最キュウ尾【きゅうびのキュウちゃん】


 咄嗟に背を向け、彼女は走り去ろうとした。しかし、それを制したのは、鈴の鳴るような細くも芯のある愛おしい声だった。


「逃げないで! ママ!」

「……キュ……」


 キュウは首を横に振り後ずさる。一歩、また一歩と後退した先は、行き止まり。

 彼女の好きな、町の景色の見える隠れスポット。

 キュウの背後には、小さな夢咲町と綺麗な星空のパノラマが広がっている。


 歩みよってくる二人から目を逸らし小さくなったキュウは尻尾を萎びかせた。


「ママ……なんですよね? キュウちゃんは、ママ……なんです、ょね?」

「結衣、私は君に言わなければいけない言葉があります。かくれんぼはお終いにして、話をしましょう」


 キュウは観念したように小さく頷いた。


「結衣、君は私が他の誰かを好きになってもいいと、手紙に書いてましたね。しかし、それは嘘ですよ。何故なら君は、永井先生に嫉妬していたではありませんか」


 キュウは肩を窄める。


「すみませんでした、嫌な思いをさせたと思います。彼女に少しばかり気を許していたのは事実です。その事に関しての罵倒は甘んじて受けましょう。

 ですが、これだけは言わせて下さい。


 私は、結衣、君が好きです。

 愛しています。


 誰よりも、一番に愛しています。ずっと言えなかった私を許して下さい」


 キュウは目を丸くして、大粒の涙をポロポロと流しながら顔を真っ赤に染めた。

 結愛は涼夜の言葉に同じく頬を染め、何故か照れ臭さそうに身体を捩らせる。


 俯いたキュウは不意に顔を上げ、人さし指をピンと上げ、泣き顔のままキュウと鳴いた。

 涼夜は、もう一度、「愛してる」をあげた。

 繰り返した。

 子供が何度も同じ遊びに興じるように、何度も何度も、涼夜に愛してると言わせた。一生分、とはいかないが、その大きな胸がいっぱいになるまで、何度もその言葉に耳を傾けた。

 そして最後に、その愛してるを唇で塞いだ。


 結愛は両手で顔を覆い、ながらも、隙間から大人のキスを覗き見ては全身を真っ赤に染めた。


「結衣……」

「キュウ」


 二人は見つめ合い笑い合った。お互いに頬を染め、馬鹿みたいだなって、照れて笑った。

 しかし二人の時間はここで終わりを告げる。当然、結愛が我慢出来る訳もなく、


「パパばっかりズルいのです! ゆ、結愛も! ママ、結愛も!」

「キュウ〜!」

「あぶべっ!?」


 堪らず飛び込んだ結愛をキュウの胸が包み込んだ。結愛は最高の防音設備の中、大声で泣いた。泣いて、泣いて、声が枯れても泣いて、それでもまだ流れてくる涙を、我慢する事なく流した。


 キュウはそれを、全て溢さず受け止めた。先にいく事を心から詫びながら、何より大切な愛娘を潰れるくらい強く抱きしめた。


「ママァ……いかないでぇぇ、一緒にご飯、食べたいよぉ、えも、エモフレのおはなし、しだい、よぉ」

「……キュウ……」

「結愛ちゃん……」


 涼夜が言いかけると、その言葉を遮るように結愛が声を絞り出した。


「はい……約束、です。笑って、お別れ……うっ、しないと、です……ぅ……わ、わ、笑って……」


 結愛は、涙で濡れた顔で必死に笑顔を見せた。震える唇、流れる涙、それでも笑顔を作る。

 否、作るではなく、心の底から、彼女に、結衣に向けて笑顔を咲かせた。


 キュウは結愛のおでこにキスをした。

 結愛も、お返しのキスを、頬に返した。



 キュウは立ち上がり、二人に背を向け夢咲町を眺める。そして振り返った時には、笑顔。


 真っ白な髪が靡く様は、それはそれは綺麗で、涼夜も結愛も心を奪われた。


 キュウは口を開く。


「……キ……ュ、……ァ、キュゥ……ぅ」


 絞り出すように、伝えるべき言葉を、


「……サ……ぅ……」







「……さ、ょ、う、な、……ら……」




 泣き笑いのキュウが放った、ヒトの言葉、


 彼女の心残り、最後の一つ、それは、二人に別れを告げる事だった。

 急な事故で命を落とした彼女は、二人に別れを告げる事すら出来ずに無念の死を遂げた。

 その心残りが、彼女を縛っていたのだ。



「結衣……さようなら」

「ママ、天国で待っててです。だからそれまで、さ、さよなら、です」



「……キュ、キュッキュキュ〜!」



 いつもの陽気な声を合図に、彼女の身体を光が包み込んだ。触れようとしても、既に触れられない。


 結衣、——キュウは、これから旅立つ。


 二人の手の届かぬ場所へ。


 やがて光は消え、神社に残ったのは涼夜と結愛のみとなった。

 二人は神社の境内へ。


 手を合わせ、彼女の旅路に幸多きことを願う。

 優しい風が吹いては空に溶けていく。



 帰宅した結愛は、泣き疲れて眠った。

 涼夜はリビングの隅に飾られた短冊を見て口元を緩めた。


「結愛ちゃんの願い事、しっかり叶っていましたね」


 腕の中で寝息を立てる結愛の頭を優しく撫で、寝室へ運び寝かせてやる。

 リビングに戻った涼夜はすぐにノートパソコンを開き、キーボードを打ち込んでいく。いつもよりリズミカルに、軽快に。


 夜が更けていく——


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎





 時は過ぎ、春——


 結局、濃い目の茶色のランドセルを選んだ渋いセンスの一年生の入学式の日。

 元気な笑顔で写真を撮る。祖父の髭に頬を刺激された結愛は両手で祖父を引き剥がす。


 桜舞う夢咲の町で高遠涼夜と高遠結愛はこれからも日々を過ごしていくだろう。

 長いような、短いような、そんなかけがえのない人生を、大切な人の分まで、強く生きていくだろう。


 悔いのない人生を——



「さ、結衣に入学の報告をしないとですね」

「はいなのです。ランドセルも見せないと!」

「あと、キュウの為に、神社のお掃除もしましょう。山に登るついでにね」

「はい、パパ!」




 ほんの数ヶ月の出来事が、二人の在り方を変えた。


 この物語は、ここでおしまい。



 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎



 エヌオカ出版、社長室。


「新作? 涼夜君、いつの間に? エモフレ書きながらよく書いたね? どれどれ?」


 エヌオカ出版社長、西岡麻衣は涼夜のサプライズ持ち込みに目を通す。


「きゅうびのキュウちゃん……?」




 この物語は、これから。






 キュッキュキュ〜!





 

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きゅうびのキュウちゃん カピバラ @kappivara

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