人間は、芸術がなくても生きていけます。
音楽がなくても、死ぬことはありません。
しかし、サルから人間に進化し、知性という物をみにつけてくると、そこらに落ちている木や石を使って、リズムすなわち音楽を奏で始め現在に至るわけです。
呪いのバイオリンをめぐる怪奇譚ですが、どこかからっとしたつきぬけた明るさが漂っています。それは、語りの妙なのでしょう。この語っている人物の素性も最後にあかされ、その正体に驚きます。
なんといっても最後のセリフが妙にすがすがしく、あっぱれの一言です。
人間は音楽の奴隷である。そこからの解放を堪能してください。
どうぞみなさんも、音楽の魔性に引き込まれませんことを。
一つのヴァイオリンを巡る物語。
まさに「物語られる」話は、取り留めのない戯言(たわごと)のようにするすると近寄り、私を取り囲む。そして、物乞いのような語り部から紡がれる独特のリズムに乗って、気付けば不思議な物語の中に惹き込まれている。
歪んだ才の光太郎、眉目秀麗の橘、美しい音無嬢。三人が紡ぎ出すのは血と欲望が混じったきらきらとした奇怪な関係。
ヴァイオリンの耽美な響き。音楽が持つ精美。人の欲念。
それらが見事に絡み合い、息を呑む調べを奏で出す。
「ツィゴイネルワイゼン」
この曲を聞いてから読んで欲しい。
最後に、ひたすらに美しい狂気を感じることが出来るから。
大学で音楽を学ぶKは、一人のうさんくさい男に声をかけられ、彼が探しているヴァイオリンに隠された数奇な遍歴を打ち明けられる。
そこで明かされるのは、偏屈で演奏の腕はないのに音楽理論に一家言持つ光太郎、彼の親友で優れた腕前を持つ橘、そして学内でもズバ抜けた音楽の素養と美しい容姿を持つ才媛、音無嬢、この三名の間で繰り広げられる愛憎劇だった。弾く者の演奏に異様な魔力を与えるヴァイオリン、そしてそれに影響されるかのように徐々に人間性を変容させる若者たち、ゆっくりと確実に破滅へと導かれるストーリーと、これだけでも充分面白そうなのだが、しかし、本作で何より注目すべきはその文体だろう。
作者は『ドグラマグラ』『少女地獄』などで知られる夢野久作のパスティーシュと言っているように、語り手の口から放たれる不気味なのにどこかユーモアも感じられる言葉の数々は、まさに夢野久作の怪しげな雰囲気を彷彿とさせる一品となっている。
まずは試しに冒頭の数行を読んでみてほしい。この文体に惹かれたという方は、最後まで読んでみれば満足すること請け合いだ。
(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=柿崎 憲)