第17話




 そんなこんながあって、初めての日曜日。私たちは一緒にカラオケに行く約束をして、駅で待ち合わせることになっていた。時刻は午前十一時まえ。小さな駅には電車を待つ人もまばらで、さわやかな青空と涼風が、休日の気持ちいい朝の薫りを運んでくる。

 私が駅に着いたときには佐藤と鈴木はもう来ていて、しばらく三人で話をしていると、そこへモモちゃんがやって来た。

「ちーよーちゃーん」

「モーモーちゃーん」

 遠くから元気よく走ってくるモモちゃんへ、私は手を降って応える。と思ったらモモちゃんはそのままの勢いでなにもない空間へ向けてドロップキックして自分でこけた。うん。いつものモモちゃんだ。

 そんなモモちゃんの姿を見て、佐藤も鈴木も爆笑している。先日みんなで遊ぼうと話し合っていたときに、私からモモちゃんを誘うことを提案したのだけれども、初対面の相手を前にいきなりこんな意味不明なムチャをしでかしてしまうのが、モモちゃんのいいところだ。そしてそんな彼女にドン引きするのではなく爆笑するあたり、モモちゃんと二人の相性はいいらしい。私から紹介するまでもなく、あいさつもそこそこに話が盛り上がっている。

 そんな三人を眺めながら、私はンガポコとの最後のやりとりを思い返した。



 ショッピングモールを出て、私たちは帰りの電車を駅のベンチに座って待っていた。宵の口を過ぎ、しかし夜更けにはまだ早い時間帯。駅前の通りや構内はネオンと電灯がキラキラと輝いていて、今日一日の疲れにホッとひといき入れるような安心感があった。

「これからどうすんの?」

 ロフトでンガポコにも『思いやり』があるんだよということを伝えてから、ンガポコはずっとしゃっくりを我慢しているきつねみたいな顔で黙っている。おかげでこっちまで調子がくるうというか、ぶっちゃけめっちゃ照れくさい。

「おーい」

 ゆさゆさとンガポコの肩を揺すると、彼女はようやく私へ向き直ってくれた。

「……そうだな。我々、情報知性体連合は今まで、この宇宙のほとんど全ての物事ものごとを知り、あらゆることを実現出来ると考えていたが、千代美とのやりとりの中で、我々がまだ知らなかった──いや、とっくに失ってしまったと思い込んでいた、他者を思いやるという概念/感情/心を思い起こすことが出来た。それは我々にとって新たな可能性を切り開く、非常に大きな知見だった」

 本当にありがとうと、ンガポコは私の両手をとりながらニコリと微笑む。おいやめろモモちゃんの顔でそんな微笑を向けられたらヘンな気持ちになっちゃうじゃないか。

「我々は色んな星々を旅して、様々な種族に宿ってきたが、我々自身の内面に変化を生じさせたのは、君が初めてだ。そして千代美が気付かせてくれたことは、我々の未来にとって非常に重要な意味を持っている」

「おおげさだよ」

「そんなことはない。創造の源は不可能を可能にしたいという願望にあると言ったが、『物語』を読み込むうちに、感情や心の動きもまた創造のいしずえとなり得ることを、私は登場人物キャラクターたちから教わった」

 すなわち、とンガポコは私にぐいっと顔を近付ける。息がかかりそうなほど近くにせまられながら、私は照れたり恥ずかしいと思うよりも、今まで見たこともないほどに様々な色に輝くンガポコの瞳の美しさに見とれていた。


「私にも、何かを創造することが出来るということだ」


 ンガポコの言った言葉の意味を考えるよりも先に、彼女は私の両肩をがしっとつかみ、さらに熱っぽく、生き生きと語る。

「あの激辛ラーメンを食べたとき、ことの可能性を知った。我々はずっと何者かに宿ることを当たり前のこととして、それ自体を考え直すということをしてこなかったせいで、自分たちには何も出来ないと思い込んでいたのだ。

 しかしその思考放棄の停滞はもはや終わった。これからは我々自身が何が出来るのかを考え、行動していかなくてはならない。

 そんな訳で、私はしばらくネットワークの中に潜り、表現の可能性を模索する。ゼロから何かを生み出せるということが、これほどまでに胸踊るものだとは知らなかった。その喜びを、無限の可能性を教えてくれたのは、千代美、君だ」

「い、や……、私は……」

 そんなド直球に感謝されると、さすがに恥ずかしい。実際、私はそんなに大したことはしていないのに。

「機会があれば、いずれモモ=チャンにもきちんと感謝の念を伝えたいが、そろそろ私は行くとしよう。実を言うと早く色んなことを試したくて仕方がないのだ。

 それでは、また逢おう。千代美。短い間だったが、千代美との時間は本当に楽しかった。『楽しかった』ということを自覚出来た。何度も言うが、本当にありがとう」

「あっ! ちょっと!」

 私がなにか言う前に、ンガポコは目を閉じると、まるで魂が抜け出ていくかのようにその気配を希薄にさせて、後には前のめりに眠っているモモちゃんの身体だけが残された。

 ンガポコの名前を呼びながら軽く彼女の身体を揺すってみると「むにゃむにゃ……もう、食べられないよー……」という寝言が返ってきた。こんなコテコテの寝言を言うのはモモちゃん以外にありえず、ンガポコは本当にいなくなったのだと私は悟った。

「まったく……、最後まで慌ただしいやつめ」

 私は苦笑しながら、電車の到来を告げるメロディに負けないよう、モモちゃんを起こしにかかった。



 ンガポコのメッセージ/情報操作があってからも、表面的には世界や私たちの周りにさほど変化は見られない。今日も世界のどこかで戦争が起きてるし、殺人事件のニュースを聞かない日はない。『誰もがお互いを思いやれるようなやさしさを持ってほしい』という私の願いは、佐藤と鈴木をほんの少し変えただけで、それ以外に私が思っていたほどの劇的な変化はほとんど感じられない。

 もっとも、その変革自体がとてもささやかなものだったし、私が気付いていないか、まだ世界へ伝播でんぱされるほど拡散されていないだけという可能性もある。

 いずれにしても、いつかは『ンガポコ』が世界の共通コードとなるときが来るだろう。そしてその日はそう遠くないはずだ。何故なら──。

「ごめーん! ちょっと遅れた!」

 モモちゃんと佐藤と鈴木の会話を眺めていた私の後ろから、影山さん──ゆうちゃんが遅れてやって来た。

「おー。待ってたよぅ」

 私がそう応えると、佐藤と鈴木も「おー」と返し、ついでにモモちゃんも「おー」と声をかける。優ちゃんはやや困惑ぎみに、目と鼻と口で「ド・チ・ラ・サ・マ?」と表していて、なんていうか、優ちゃんの顔文字はいつか読書感想文さえ書けるような気がする。

「モモちゃん、こちら優ちゃん。優ちゃん、こちらモモちゃん」

 雑な紹介だけど、まあなんとかなるだろう。二人とも「いやいやどうもどうもこのたびは」なんてよく分からない自己紹介をしながら(たぶん、サラリーマンのまねをしているつもりなんだろうけれども、二人ともサラリーマンがどんな風に自己紹介するのか分からず中途半端になっているに違いない)笑い合っている。

「ところで何か盛り上がってたみたいだけど、何の話してたの?」

 優ちゃんがそう訊ねると、スマホを見せていた鈴木が「これこれ」と画面を見せながら答えた。

「最近出始めたVチューバーでさ。『ンガポコ』っていうの。知ってる?」

「知ってる! 自作の小説を朗読するっていうやつでしょ?」

「そうそう! ぶっちゃけ他のVチューバーとかと比べると地味なんだけど、でもストーリーもキャラクターもすっごいよくてさ!

 ただストーリーが上手にまとまったり、キャラクターが生き生きしてるだけじゃなくて、何ていうか、つらい目や苦しい目に続けて遭うんだけど、表も裏も、良いことも悪いことも、綺麗な気持ちも汚い気持ちも、全部ひっくるめてそれでも前に進むっていう、主人公の心がさ、もうホント心を打つの!」

「しかも全部のキャラクターをひとりで演じてるらしいよ。おまけに音楽まで」

「それマジ!? ヤバすぎじゃん!」

「いやー、さすがに分担してやってるんじゃない? ひとりだとは限らない訳だし」

 きゃいきゃいと騒ぐみんなにばれないよう、私はニヤニヤする顔をさりげなく隠した。実を言うと、ンガポコと別れてから二日後に私のSNSのコメント欄にURLが書き込まれていたのだ。Vチューバー『ンガポコ』のチャンネルへと。から。

 もちろん、みんなにはなにも話してはいない。というか話しても誰も信じないだろう。『ンガポコ』の正体は宇宙から来た情報知性体連合の個体で、私はそいつと遊んでいただなんて。

 今こうしている間にも、ンガポコは世界の片隅から『思いやりを持ちましょう』というメッセージ/情報操作を発信し続けていることだろう。小説という表現を使い、ンガポコ自身が創った『物語』に思いをのせて。いつかきっと、世界が『思いやり』で覆いつくされるその日まで。

 それでもこのことが世間にバレたら、私は宇宙人の侵略に手を貸した裏切り者としてひどい目にあわされるかもしれない。だから、私とンガポコの間柄は二人だけの秘密だ。むふふ。楽しい。

「でも『ンガポコ』の書く小説の主人公って、どこか千代ちゃんに似てるんだよねー」

 ふいにモモちゃんがそう言うと、みんないっしょに私の方へ顔を向ける。

 そんなみんなへ、私はにこやかに顔を向けながら「えー? そっかなー?」と、とぼけてみせるのだった。



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ンガポコ。 宵待なつこ @the_twilight_fox

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