第9話『突然のピンチ』
美菜にやや強引に手を引かれた基晴は、引かれるまま屋上の階段に差し掛かる。
ここまで来ると、流石に周りの生徒たちの視線が少しばかり痛い。特に美菜はマスコットキャラ、またはゆるキャラ的な可愛さのある少女なだけに目立つ。
その仕草、思考回路などの要素が相まって「お持ち帰りしたい!」と、思わせるには充分な素材であった。
それはそれとして、そんな愛くるしい生き物(もはや小動物的な扱い)に手を引かれる基晴は、バツの悪そうな表情を浮かべてはいるが諦めている。
美菜がこのような行動に出るのは、これが初めてではない。そのため、基晴と美菜の関係が兄妹であることは既に周知の事実。
無邪気な妹に手を焼く兄。
同情のような、癒されたような生暖かい視線を受けた基晴は…………とても、とても恥ずかしかった!
「美菜、そろそろ手を離して」
「もうすぐ着くから我慢してよー」
若干顔の赤い基晴に対して、美菜は屈託のないニコニコフェイスを浮かべている。
自身の行動に羞恥を感じず、それこそ子供のような言動を臆面もなく晒す。その様は、他人から見たら微笑ましく、なんとなく気分が晴れやかになる。
しかし……。
そんな視線を向けられる方は、たまったものじゃない。
「美菜……。せめて手は離してくんない?」
「お兄ちゃん、美菜と手繋ぎたくないの?」
「………まあ、うん。歳も歳だから、ちょっと恥ずかしいな」
「…………っ」
「そ、そんな泣きそうな顔しなくても……」
瞬間──。
基晴に向けられる視線が殺気に変わるっ!
ぶるるっ、と震えた体。
基晴はチラッと周りを軽く見渡して、すぐに正面の妹に意識を戻す。
(泣かした………っ!)
(美菜ちゃんを、泣かしたわよっ)
(手ぐらい良いだろっ!)
──と、近くで兄妹を観察していた生徒たちの心は見事に一致した!
度重なる美菜の微笑ましい言動。
それに甲斐甲斐しく付き合う兄という構図は、生徒たちの間ではもう当たり前の光景であり、日常の一端である。
そして校内の大半が妹────美菜の味方である。
詰まるところ、美菜の哀しそうな表情や泣き顔など絶対に見たくはない。
よって──例え兄であれ美菜を傷つけるのは絶対に容認できない!
最悪の場合、その元凶と話し合いも辞さない覚悟すらあるお節介な生徒たち。
その覚悟は基晴にも伝わっている。
(ああもう、やりづらっ………!)
美菜のことを思えばこそ、なるべく早い段階で兄離れしてほしい。しかし──
(くそぉぉぉ………っ、この状態じゃあもう無理だって……)
下手なことをすれば闇討ちされ兼ねない、とさえ思えるほどの危機感を感じていた。
「ああ、もう兎に角行くぞ。続きは二人っきりでな」
「…………うん」
「だから……その、そんな悲しそうな顔しないでくれ」
一刻も早くこの場を離れたい基晴。
周りの雰囲気にあてられ、「なんか妹にヒドイことをした」気分になっている現状を回避するには、場所を移動するしかない。
この圧倒的アウェーな空間において、もし、妙な『お願い』でもされようものなら、まず間違いなく叶えざるを得ない!
(今の美菜は、一体なにを要求するか分からんからな……っ)
そう、一年前ならいざ知らず。
再会早々に手錠で拘束するような、サイコパス妹となってしまった美菜に対し、基晴は貞操を奪われるので? というレベルの危機感を感じている。
故に基晴は、一刻も早くこの場を立ち去らなくてはならない!
「今日は良い天気だからな。きっと青空のように晴れやかな気分でご飯が食べられるぞ」
「お兄ちゃん? どうして引き攣った顔なの?」
「気のせいだ」
「でも──」
「気のせいなんだ。な?」
「う、うん……わかった」
余裕があまりない基晴は、よくいう「顔は笑ってるのに目は笑ってない」状態で、美菜に迫っていた。
そして今度は基晴の方がやや強引に、美菜の手を引き屋上までの階段を上がる。
「ふぅぅぅ………やっぱまだ寒いなぁ」
「んにゅ〜。でも、お日様あったかいよぉ」
猫のように喉を鳴らす美菜。
昼食を摂る前から眠気を感じているのが見て取れて、午後の授業は大丈夫なのか、割と本気で心配になる。
噂では、午後の授業どころか四限目で船を漕いでいるとか。本人は否定している。
「それよか早く食うぞ」
「あっちにベンチあるよ。行こいこー」
葉月第一高校の屋上は、生徒の立ち入りを制限してはいない。扉の鍵も特にかけられることもなく、いつ、誰もの出入りが許されている珍しい教育機関だ。
もちろん、誤って落下するようなことがないように、三メートルほどのフェンスで囲まれている。
さらにベンチや畑が備え付けられており、妙にお金の掛かった造りになっていた。
「お兄ちゃん、こっちこっち!」
「急に元気になったな。……あいつ、ほんとに女子高生か?」
腕を大きく上にあげて、ぶんぶんと勢いよく振り回すさまは────そう、小学生のように見えてしまう。
「もう、お兄ちゃん早く!」
「はいはい」
駄々っ子のような姿も、歩みの遅い兄を呼ぶ声や膨れっ面も子供そのもの。
精神年齢は小学校からあまり成長したようには、残念ながら見えない。可哀想なくらい幼く見えてしまい、将来、ちゃんと結婚できるのか不安になる。
「兄離れの方が先か」
果たして美菜は、兄離れ及び結婚が出来るのだろうか。
基晴は小さくため息を吐いて、美菜の隣に腰をおろした。
甘えん坊な妹は兄のラブコメの邪魔をする。 花林糖 @karintou9221
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