第44話「懊悩」
五の五連打のあと、星へ
常識的な発想ならば受けである。
一分ほどの考慮ののち、泰は石音高く左辺に打った。
五の五に打たれた二つの黒が繋ぐ直線の、ちょうど真ん中。
美咲は表情を変えず、ほどなくして右上隅に両ガカリ。手抜きを追及する自然な手で、むろん、泰の予想の範疇でもある。
暫し考え、泰は中央へコスみ出した。現代碁ならばツケが多そうであるが、難解な変化を
善悪はさておき、ここまで青写真どおりに進行したことに泰は一応の安堵を覚える一方、過去に経験したことのない盤面になり、美咲は胸を躍らせながら次の作戦について考えていた。
ふと、泰の脳裏に、直之の顔が浮かんだ。真剣な表情で考慮する美咲の姿を眺めつつ、どうしてだろうかと泰は思う。
盤面に視線を戻したとき、理由がわかった。先ほどの右上隅のコスミが、いかにも直之が打ちそうな手だったからである。手厚く、石が自然と上にいくことの多い、直之らしい手。ツケる定石の変化など読まず、
美咲へともう一度視線を向けながら、今日の昼間、直之と会っていたときのことを泰は再度思い出す。いつもどおりに若干の哀感を帯びた直之と話す自分は、果たして直之に安らぎを提供できていたのだろうかと、泰は不意に懸念を抱く。美咲と離れて以降、現実と過去との境で
直之と会うときに必ず一度は美咲や優里について尋ねることを、直之が過去や現実から目を背けずに生きるために必要なことであると思い実践していたが、よくよく俯瞰して考えれば、それは直之が自分と過ごす時間のなかで求めていることではなかったのではないかと思い、泰は動揺した。
互いに愉しみ、その上で相手に癒やしをもたらしたいと考えるのは友人という立場にふさわしい親愛なる感情に違いないが、相手の感情や思考やあるいは人生そのものを左右しようという考えは、たとえ友人であろうとも一線を越えている。
直之が不満などこぼすはずもなく、また、直之自身なんの違和感も抱いていないかもしれないと思う一方、泰はいますぐ直之に連絡したいと思った。ごめんなと、理由も言わずにひと言謝り、それから他愛のない無駄話でも少しばかりして口直ししたいと思った。
それがすぐには叶う状況にない現実に絶望し、そういえば今日の自分はいつもと比べて表情や振る舞いに豊かさを欠いていたのではないかと思い、泰は膝に置いている両手が不自然に汗ばみ出したことに気づく。
とはいえ、それほど極端な差異はなく、欠けていたとしてもほんの微量程度であろうと思うことはできたが、そのわずかな差異を直之が感じ取っていたとして、たとえば自分と中野駅で解散してからひとりで訪れた別の喫茶店で延々とそれについて考えていたとしたら。
「くそう」
誰にもきこえないであろうヴォリウムで、泰はつぶやいた。
難はみかげ サンダルウッド @sandalwood
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