第2話『一年前』
基晴が初めて違和感に気付いたのは、彼が中学に進学して間もなくだった。
その頃になると、彼の中で異性を意識する感情が芽生えていた。
クラスメイトであったり、親戚の女の子であったり、義妹であったり……。
そんな中、基晴の妹である美菜は変わらぬ甘えん坊根性を発揮して、中学進学後も兄の隣を歩いていた。
家では常に基晴の隣にいて、テレビを見る時もゲームをする時も、あろうことかお風呂だって一緒に入っていた。
当然、寝る時だって同じ布団で眠る。夏の暑い日だろうと、冬の寒い日だろうと。
──これ、普通の兄妹としてはおかしくね?
そう思うのに、それほど時間は掛からなかった。むしろ遅過ぎるくらいだ。
仲が良いのはいいが、ちょーーっと度が過ぎてはいないだろうか?
それは両親も同意見だったようで、間もなく、この兄妹を引き離そうとする。
せめて、一般的な兄妹の関係になるよう。
「美菜。貴女はもう中学二年生よね」
ある日。
いつものように、基晴の腕に寄り掛かってテレビを見ていた美菜へ、母が怒気を込めた声音で話し掛けた。
「……んぅ? どうしたのお母さん?」
「いい加減、お兄ちゃんから離れなさい」
美菜は一瞬ビクッと肩を震わせ、呆然と母に視線を向ける。
直球で投げ掛けられた言葉の意味を理解した美菜は、かつてないほどの不満顔を浮かべて反論する。
「…………えっ!! なんで!? お兄ちゃんは美菜のモノなんだよ!!?」
「お兄ちゃんはモノじゃないでしょ!」
美菜は基晴の腕に強くしがみ付いて、今まで見たことのない剣幕で母を睨む。
初めて見る娘の表情に、一瞬の動揺を見せた母だったが、それでも美菜を責め立てる。
「アンタいつまでお兄ちゃんに甘えてるつもりなのっ!」
「そんなのいつまでもだもん!」
「もうそんな歳じゃないでしょうが! ほら、離れなさいッ!」
「ヤダヤダヤダヤダァァァァ──ッッ!!」
無理やり引き剥がそうとする母に対して、激しく抵抗して一向に離れなかった。
基晴も母に加勢すべきなのだが……如何せん、可愛い妹に手が出しづらい。
その後。
幾度となく基晴と美菜を引き離さそうとするが、その度に激しい抵抗を見せる美菜。
基晴も危機感を覚えていたため、心を鬼にして両親に加勢するも──
「お兄ちゃん……美菜のこと嫌いになったの?」
「いやそうじゃなくて………その、もっと普通の兄妹らしくなろうと──」
「おかしくなんてないもん。兄妹が仲良くて何がいけないの?」
「それは………」
「じゃあ、いいでしょ?」
割と正論を返される事が多いため、中々に進展しようとしなかった。
そして、基晴の高校受験が迫る頃。
「俺、東京の葉月第一高校に進学したい」
と、両親に告げた。
理由は「バスケの強豪校だから」だ。
美菜のいない、基晴と両親の三人だけの家族会議の場でだ。美菜が友達と遊びに出掛けた日を狙って打ち明けた。
すると、両親は若干不安そうな表情を浮かべる。
「家から通える高校じゃダメなのか?」
「そうそう。わざわざ東京まで行かなくても良いんじゃないの?」
と、父も母もあからさまな説得にかかる。
「いやその……スポーツ推薦してもらえるらしくてさ」
「ああ、いやそうじゃなくて」
「あんた……美菜には言ったの?」
両親が気にしているのは美菜の方で、これについては基晴も承知していた。
「え? 言わないよ。言ったら絶対に反対するでしょ」
「するわね。間違いなく」
「するだろうな、絶対に」
娘のブラコンっぷりに常々悩まされている両親だが、無理に引き剥がそうとして嫌われるのも嫌なのだろう。
(まぁ、美菜はうちのマスコットみたいなもんだしなあ)
要は父も母も、美菜をとても大切にしているということだ。
その気持ちは分かるので、そのことを責めたりはしない。
「お前の人生だ、お前が決めろ」
「父さん……」
「………親の屍を踏み砕いて、さらに磨り潰してでもというのなら好きにするといい」
「自分たちを人質に取るのはやめない?」
要するに「やめてくれ」と息子に懇願しているのだ。
しかし、娘の将来を慮った両親は渋々ながら基晴の進路と一人暮らしを了承した。
当然、美菜には全てを明かさずに……。
そして月日は流れ、基晴は葉月第一高校へ無事に入学することになった。
それは同時に、基晴と美菜が簡単には会えなくなってしまう事を意味していた。
それを知った美菜は──号泣した。
まるでそう、お気に入りのオモチャを没収された幼稚園児のように。
「イヤだいやだぁぁぁ! 美菜もお兄ちゃんと一緒に東京行くんだーっ!」
「いい加減諦めなさい。妹ならお兄ちゃんの門出を祝うものよ」
「そうだ、美菜も転校する! お母さん早く……早く転校手続きしてッ!」
「あーもう、話を聞きなさい……ッ!」
娘の幼児退行気味な言動の数々に、流石の母も怒りを通り越して呆れていた。
泣き疲れて眠りに就いた後、基晴は逃げるように空港へ直行した。
それが一年前。
その後の美菜の様子について、基晴は母伝手である程度は把握している。
兄が去った日から、美菜は元気を失い口数も大幅に減ってしまい、春休みが終わるまで家から一歩たりとも外へ出なかった。
まるで抜け殻のようだったという。
学校でも美菜は意気消沈としていて、クラスメイトからは「別人みたい」と心配をさせてしまっていた。
「美菜ちゃん……具合が悪いなら休んで良いのよ?」
「そうだよ美菜。ゆっくり休んで、早く元気になってよ……」
美菜が所属する、女子バスケットボール部の仲間からも気を遣われていた。
部活動は兄と同じものを選択しており、実力は部内でも一、二を争うほどと非常に優秀な選手なのだが──
「……大丈夫です。心配してくれてありがとうございます………」
「大丈夫じゃないよ!」
「そうだよ。だって美菜ちゃん、フォームにキレがないしシュート率も落ちてるよ!?」
春休み明けからは不調続き。
心配されて当然なのだが、本人は「大丈夫」と言って聞く耳を持たなかった。
話を聞いた基晴は、強い罪悪感に襲われるがそこはグッと堪えた。
離れれば……離れていれば、いずれは一般的な兄妹になることが出来ると信じた。
しかし──
『すまん、もう無理だ。お前がなんとかしてくれ』
明らかに匙を投げたようなメール。
『……これでもう離れられないよね?』
もう逃がさない、とも取れるような重みのある美菜の台詞。
そして──二人を繋ぐ冷たい鉄の輪。
(俺、どこで間違えたんだろ………)
基晴の心を占めるのは、強く激しい後悔の念だけだった……。
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