第4章 神呪《アルカナ》②

同日 夜

マトラ・オアシス臨時集落 広場


 異国情緒、という言葉がある。多くの国がひしめいていた旧文明で、他国の文化を賛美するときに用いた言葉だ。

 ラナンの国として大帝国カルセドニアのみが残され、国家という概念が希薄化して久しい今となっては、いわゆる死語のひとつに数えられている。だがカイトは今、その初めての使いどころに直面していた。

 例えば、音楽。

 神殿楽団が奏でる管弦楽とは大きく異なる、テンポの移り変わりの激しい曲調。

 荘厳さは欠片もなく、けれども情緒を大きく揺さぶるその曲想は、素朴な詩と抜群の相性を誇るだろう。事実楽器を爪弾くウルスの唄うことばの束は、喪われゆく国を見る無力なこころを、見事なまでに歌い上げていた。

 例えば、料理。

 畑で管理され、徹底的に色や食味を整えられた食材とはかけ離れた、野趣が溢れる肉の数々。ちらほら覗く小骨を見るに、おそらくは鼠のような小動物か。一月のあいだ一度も見たことのない食材だから、おそらくは〝ごちそう〟に値するものなのだろう。カルセドニアでは駆除対象でしかなかった害獣が、こうも滋味に優れた料理になるものなのかと、舌鼓を打つ。

 例えば、衣装。

 トリ氏が織った祝いのための祭服は、紅と白との二色のみ。けれどもそこに差された刺繍は、色とりどりに染色した衣服にも勝る華やかさを誇っていて。先の歌と合わせるカタチで演じられる短編劇スキットに、ひとつの華を添えていた。


「楽しんでいますか?」


 上席に招かれたカイトのとなりに、赤い祭服を纏ったククリが腰掛ける。

 この宴席には、椅子という場所を定めるアイテムはない。ククリが座る以前にも、多くのラ族の民たちが挨拶と雑談に興じるためにカイトの周囲に訪れていた。

 垣根や定位置を定めないことで気軽に言葉を酒とを交わすのが、彼らの流儀なのだろう。

 おかげさまで、とカイトは答える。


「よかった。……最近はこうして席を設けることも滅多にありませんでしたから」

「それは、ゴ族のことで?」

「ええ。集落を去る仲間がいなかったので」


 単に、去るどころの話ではなかったのだろう。

 宴席の中央に設けられた円い舞台では、ウルスの歌が盛り上がっていくのに合わせて、紅白ふたりの少女が激しい剣舞に興じていた。


 白はアナンシ。細身の双剣を十字に重ねて、ふわりふわりと、軽快に舞台を躍る。

 紅はエイ。身の丈半ばほどもある長剣を、精緻ながらも豪快に振り回すことで、その場を見かけ上支配していた。

 アナンシには紅。エイには純白。いずれの背にも、たなびく薄い絹布が結わえ付けられている。

 ふたりの動きに追従して、絹布が円を描いて躍る。

 それは渦のようにも見えて、どことなく、大きな炎も彷彿とさせる。――共通して連想するのは、その中でということか。


「〝崩れの挽歌〟ですね」


 ククリが零した。


「元々、蟲人族は大きな国を持っていました。この歌は、王たるナ氏をすべて喪い、王国が崩れたときの記憶を語り継いだものだそうです」


 蟲人族の国の崩壊。この遠因は、宗教的な対立を深めたナ氏が二つに割れて、相争ったからだと伝えられている。

 ナ氏最後の兄妹がいずれも「神器」に認められず、結果として継承権を争うことになったのだとも。

 真相を知る術はない。分かるのは、ナ氏も「神器」も、歴史の波に呑まれて消えたと言うことくらいで。

 本当は、戦なんてしたくないんです、とククリが続ける。


「〝崩れの挽歌〟は、主人公の兄妹二人が、相打ちとなって終わります。力と信仰、それぞれに重きを置いた二人がともに相食んで、結局すべてが喪われる――今の私達と、寸分違わぬ状況なんです」


 力にまかせて、《祈り手》を滅ぼさんとする甲翅の民と。奉ずる神を守るため、絶望的な戦いに挑むラ族と。確かにそれは、崩れの挽歌に遺された符号と綺麗に一致する。


「『歴史は繰り返す』、か」

「ええ」


 リズムを刻む太鼓の音は、いよいよ激しく打ち鳴らされる。……舞台はまさに、佳境にあった。

 一連の旋律が最高潮に達した瞬間、ふいに、すべての楽器がその声を止める。


 空白ブレイク


 景色すらもその表情を変えたかのような、静かで、だが決定的な一刹那。アナンシとエイの得物が互いに組み合って、天高くへとはじけて飛んだ。

 意図する事象は明白だった。

――相打ちだ。


「正義のない戦の中に、勝利を見いだすことは出来ません」


 ククリが零した。


「わたしたち蟲人族が戦場いくさばを聖域とする根元には、〝崩れの挽歌〟が息づいている筈なんです」


 カイトから見て、蟲人族が戦場を特別視していたのは確かだ。なるほど、こうした理由で崩壊した亡国の民であるなら、戦の在り方に拘るのもうなずける話だった。

 だと、いうなら。


「なら、どうしてベル・ゴは」


――大義のない戦争を企図し続けているのだろうか?

 分かりません、とククリは答える。


「交渉の席にも着かず、宣戦の布告すらない戦ですから。彼らは今、ただ一方的に蹂躙を続けるだけの蛮軍です」


 周囲から、拍手の音が立ち上る。

〝崩れの挽歌〟が終幕したのだ。


「カイトさん」


 ククリの呼び声。

 視線を戻すと、彼女は胸に小さな金属細工を抱いていた。

 精密な銀線と金の鍍金で飾られたそれは、間違いなく亜人種の作り出したものではない。一世代前の大帝国で流行していた、振り子式の天体模型だ。


「母が死ぬまで大事にしていた、ラナンの方との思い出の品だそうです」


 出所は言うまでもない。かつてラ族と友誼を結んでいたであろう、名も知らぬ誰かの積荷だったのだろう。


「これを、カルセドニアにお返しします」

「それは、どうして?」


 意図的に、声のトーンを一段落とす。

 形見だとでも言い出したなら、断るつもりだったからだ。


「断ち切るためです」


 だが、返ってきたのは意外な言葉。


「断ち切る?」

「私は」


 言いよどむククリ。逡巡して、それから意を決したようにカイトの顔を真っ直ぐ見据えた。

 砂中のオアシスを彷彿とさせる、深い深い碧眼ブルーアイズで。


「これを機に、集落を遠く東に移すつもりです」

「ベル・ゴと戦って?」

「はい。……私達も、無為に命を散らす気はありません。彼らの目的がラ族の破滅である限り、歌も祈りも、カイトさんが教えてくれた文字というものひとつですらも、残らず消されることでしょう。いつか滅びる定めであっても、それにわざわざ付き合う意味はありません」


 だから、と一息。


「ウルス兄様とも話し合いました。遠く遠く、荒野の熱気すらない土地へと逃れて、新たな塒を築きます」

「それで、これを?」


 問うたカイトに、ククリは頷く。


「持ってたら、なってしまうじゃありませんか」


 彼女は曖昧な笑みを浮かべた。何かを懐かしむような、それでいて、諦める決意を固めてしまったような。

 それは、カイトが初めて見る表情だった。


「その金細工を受け継いで、私はただただ感激しました。これほどの細工を作れる国であるなら、さぞ素晴らしいものがたくさんあるに違いないって。

 それと同時に、羨ましくも思ったんです。そんな世界をよく知るラナンと、ふれあう機会を持てた母を」


 幼い彼女は、ただただ夢見ていたのだという。

 いつの日か、遙か彼方のラナンの国へ行ってみたいと。

 文字も無く、口伝するべき母を亡くして。何ひとつ詳しい話も得られぬままに、大きな夢を抱いていたのだ。

 けれども、それは叶わない。

《祈り手》の使命。凶行に走るかつての同胞甲翅の民たち。成長した彼女の前には、ラ族の長としてあらねばならぬ現実がある。


「それは、〝むくろの荒野〟の記憶と深く結びついています。だから、それを貴方に持って帰って欲しいんです。

――〝殻の荒野〟に、戻りたいと思ってしまわぬように」


 鈍く輝く天体模型は、彼女のユメの残滓であった。


「分かった」


 彼女の覚悟のためならば、それを拒否する意味はない。カイトが右手を差し出すと、お願いします、とククリは天体模型を置いた。

 見た目より存外軽い質感に、夢の儚さを垣間見た。


「明日、太陽が南中を示したときに発とうと思う」


 隊士服の懐に模型を収めて、カイトは続けた。

 それなら、とククリ。


「私達も、あなたとともにここを発ちます。東の岩場に、戦場とすべき場所がありますから」


 カルセドニアは西の果て。彼ら最後の戦場は、東。

 お互い、逆方向に行くことになる。


「今宵、この瞬間が、この場で過ごす最後の夜です」


 気づけば、側の少女たちが二人へ杯を差し出していた。

 黒光りする歪な杯。

 きっと、かつて誰かが遺した殻のひとつなのだろう。どちらからともなくそれを手に取り、こつり、と軽く口縁を当てる。

 蜂蜜酒ミードらしい甘い香りが、ふわりと鼻腔をくすぐった。


「ラ族の皆の無事を祈って」

「――貴方の旅に、多くの幸がありますように」


 そして、酒精を飲み下す。

 静かな一瞬。


「お酒って、あんまり美味しくないんですね」


 ククリがぽつりと、気恥ずかしそうにはにかんだ。


「もし、あなたが良ければ」


 不意にククリが言葉を零す。立ち上がった彼女の半身は、いつの間にかラナンのそれへと変化していた。


「一曲だけ、私と踊っていただけませんか?」


 彼女の言葉を待ち構えていたかのように、弦の楽器が一声啼いた。そして、舞台に旋律おとが満ちてゆく。


「喜んで」


 カイトは応え、宙に浮くククリの手を取る。革と木とで象られたブレスレットが、指先を小さく撫でた。

 一歩、一歩。

 舞台へと向かうふたりの足取りは、不慣れさゆえか、やはりどこかぎこちなくて。けれどもけして臆することなく、宴のなかへと躍り出る。


「ラナンの方は、女性と踊ることがありますか?」

「上位の天職なら、そういう機会も多いかな」

「カイトさんは?」

「知識として知ってるくらいさ」

「そうですか」


 何が面白かったのか、初めて同士ですね、と笑う。


「言ったな」


 なんとなく負けた気がして、曲に合わせて彼女の腰を引き寄せる。もとより形式化されたダンスとは縁遠い身だ。多少プリミティブな動きとなるのは仕方ないだろう。単に少し脅かしてやろうと、それくらいの気持ちだった。


「……ひゃ」


 対するククリは、やや情けない声を上げつつ、カイトにしがみつく格好になる。

 別に体勢を崩したわけじゃない。

 驚きつつも乗ってきただけに過ぎないのは、すぐに浮かべた熱を帯びた笑みから見ても明らかだった。数歩ほど予備歩を刻んで、どちらからともなくターンする。彼女の纏う祭服の裾が大きく拡がり、刺繍が炎の色に瞬いた。

 躍る、踊る。

 いつまでも続くかと思われたそれは、やがて曲が鎮まり、二人が身体を離したことで終わりを迎えた。


「最期まで忘れません」


 ククリが発した言の葉が、薪の爆ぜる音に重なる。


「この時を。この曲を、この踊りを、この星空を」


 どこまでも、嬉しそうに。


「そして、カイトさん――あなたのことを」

「……ああ」


 けれど。

 その笑顔はどうしてか、涙を堪えているようにも見えて。


「僕もだ」


 カイトには、そう返すのが限界だった。

 二人にとって最後の夜は、どうしようもなく更けてゆく。


 

 甲翅の民の軍勢は、ラ族と雌雄を決すべく、南へと進路をとり続けていた。

 平らかなるオアシスの地での決戦に不利を感じたラ族の民は、戦場を岩場混じりの荒野へと引き戻すべく東へ進む。

 目指すは〝骸の荒野〟南東の果て、アルバ峡谷。

 一方で、いまだ〝聖王〟ならざるカイトは、マトラの地から西へと離れ、ラ族と別れて帰途へ着く。〝聖王〟と〝魔女〟、ふたりの初陣となるアルバ会戦は、着々と会戦への気運を高めていった。


 いまだ〝聖王〟ならざるカイトは知らない。この東進こそ、いまだ〝魔女〟ならざるククリの企図した、最初にして最後の不義理であったということを。

――彼をここへと引き留めぬよう、自らが進んで死地へと赴いたことを、徹底的に隠匿したのだ。


 そして、そして。


 いまだ〝魔女〟ならざるククリも知らない。

 それこそが、〝蟲神〟キョトーが強く求めた、最大の失策であるということを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遙か落暉の蠍姫(チャリオット) 上崎 秋成 @AlexTress

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ