第4話『新学期』

 一人暮らし終了を迎えて数日。

 基晴にとっては二年の新学期、美菜にとっての高校デビューの日がやって来た。


 その間、基晴は手錠をなんとかしてもらおうと説得を試みた。

 家の中だけだからといって、「はい、我慢します」なんて言える訳がない。──が、今日までその成果はない。


 ただし着替えや入浴時、トイレの時などなど生活に支障をきたす場合は外した。

 長くて五分程度の解放だが、その五分ちょっとの開放感が救いだった。



 そして今日、ようやく釈放される──!



「お兄ちゃん、なんだか嬉しそう」


 一年ぶりに寄り添って通学路を歩く。

 もちろん手錠ならびに足枷、首輪などの拘束具は付けられていない。


「そりゃそうさ。ようやく楽しい学校生活が始まるんだからな。勉強し放題だ」


 無論、別に勉強が「大好きー!」とか「愛してるーっ!」なんて事はない。

 純粋に学校が始まって、副次的作用による釈放が嬉しいだけだった……。


「勉強なんてイヤ。早くお兄ちゃんとバスケしたい」

「つっても、この学校では男女は完全に別々なんだけどな」


 地元の中学校では、時たま練習試合を男女混合で行うことがあった。

 しかし、葉月第一高校ではそのような事が全くなく、男女は完全に別々で練習していた。


「えー……そんなぁ………」

「そんなに落ち込まんでも……」

「あ、それならお兄ちゃん専属のマネージャーになっても良い?」

「お前スポーツ推薦で入ったこと忘れてないだろうな?」

「ダメ、かなぁ〜」

「ダメだろう。多分」


 恐らくも何も、スポーツ推薦を棒に振るような行為はマズイだろう。

 仮に辞めるにしても、せめて一年は選手として活動するべきだと思う。


「ん〜……分かった。我慢する」

「あのなぁ……、お前はもっと外に目を向けた方が良いぞ」


 兄の跡を追う人生。

 裏を返せば、美菜の世界には兄が必ず存在するということ。つまり世界が狭い。

 将来的に自立するためにも、その辺りをなんとかしないといけない。


「バスケ辞めるのは良いけど、それならもっと別の事をしてみろよ。例えば水泳やバレー、なんなら吹奏楽や美術でも良い」

「? お兄ちゃんは?」

「俺はバスケを辞めるつもりないから」

「じゃあ、美菜もやめなーい」


 そうじゃないんだけどなぁ、と基晴は嘆息しながら頭を抱えた。

 そんな様子を見ても、美菜はキョトンと首を傾げるだけだった。




 入学式。

 それは新入生にとって、在校生や先生たちと初めて対面する場でもある。


「続いて新入生答辞。新入生代表、瀬戸湊せとみなと


 そして、非常に退屈な時間でもある。

 この場で最も気が気でないのは、答辞を担当することになった優等生だろう。


「穏やかな春の光が差し込み、桜の花も咲き始めた今日。私たちは葉月第一高校の入学式を迎え──」


 基晴たち在校生、美菜たち新入生も眠たそうに瞼を擦り、座り続ける苦痛に耐えかねて何度も脚を組み替える。

 なるべく動いてはならない、と誰もがそう理解している。

 しかし、人間というのは突っ立ったまま過ごすのも辛いが、座ったまま過ごすのも辛いと感じる生き物。


 そして、校長や来賓の挨拶も長ったらしくて聞くに耐えない。

 それは在校生代表挨拶、新入生代表挨拶も例外ではない。


(早く終わってくれ……ッ)


 しかしながら、それとは少し違う意味で辛い時間を過ごしている者が一人。


(と、トイレにぃぃ…………ッ!)


 妹尾基晴。

 彼は適度な水分補給を意識しているが、今回はそれが裏目に出てしまっていた。

 トイレに行かなかったことを、基晴はすごく………凄く後悔していた。


 さらに──


(ぁ……うぅ………飲みすぎたのかなぁ)


 もう一人、同じ苦難に直面する者がいた。

 基晴の妹である妹尾美菜だ。


 兄がそうであるように、美菜もまた水分補給を欠かさずに行う。スポーツマンとして、その辺りは抜かりない。

 ──が、兄同様それが裏目になっていた。


 体育館を出て少し先にトイレがあるのだが、この空気間の式典を抜け出す勇気が二人にはない。

 誰だって、来賓もいるようなこの環境で一人抜け出すなんて嫌だろう。


((早く終わってよぉぉぉ〜〜))


 仲の良い兄妹であった……。



 在校生は午後から普通に授業がある。

 新入生は学校内を担任が案内して、その他、必要事項の説明が行われる。


「……で、その後は帰れると」


 昨年は自身もそうだったが、やはり早めに帰れるのはちょっと……いや、かなり羨ましいことだ。


「いやー長かったなあ」

晴樹はるきか。なんかは久しぶりに会った気がするな」

「実際、久しぶりなんだけどな」


 クラスメイトにして、葉月第一高校で最初に友達となった柴田しばた晴樹は、非常に怠そうな目を基晴に向けていた。

 目の下にクマがあるが、いつもいつも深夜までゲームしているからだそう。


「なぁ基晴。宿題見せてくれないか?」

「またか……お前、少しはゲーム控えて生活態度変えろよな」

「部屋中が散らかってるお前に言われてもなあ……」

「ほっとけ」


 言われなくても分かっている。

 しかし、それもつい数日前までのことなのだが、特に説明するつもりはない。


「大体、お前は実家暮らしだろう? 一人暮らしの俺と比べてどうする?」

「例えお前の立場でも、オレはちゃんと片付けるぞ」

「あーそうかい」


 基晴はつまらなさそうに溜息をつく。

 掃除できないのは事実なので、その件を強く言えない。


「ん?」


 ポケットの中でスマホが揺れた。

 スマホを取り出すと一件のメールがあり、差出人は………妹尾美菜だった。


『早く帰ろうよー』

「…………はあ」


 なに言ってんだ、と基晴は今日何度目かの溜息を漏らした。


「ん、誰からだったんだ?」

「ああ、妹からだ」

「え、妹いたのか? 可愛い?」

「少なくとも、お前なんぞとは釣り合わないくらいにはな」


 晴樹の言をさらっと流した基晴は、仕方なく美菜に電話を掛ける。


『お兄ちゃん』

「お疲れ。俺はまだ帰れないから、車とかに気を付けて先に帰れよ」

『………えっ! なんで!?』

「なんでも何も、昼で帰れるのは新入生だけなんだが? 言わなかったか?」

『言ってないよっ!?』


 そうだったか、と基晴は昨日のことを思い返してみるが………確かに、言ってなかったような気がした。


「わりっ、どうも忘れてたみたいだ」

『えー、じゃあ美菜は一人で帰るの? お兄ちゃん、早退しないの?』

「初日から早退なんて出来るか」


 そんなぁ……、と電話口で落ち込む美菜の声が聞こえたが、こればっかりはどうしようもない。


『美菜、帰り方分かんないよ……』

「いや、自分で調べてよ」

『………やっばり、早退してよー』


 猫なで声でおねだりした美菜だったが、基晴は盛大な溜息をつく。


「頑張って帰れ」

『………お兄ちゃんのイジワル』


 早くなんとかしよう、と基晴は改めて美菜の甘えん坊を治そうと決意した。

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