第6話『兄頼り』

 部活動。

 学生にとって、それはコミュニティの一つであり、青春を謳歌する上で最も好んで行われる活動である。


 中には友人の誘いより部活、恋人の時間より部活を……勉強より部活を優先する学生も多くいるだろう。

 部活動に情熱を注ぐ者は、それ以外の時間を切り捨ててでも努力を惜しまない。


 そんな彼らの深層意識にはいつだって、「俺(私)には部活がある!」などという、精神安定剤の役目を担う決まり文句が存在している。

 例え友人からの誘いがなくなっても、恋人から愛想を尽かされても、赤点ギリギリであったとしても──



「私にはバスケがあるからいいもん!!」



 そんな艇の良い言葉で自身を騙し、現実から逃避しようとしている。

 それこそが、部活動に人生の殆どを捧げてしまった者が成せる業である。


「いやダメだから。小テストだからってこの酷い点数を無視できるか」


 ──が、学生の本分は勉強であることは変えようがない。


「はああああ………お前、一体中学でなにを学んでたんだ?」


 そんな現実逃避を恥じも外聞も捨てて曝け出し正座する妹を前に、基晴は冷や汗を流していた。


 たった一年………されど一年間で、兄不在の中で美菜がやっきたこととは何か。



 それは──部活動に他ならない!



 正確には女子バスケットボール部であり、美菜がバスケをしていた理由は「兄はバスケが好きだから」であった。


 美菜がバスケを始めたのは小三の夏。

 それまでバスケに何ら興味を示さなかった美菜であったが、兄が小四の時に地元のバスケットボールクラブに入ったことを切っ掛けに、兄の跡を追って始めた。


 その頃は兄の楽しむ姿を見るのが好きで、真面目さはほぼ皆無。

 しかし、兄のチームとの練習試合で惨敗したのを切っ掛けに心を入れ替え、今までの分を取り返すが如き早さで上達する。


 そんな一生懸命な妹の姿を見て、基晴の心にも火が付いた。

 妹に負けられるか、と一念発起。

 常に妹の手本であろうと更なる努力を重ね、いつの間にか男子のエースを基晴が、女子のエースは美菜が担うことに。



 しかし、基晴は中学に進学する際にクラブを脱退することになる。

 兄妹が所属していたクラブでは、小二から小六までが対象だったためである。


 その日から、基晴は中学で男子バスケットボール部に入部して日々楽しみながら練習する。

 美菜は、当然のようにクラブに残って練習に練習を重ねて日々成長していった。中学では女子バスケ部に入部して、兄同様に輝かしい戦績を残す。



 そして一年前。

 基晴がスポーツ推薦とやらで、東京の高校に入学してしまう。


 美菜はショックで精神が病んだ。

 ──が、それも二ヶ月の間で完治した!


(そうだ………美菜もスポーツ推薦? されればいいんだ!)


 そう──兄がスポーツ推薦で遠くの高校へ進学したのなら、自分も出来る!


 そこからの行動は早かった。

 美菜はぶっ倒れるんじゃないか? と危惧されるくらいに必死で、決死の如く練習した。


「あんた、もっと勉強しなさい!」

「そんなことよりスポーツ推薦ッ! 美菜もスポーツ推薦で、お兄ちゃんのところに行くんだもん!」

「後で後悔するのよ? ただでさえ、アンタはバカでアホな娘なんだから…………ぜ、絶対に勉強しないといけないのよ!」

「………邪魔、シナイデヨ。ネェ……?」

「ひっ………!」


 親になにを言われようと、美菜の心には微塵も響くことはなく、むしろ美菜自身も知らなかった凶暴性が開花する羽目になる。



 ───こうして、美菜は学生の本分をかなぐり捨てて、部活動に励んだ……。



 その結果がこれ!


「十点満点の英語小テストで……二点? 数学の小テストで『もっと頑張りましょう』って書かれてるの始めて見たぞ……?」


 そう──妹尾美菜はスポーツ推薦を獲得する代償として、中三の授業をほぼ学習していなかった。

 さらに、小五くらいから中二までに学習した内容すらも、宇宙の彼方へと捨てている。

 当然、小四くらいの知能レベルでしかなくなった美菜が、高一の勉強について行ける筈もない!


 これ程とは……、と困惑と呆れという二種類の感情を同時に押し寄せた基晴の瞼から、哀しみの象徴とも取れる一粒の雫が頰を伝って流れていった。

 そもそもの原因は自分にあるのでは、と何故か責任を感じて猛省する。



「やっぱり早めに勉強しといて間違いはなかったようだな」

「ぐぅぅぅぅぅぅ…………」


 しかし、すぐに平常心を取り戻した基晴の目は真剣そのもの。如何に美菜の知能を上げるか吟味する。

 だが、そう都合良く思い付けば誰も苦労はしないのもまた事実。

 両親が匙を投げたのは、もしかしたらこの事が原因なのではないだろうか。


「………とにかく、部活が終わったら家でひたすら勉強してもらうぞ」

「で、でもぉ……」

「部活動禁止」

「ぐっ………」

「留年」

「にや、にゃぁぁ………ッ」


 基晴、今の美菜にとってのNGワードをこれでもかと畳み掛ける。勉強嫌いの美菜も「部活動禁止」「留年」という言葉の刃物で、なけなしの根性を奮い立たせる。

 見たくもない教科書、触れたくもないノートに謎の震えでまともに持てぬペン……。


「や、やる……やるもん」

「その意気だ。頑張れ」

「…………うん」

「だからなんだその間は?」


 けれど、兄の見ている前で無様な姿を晒すことの方が、美菜にとっては屈辱であり恥辱でしかないのである。



(お兄ちゃんに失望されたくないもん……)


 ──という思いのもと、美菜は仕方なく勉強を開始する。

 その表情は真剣そのもの。

 まるで、最初にこの部屋を訪れて掃除を強制したあの日のような、すさまじい集中力を発揮する。

 美菜自身も、教科書との睨めっこを開始した直後から「私は出来る!」と、妙な自信と高揚を感じていた。


「………おい、本当に読んでんのか?」

「ふふふ……ま、まぁまぁだね!」

「いんや、騙されないぞ。お前、さっきから教科書をボーーっと見てるだけだろ!」



 ──が、集中力だけ一丁前だが、それ以前にペンをノートに走らせることすら出来ていないのであった。

 だから結局、


「お兄ちゃん………勉強、教えて?」


 兄に頼り切るという情けない姿を晒す羽目になるのであった………。

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