花とキャメル

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花とキャメル

ボールを蹴る音、吹奏楽部の管楽器の音、笑い声。昼休みの屋上は学生の音がよく聞こえる。日常がどこか遠くに感じられて、まるで自分の部屋にいるかのように居心地が良い。ここには俺一人しかいないから、余計に。

うちの高校の屋上は鍵がかかっていない。鍵がかかっていないにも関わらず全く人が来ないのは、扉自体を開けるのに少々コツがいるためで、普通の人は来たとしても鍵が閉まっていると勘違いして回れ右してしまうからだった。

天気が良い日には、たまにここに来て弁当を食べていた。職員室や生物室で食べると、他の先生に話しかけられたり生徒が来たりと、あまり落ち着けないのだ。着任して三年目になり、この高校にも慣れてきたとはいえ一人の時間はやはり欲しい。

下階に繋がる塔屋に寄りかかり、膝の上に弁当を置いて蓋を開けると、色とりどりな食材が目を潤してくれる。しかし目新しさは無く、喜びも少ない。朝に自分が作ったものなのだから仕方なかった。手を合わせて「いただきます」と小さく言う。

食べ始めて少し経った頃、ノブをガチャガチャと動かす音がした。珍しいことに、誰かがやってきたらしい。しばらくするとガンッと一際大きな音が響く。思いきり蹴ったらしいのだろうが、この扉の開け方としては正解だった。ノブを回しきらずに中途半端な位置にして、そのまま錆び付いた扉を引き剥がすように蹴るなり殴るなりすれば開くのだ。ノブの位置が絶妙で難しいのであまり開けられはしないが、今日はスムーズに開けられてしまった。

現れたのは黒髪にまっすぐな髪、セーラー服の赤いリボンを風に靡かせる少女。まっすぐ歩き、気持ち良さそうに腕を空に掲げて伸びをする。

どうやら自分が副担任をしているクラスの隣のクラスの女子生徒のようだ。振り向けば俺がいることに気付いてしまうのだが、生徒はこちらを向かない。何をしにこんなところに来たのだろう、と弁当の蓋を閉めて様子を窺うことにした。

伸びが終わるとおもむろにスカートのポケットに手を入れた。ポケットから出てきたものは「まさか」と目を疑うようなロゴの四角い紙箱で、ご丁寧に一緒に百円ライターも手の中にある。

慣れたように箱を振って一本取り出し、口にくわえてライターで火を付ける。

彼女は俺の担当教科の生物の成績は中の上で、提出物も欠かさずやってくる真面目で素行の良い生徒だ。他の教師に聞いても評価は同じようなものだろう。そんな生徒がタバコを吸い、何かを考えているのか首を傾げている。

赤いリボンと一緒に靡く、細い紫煙。

快晴の濃い空色に映えて、どんなに絵になっていようとも、俺は教師なので見付けてしまったのならば現行犯で捕まえなければいけない。

立ち上がり、名前を呼んだ。

「二年五組、妹尾一花」

「ひゃ!?はい!!」

声を裏返して、元気のいい返事をする。そして振り向いて俺の顔を見るなり、背中にタバコを隠してしまう。なんだか、嘘が下手な子どもみたいだ。

「なんでこんなところに蜂屋先生が!?あ、いや、これはその……違うんです。違います!」

「一部始終見てたんだけど」

「うー…………い、一本いります?」

「全部貰おうか」

俺は立ち上がり、手のひらを妹尾の前に出す。

「没収です」

彼女は意外にも素直に、俺の手にタバコの箱を乗せた。鳥の絵の掛かれているピースの箱だった。

「こ、これには訳があって!」

「どんな訳があったとしても、法律で禁止されてるんだからダメなもんはダメ」

そう告げると、顔を伏せて俯いてしまった。泣いてしまうかもしれない、と少し焦ったが、いや、ここは、怒る場面だ。絆されてはいけない。

「お前みたいな優等生がこんなことをしてるなんて思わなかったよ」

そう追い詰めるように言えば、口を引き結び、眉間に皺を寄せ、いよいよ泣きそうな顔になってしまう。

しかし、今の俺は昼休み中の教師である。残念ながら。

俺はため息を吐いた。

「って、言いたくなる状況なんだけどさ。まー高校生だしそんなこともあるよな。なんか理由でもあんの?」

「え?か、軽っ」

「理由は聞くよ。理由なく法律破るような奴じゃないと思うから」

彼女が顔を上げると、瞳に光が戻っていた。俺の言ったことに驚いているのか、瞬きを繰り返している。

「イライラしてるとか、不良になりたいとか?」

「違います……えっと」

言い澱み、何かを言おうかと口を開いたが、考え直したようで止めてしまった。

「訳はあるけど……言いたくありません」

「じゃあいいんだけどさ。言いたくなったら言ってよ。とりあえずこれは没収です」

預かったタバコの箱を、スーツのポケットにしまった。

「一応大人の立場から言わせてもらうけど、成長途中の若者の肺にタバコは毒だから止めときなさいよ」

「大人になったらいいの?」

「マナー守るなら吸ってもいいよ。そういう法律だから」

「……教師としてその解答でいいの?」

「俺としてはそれでいいと思ってるよ。あと昼休みの教師スイッチの切れた俺に教師っぽさ求めないで」

「教師スイッチ……?」

「教師スイッチ」

「教師としてそれでいいの!?」

「ここにいる間は教師も休憩中なんですー」

気分よく弁当を食べていたのに、そこにやってくるお前が悪い。

「なんか、蜂屋先生って先生っぽくないと思ってたけどさ、本当に先生っぽくないや」

「それは聞き捨てならないけど、まぁいいや。昼休みだし」

「教師スイッチ切れてるから?」

「そう、切れてるから」

ふふふ、と楽しそうに笑う。いつもの妹尾に戻ったようだった。

「先生こそこんなところで何してるの?」

「俺もお前には言いたくありません」

「ひっどくない!?」

「お前もそう言っただろうが……」

俺は地面に置いている弁当箱を横目に見ながら続ける。

「……弁当食いに来ただけだよ」

「いつもいるわけじゃないよね?」

「たまに来るくらいだな。お前はいつもいるのか?」

「うん、毎日じゃないけど結構いるよ。ここは落ち着くから」

予礼のチャイムが鳴った。昼休みはあと五分で終わりだ。

「じゃ、戻るわ」

「また来る?」

「さぁな」

そう、曖昧な返事をして俺は職員室に戻ることにした。

けれど、次の日に弁当の中身を見ながら思うのだ。明日も屋上で食べることにしよう、と。

それから俺は頻繁に屋上に行くようになり、妹尾と会うことを繰り返すことになる。

いつも同じように弁当を食べていると、後から妹尾がやってくる。俺がいるのを分かっていながら最初に会ったときと同じようにタバコを吸い始め、そして一度首を傾げてこちらに振り向いて言うのだ。

「没収する?」

「します」

「あげるー」

「お前さては俺を呈のいいゴミ箱かなんかと思ってないか?」

「どうでしょうねー?」

どうやら、妹尾はタバコを吸うことが目的では無いようだ。本当の理由は、知れないが。

「いつも銘柄違うのな?」

没収した箱を見ると、今日はメビウスだった。マイルドセブンから名前が変わったあれだ。

「いるのは一本だけでいいんだもん」

「どういうことだ?」

「ひみつ。先生の弁当の中身のひみつと引き替えになら教えてあげてもいいよ。いつも私が来たら食べるの止めるよね」

手には蓋を閉めた弁当箱。この続きは、もう妹尾がいる間は食べられない。妹尾に秘密があるように、俺にも秘密がある。それに、気付かれてしまった。

「……教えない」

「いいじゃん!何?彼女の手作り?ハートが描いてあるとか?」

「悲しいことに、彼女はいません」

「キャラ弁?」

「そんなもん朝から作る余裕は俺にはない」

「日の丸でも引いたりしないよ?」

「え?今の子って日の丸弁当で引くの?」

日の丸弁当じゃないけど、なんだかショックだった。

「全面キャベツでも大丈夫!」

「それは弁当と呼べるのか?」

「後輩にいたよ?全面キャベツ弁当。なんでも、前日にお母さんに『こんなお弁当が食えるか!』とか言ったらしくて」

「リアルにいたのかよ」

「馬鹿だよね」

「それで毎日タッパーに全面キャベツ」

「すごい母親だな」

「マヨネーズ付いてたから多分優しいお母さんだよ」

「それは優しいな。めちゃくちゃに優しいわ」

それでいいのか母親よ。

とはいえ、それで引かないならばまだましかもしれないと、思ってしまったのだった。

「……全面キャベツで引かないならいいか」

俺はまだほとんど手を付けていない弁当箱を開けた。

色とりどりの食材を弁当箱に詰めているが、それは野菜ではない。

「お花だ」

「そう、お花」

「綺麗」

「綺麗なんだよ」

俺は弁当箱に、お花を詰めていた。おかずがお花なのだ。

俺は箸で、一輪取った。

「スーパーでエディブルフラワーが見切り品になってると買っちゃうんだけど、前に全面に敷き詰めてるのを職員室で食べてたらさすがに引かれてな」

「なんで?綺麗じゃん!私、お花好きだよ」

これは、デンファレというピンク色の花だ。見た目はランに似た花だが、食べることが出来る。普通はケーキの材料に使われることが多いらしい。

「食べられるお花があるんだ。どんな味がするんだろう?花の蜜ならあるよ。ツツジとサルビア」

「これは花全体が食べられるんだ」

「食べたことないな」

「お花は食べたことあるでしょうよ。菜の花とかフキノトウとか刺身の菊とか」

「ってことは、苦いってこと?」

「ブロッコリーとか」

「あ、ブロッコリーもなんだ!ってことは美味しいんだ?」

「花の味がするよ」

「貰ってもいい?」

弁当箱を差し出すと、一輪をゆびでつまんだ。しげしげとその花を観察してから、意を決して口に入れ、噛む。

「ほんとだ、お花の味がする。ちょっと苦いんだね」

「美味しくは無いだろう?」

「正直、美味しくはない。けどなんかいいね」

嬉しそうに、そう言った。

「で?お前の理由は?」

「気が向いたら教えるね」

そうして気に入ったのか、もう一輪花を口に入れる。そんな妹尾を見て、思い出すことがあった。

「綺麗?」

口に花をくわえて、そう聞いた女の子のことを。俺が花を食べるようになった原因とも言える、少女のことを。




高校のとき、俺はそこそこ頭が良かった。

テーブルの上には成績表。

「あなたはそのままでいいのよ」

対面に座る母親の、その台詞が俺を追い詰めている。

苛立ちを孕んだその言葉は、俺が高校一年生の期末テストで学年二位を取ったときに発せられたものだった。そのまま上位をキープしろと言っているわけではない。二位で居続けろと、言っているわけでももちろんない。

「何も出来ない子どものままでいいんだから」

親は、俺が頭が良いことをよしとしなかった。

中学までは、順位が出なかったからここまで露骨には言われなかった。

しかし薄々勘づいてはいたのだ。

テストで良い点を取って、褒められると思い持って帰る。そのテストを見せると、「そう」と素っ気なく目を逸らされるのだ。

「勉強しろ」と言われたことは無い。それならある話だ。

「なんで勉強するの?こっちで一緒にテレビを見ましょう!」

親は俺にそう言った。定期考査の、前日でさえも。

「あなたは何も出来ないんだから」

「そんなのまぐれよ」

「あなたは何にもなれはしない」

高校生の間、呪詛のような言葉が吐かれた。

他の親は、そうではないということを途中までは知らなかったが、その頃の俺は理解していた。

「子どものままで、いればいい」

俺が少しでも良い点を取ると、焦るのが分かった。

どうしてなのか、意味が分からなかった。普通は、頭が良いことが良いことではないのか。頭が良ければ褒められて、悪ければ怒られるのでは無いのか。

なのに、なぜ。

なぜ、平均点を下回る点数を見せると、安心したような顔をする。

進路相談も中々出来なかった。

「大学に行きたいんだけど」

大学に進学したかった。

しかし、その希望はもちろん通ることは無かった。

「あなたが大学に行けるわけ無いじゃない。ここにずっといればいいのよ。頭が悪いんだから」

真綿で首を絞められる思いがした。

意味が分からない。なぜ。どうして。

早く大人になって、家を出たいと思った。

普通ではない、世間とは違うこの家から、親から、離れたかった。

早く大人になりたくて、大人にならないと出来ないことをしてみた。そうすれば、大人になれるかもしれない。それに、考えていることも分かるかも知れないと思ったから。

その一つがタバコを吸うことだった。

家の中だとバレるから、いつもベランダで吸っていた。自分の部屋にはベランダがあったから、丁度良かった。

ベランダに座り込み、タバコを吸う。

天気がよく、太陽の降り注ぐ場所。

その場所が、思いの外、居心地が良かった。

そうして、人知れず小さな非行を繰り返している。

そんなある日だった。

「誰かいる?」

隣の家のベランダから声がした。俺はマンションの二階に住んでいて、隣のベランダは下から上まで板で遮られていて何も見えない。

ベランダの外側から身を乗り出すように隣を見ると、少女がこちらを見上げていた。

慌ててタバコの火を消した。幼い子どもの肺を、副流煙で汚す訳にはいかなかった。

「やっぱりいた」

「どうしたの?」

「あなたの部屋もここなの?」

「ん?君の部屋はここなのかな」

「そう、ベランダが自分の部屋なの!」

「俺は別に自分の部屋があるけど、ここが落ち着くよ」

「蜜飲む?」

彼女のそばには、料理に使うボールがあり、中にはお花がたくさん入っていた。ピンク色の、ラッパみたいな形をした花だ。

その花の根本を、少女が吸い始める。

「綺麗?」

「……かわいいよ」

無邪気な姿が、かわいかった。純粋で、無垢で、汚したくないと思った。

「ちょっとだけ甘いの。いる?」

「いや、俺はいいかな」

「この花の名前、知ってる?」

「ツツジだね」

その花の名前くらいは知っていた。似たような花があることも知っていたが、これはマンションの下に生えているツツジを取ってきたのだろうと思った。

「どんな漢字?」

「……漢字?」

「漢字がマイブームなの」

「確か植物図鑑があったはず。ちょっと待ってて」

そう言って、部屋にあった図鑑をめくった。意外にもツツジの漢字は難しく、俺も知らない書いたこともない漢字だった。

紙に書いて渡すと、気難しそうに眉間に皺を寄せていた。

「躑躅……?」

「それで、ツツジって読むらしいよ」

「難しいのね」

それから、少女は俺がベランダにいると花の名前と漢字を聞くようになった。

「いる?」

女の子が隙間から覗こうとする。その口には、今日もツツジが咲いていた。

「においがした」

「消しますね……」

俺はタバコをベランダの柵に押し付けた。

少し気になることがある。彼女がベランダにいるときは、他の人の気配がしないのだ。

「お母さんが忙しいから家にいないといけないの。本当は、ベランダにも出ちゃダメなんだけどね」

聞けば、いたずらがバレたときみたいに笑いながら少女は言った。

「そうなんだ。じゃあ一緒だね」

「一緒?」

「俺も、本当はタバコ吸っちゃダメなんだ」

「そうなんだ!」

「黙っていてね」

「ひみつね?私も黙ってる」

そうして、花の蜜を吸い始める。

「綺麗?」

「かわいいよ」

「なんでいつも花の蜜を吸っているの?」

「お母さんが忙しくて、お菓子とかもあんまり買ってもらえないから。お花は美味しいから大丈夫」

きっと、優しくて我慢しているのだろう。親のことを思って、わがままも言えないのだろう。

この少女は、誰にでも優しくあるのだ。

「ねぇ、このお花の名前を教えて」

その日は赤い花を口にしていた。

そうして、少女に花のことを教えていくうちに、気付いたことがある。

俺は、人に物を教えるのが好きらしい。教えて「そうなんだ」「すごい!」「ありがとう」そう言われることが心地よくて、自分は役に立っていると思えた。

そんな単純な理由で、俺は教師を志したいと思うようになった。

しかしその道は簡単なものではなかった。

親は変わらず大学への進学を良しとしない。教師になりたい、と決意するのが少し遅かったこともあり、結局俺は言われるがままに高校を卒業し、就職することになってしまった。

生活リズムが変わり、少女に会うことは無くなった。

気が付けば、隣の家は引っ越してしまっていて別の人になっていた。少女に「さようなら」を言い損ねてしまった。名前を聞くことも、していなかった。短いけれど、俺にとって大切だった時間は無くなってしまった。

最後まで少女に「綺麗だよ」と言えたことも無かった。

けれど、綺麗だと思っていた。その心が優しくて綺麗だった。

「あなたは就職するんでしょう?」

同じ事をすれば俺も綺麗になれるのかなって思った。花を食べたのは、就職して一年目のことだった。

大人になりたければ、タバコを吸う。綺麗になりたければ、花を食べる。俺の思考なんて、そんな単純さで出来ている。

それから、一般企業に三年勤めてお金を貯めて家を出て、大学に行き教師になった。

後に知ったことだが、親は昔頭が良くて、神童と呼ばれていたらしい。しかし、知識は知識であり、社会で役立たせることは出来ず落ちこぼれた。

だから、息子に頭によくなってほしくなかったらしい。

自分を超えられたくは無かったから。

自分の無能さを突き付けられるが嫌だったから。

そんな理由で押さえ付けていた。

嫉妬もあったのだろう。子離れ出来ない親という側面もあったのだろう。

俺はそれを糾弾出来るほど、頭が悪い子では無かったので、距離を置いて今はなんとかやっている。




「先生は今日もお花を食べている」

「お前は今日も一本だけタバコを吸ってる」

「綺麗だね」

「そうだな」

いつものように、いつもの屋上。懐かしいことを思い出す。この屋上で、こんな会話が、どこか温かい。

「お花貰いますね」

そう言って、妹尾は指でつまんだ。俺の弁当の花をつまみか何か心をように食べるようになった。

「ねぇねぇ」

「本当は私がタバコを吸っていることって報告義務とかあるんじゃないの?」

「あるねぇ。多分俺が言えば多分お前は停学になるよ」

「まじか……」

「まー昼休みは教師スイッチ切れてるんで」

「教師スイッチの切れている先生はなんで先生になったの?」

「教えることが、面白いことだと教えてくれた子どもがいたから」

記憶の少女に言うように、俺は言う。

「なるほど。ならば、ちょっと、相談いいですか。どうしようかと悩んでいまして」

「俺で良ければ、どうぞ」

「大学に行きたいんだけど、うち母子家庭であんまり裕福では無いんだ。だから就職すべきかなと思うんだけど」

「親はなんて?」

「やりたいことを、やりなさいって」

「今は、奨学金とかもあるしな」

「とはいえ、楽はさせたいし」

「やりたいことをやった方がいいと思うぞ。少なくとも、俺はそうしたら良かったよ。親がそう言ってるなら、甘えれば良いんだ」

俺には出来なかったけれど、それが出来るのならばすればいいと思うんだ。

「いいのかな。甘えても。甘えるのは苦手だから」

そう言って、紫煙を揺らす。

「たまにはいいんじゃない?」

「ちょっと、考えとく。よし、一本終わり。ぼっしゅーどうぞー!」

「意気揚々と渡してくるようになったな」

そうして渡されたのは、よく知った名前の銘柄のタバコだった。ラクダの絵が箱に書いてあるタバコ。俺が高校のときに吸っていたタバコだった。

「……ライター貸して」

「え、吸えないなら止めた方が」

「未成年が何言ってんだか」

スカートのポケットから出したライターを貰い、タバコをくわえて火を付ける。

なんだか、懐かしい味がした。記憶とは、違ったけれど。

妹尾は呆然とした顔で、俺の方を見ていた。

「やっぱ味、結構変わったな」

「吸えるんかーい!」

盛大な突っ込みが入ってしまった。

「吸えないんじゃないの!?」

「吸わないの。タバコは二十歳でやめたの」

本当は中学から吸ってたなんてことは言わないでおこう。

「先生って不良なんだー」

「善良ではないな」

そもそも生徒が毎日タバコを吸っているのを止めない教師はどう考えても善良ではない。

まぁけどほら、昼休みの間はスイッチ切れてるし。

「あれ?」

「んー?」

「いや、なんか知り合いに似てる気がして。そんなわけ無いんだけど」

「どんな知り合い?」

少し考えるようにして、彼女は言う。

「タバコを吸ってる理由、この際だから言うけどさ。私ね、タバコを探してるんだよ」

「…………ここにありますけど?」

「銘柄を探してるんだ。記憶は匂いと結び付いてるって聞いてから、匂いが分かれば、他の記憶も思い出す気がして」

「どんな人なの?」

「好きな人。初恋と言ってもいいと思う」

「甘酸っぱいねぇ」

「子どもの頃隣に住んでた人なんだ」

ベランダの隣のお兄ちゃんがいつもベランダでタバコを吸っていた。

顔が見えないけど、声を掛けたら顔を出してくれる。

たまに顔を覗かせているから、目だけは知ってる。よく見たら右目の半分が黒い目なんだ。

あのとき、母親が忙しくてあまり構ってもらえなかった。けど、わがままも言えなかった。

そんなたきに、その人が色んなことを教えてくれた。カッコよくて、優しくて、憧れた。

大人の人なんだなって思った。

今でも会えたらいいのにって思う。

私にとってあの人は、結構、救いだったんだ。

そんなことを、彼女は語った。

「いつも同じ匂いだったから、気に入っていた銘柄があったんだろうけど、分からなくて」

「…………」

驚くことに、思い当たる節が、有り過ぎた。

「……なぁ、お前の言ってるタバコって廃盤になってない?」

「廃盤?タバコに廃盤なんてあるの!?」

「ありますとも」

マイルドセブンがメビウスになったり。ラクダのマークのキャメルが廃盤になったり。そしてこうして、再販されたり。

「明日いいもの持ってきてやるよ」




次の日、いつもの屋上にて。

「いいものって何?」

一つ、空箱を少女の前に置く。

家に転がっていた古いタバコの空き箱だ。廃盤になると知ったときに、記念にと一つだけ取っておいていたんだ。

「……キャメル?」

「そう、キャメル」

渋い黄色いにラクダ絵の掛かれている箱だ。

「昨日のとは違うの?」

「違うよ。一度廃盤になって、少し前に再販したんだ。けど、中身も箱も結構変わっちゃっててね」

「この箱には中身無いんだよね?じゃあこのタバコか分からなくない?」

「間違いなくこれだよ」

「え?」

「これです」

「なんで断言できるの……?」

いつものように、妹尾は首を傾げている。

「少しだけ、俺の話をしようか」

俺は彼女に言わないといけないことがある。

「俺もね、花を食べるのには理由があるんだ。家の隣の女の子が花の蜜を吸うんだって言って、吸ってた。サルビアとかツツジとか、いつも口にくわえてて」

妹尾も覚えがあったのだろう。次第に頬が、染まっていく。

「綺麗?っていつも聞いてくるんだよ。その子が」

「え……?」

さて、ここまで言えばそろそろ分かるだろう。

「まさか」

いやいやいやいや、と困ったように顔を伏せて花をつまむ。

ここは、あの頃のベランダのようだ。太陽の日差しの降り注ぐ、俺と少女の部屋。

「先生が、その人……ですか」

「そうです」

「まさか、なんですけど」

俺は妹尾に顔をよく見ようと近付くと、困ったように目を逸らされてしまった。

ひらひらと目の前で揺れる、彼女の口に咲いている花びらを、俺は一枚歯で噛んでむしった。

この近さならば、俺の瞳も見えただろう。

「お前はやっぱり綺麗だよ。姿も、心も、在り方も」

「んー!?」

花を咥えたままの君は喋れない。

お互いがお互いのことを思い、この屋上で出会ったと言うのならば、これは運命と必然どちらと言えるのだろう?

落ち着いた後に、「俺の今までと、君のこれからを話そうか」と提案すれば、君は口に花弁の減った花を咲かせたまま大きく頷いた。

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