双方の考えは同じ。低レベルな掛け合いの末に得た当たり前の羞恥心。

 もはや、どちらかが何かせずとも充分な辱めを受けているのは言うまでもない。


「…………?」


 そして、この奇妙な雰囲気を正しく認識しているのかいないのか、当の真希はキョロキョロと二人の顔を交互にチラ見。

 ここで琴浦真希第三者の介入があれば、すぐにでもこの空気は破壊される。しかし元凶の二人が押し黙るため、真希も空気に呑まれ言葉を一切発しない。


 まさに混沌カオス領域フィールドと評しても過言ではない!


(クソぉ……だ、誰か………)

(こ、この空気を………っ)

(う〜ん? いつまで続くのかな?)


 およそ二分。

 三人は不可解な沈黙を続けていたが──


「妹尾くーん、妹さんが来てるよー」

「………!」

「っ!?」

「え、美菜ちゃんが?」


 不満顔でこの場に現れた救世主によって、混沌は空気に溶けて消えていった。


「おにいちゃーん。今日は一緒に食べよって言ったよねー!」

「み、美菜………」


 声に怒気はなさそうだが、片手に弁当袋を持って兄のもとへと歩く。

 上級生クラスだというのに、全く遠慮のない歩き方が基晴を困惑させる。


「な……なななな………ッ」

「わあぁ……か、可愛い………!」


 また、それとは別な理由で晴樹と真希も目を見開いて………見惚れていた!


「もう、お兄ちゃん。ぜーったい忘れてたよね?」

「忘れてた……っていうか、美菜が勝手に言ってただけで──」

「屋上! 屋上で食べよーよー」

「あ、おい……引っ張るなって」


 辛抱堪らん! とでも言いたいかのように、美菜は基晴の手を無理に引く。慌ただしく開いたばかりの弁当を片付ける。

 晴樹と真希は未だに見惚れているため、特に声を上げる様子がない。そんな様子の彼らに、美菜は全く見向きもしなかった。


「はやく早くっ!」

「だから引っ張んなって」


 こうなった美菜は止められない。

 経験則で悟った基晴は早々に諦め、美菜に手を引かれるまま教室を後にした。


「ハア……想像より可愛かったなぁ……」

「…………娘にしたい」

「え゛っ……?」

「えっ?」


 なにやら危険な発言をした晴樹に、勢いよく顔を向けた真希は絶句する。

 麻薬にでも手を出したのでは? と、思わせるほどに顔を綻ばせた晴樹は………とんでもなく、気色悪かった。


「………正気、なの?」

「え? え、何が?」

「…………」

「………?」



 どうやら──目醒めたらしい。

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