アルマナイマ博物誌 ズーという神について

東洋 夏

ズーについての覚え書き

 アルマナイマの神話の中に「ズー」という名の神がいる。

 この一風変わった名の神は、性質もまた特異である。

 ズーは祭りの守護神だ。

 セムタム族は海底の泥のひと掬いや、落ち葉の一枚一枚、絶え間なく生まれる波頭にも、魂があるといい、それらが凝り固まって神として成立すると信じている。

 ならば祭りの神は何の象徴なのだろうか。

 祭りというイメージはあまりにも抽象的である。

 人々の浮かれ騒ぐ心だろうか、それとも信仰心の高まりであろうか。

 あるいは祭りを彩る演劇や、音楽に宿る神なのであろうか。

 私の蒐集した神話群を見る限り、ズーはそのいずれも象徴していない。

 どちらかと言えば無礼講の神とか騒々しい神、あるいは引っ掻き回し屋とでも訳した方が良いのかもしれず、祭りの場に必ず彼の神像があるのは、

「我々はあなたの存在を知っており、この祭りを楽しんでいただきたいと思っているが、どうか問題を起こさないでほしい」

 という切実な願いの表れのようにも感じられる。

 ズーはアルマナイマの創世神話におけるトリックスターであり、今でもセムタム族は彼と関わることを極端に恐れるようだ。

 祭りの神ズーの成り立ちはそれほどに奇抜であり、基本的に静謐で真面目で信仰心に篤いセムタム族の人々にとっては全く相容れない存在なのである。

 それでは、ズーの物語を始めよう。


 ズーがいつ生まれたのか。

 その物語は創世神話の中に、はっきりと記されている。

 ある日<海龍の長>アラコファルは直感を得て骰子を作り始めた(※この海龍神は天才肌の発明家であり、ふと思い立って様々な生物やカヌー、武具などを生み出した。そのため工芸の神としても崇められている)。

 ただし海龍神アラコファルは手を持たなかったので、自身の眷属である一角龍のティブーと、セムタム族の中でも器用な大工だったムラを呼び寄せた。

 アラコファルは気前よく自身の鱗を剥ぎ、ふたりに材料として与え、競わせることにした。

 立方体が作られ、正八面体が作られ、正十二面体が作られ、正二十面体が作られた。

 ふたりの腕前は互角だった。

 アラコファルの想像力もさらに高まった。

 正多面体を飛び出して、円錐をふたつくっつけた形のものや、更なる多面を追求した骰子の作成が、次々と指令された。

 最難題は百面体であった。

 アラコファルの設計図によれば、それはほとんど完全な球のように見えた。

 一角龍のティブーもセムタム族のムラも、意気込んでこの五十番目にして最終問題にとりかかろうとしたが、海龍神の妻であるマウメヌハヌが異議を唱える。

 彼女はふたりが飲まず食わずで作業を続けたため今にも倒れそうであったのを見かね、食事を取り、休んでから、良いものを作らせるようにと夫に言ったのだった。

 アラコファルは妻の意見は最もであると認め、ふたりに腹いっぱい食べてから作業を再開するようにと命じた。

 しかし、それは結果として少々アンフェアな命令になってしまった。

 ムラの周りには仲間のセムタム族が沢山いて、アラコファルの指示を聞くや、大急ぎで魚を釣り上げ、鳥を射落とし、芋を集めて、立派な蒸し焼き料理を作ったので、ムラはすぐに食事を取ることが出来た。

 対して一角龍のティブーには群れがおらず、自分で獲物を取りに行く必要があった。

 それにティブーは体が大きかったので、腹いっぱいに食べることは大変な難問だった。

 ティブーが必死になっているうちにムラはさっさと作業を始め、ティブーが帰ってきたころには、ムラの手の中には美しい百面体の骰子が彫り出されていた。

 一角龍のティブーは大いに嘆く。

 小さきセムタム族の如きに負けてしまったことを嘆き、長であるアラコファルに申し訳が立たないと嘆いた。

 そしてティブーは嘆きのあまり、今から掘り出そうとしていた海龍神の鱗に頭を打ち付けて死んでしまったのである。

 海龍神アラコファルは驚いた。

 自責の念にかられたアラコファルは自ら葬送の歌をティブーに送った。

 するとどうしたことか、ティブーの割れた額から、するりとひとりの男神が滑り出たではないか。

 男神は細っこいセムタム族の青年のような姿をし、その目はどこか煽情的であった。

「我が名はズー」

 と男神は名乗る。

 海龍神アラコファルは、一目でこのズーという新参者の神を好きになってしまった。

 そのような魅力がズーにはあったのである。

 ズーはティブーの横に転がっていた海龍神の鱗を拾い上げると、それを両の掌に包み、如何なる技を使ってか、柔らかくしてこね始める。

 最後にズーが手を開くと、そこにはムラが作ったものと負けず劣らず美しい百面体の骰子が乗っていた。

「それをやろう」

 と、アラコファルは言った。

「代わりに、儂の海底の庭に居よ」

 ズーはそれを承諾し、海龍神はティブーの死を時折思い出しながら、この若き神を実の息子のように愛でた。

 ただしズーは大人しい神ではなかったので、よく海底の庭を抜け出し、セムタム族の楽の音につられて島の上で踊ってみたり、海龍たちの好敵手である飛龍をからかっては海に落として遊んだりした。

 しばらくするとその奔放な性格や、アラコファル直々の厚遇に嫉妬する海龍の眷属があらわれる。

 ズーは彼らにひどくあたられて、危うく海溝の淵から冥府に突き落とされそうになった。

 命からがら逃げ出したズーは仕返しのため一計を案じる。

 彼を追い立てた龍たちがくだんの骰子の管理者であったことを思い出したので、ある時その骰子を丸ごと盗むと、広い海の中に散り散りにまいてしまったのである。

 そして海龍神のもとから出奔した。

 海龍神アラコファルは泡を食ってズーを追い、帰って来いと何度も呼びかけたが、ズーはかえって嫌気をさして、島の上に――海龍の長の統治する世界の外へ出て行ってしまったのである。


 このようにしてズーは世界を放浪することになった。

 若き神はその過程で様々な騒動を巻き起こす。

 最たる例は、<星を魅了する仮面>をめぐる冒険である。


 ズーはしばらく島々を巡り、セムタム族を訪ね歩いた(※この時にセムタム族との間に子供が生まれている)。

 そのうちに、彼はある仮面のうわさを耳にする。

 セムタム族の古老が言うことには、その仮面を被った者が視線を捧げれば星が魅了されて流れ、龍ですらも腹を出すだろうとのこと。

 ズーは面白がって、仮面を追い求めた。

 やがて不思議な仮面が<島々の主>アラチョファルの宝物庫にあるとわかった。

 島龍神アラチョファルは、海龍神アラコファルの弟である。

 ズーは宝物庫の位置を探し当てると、そこを守っていた二匹の大地の龍に骰子勝負を持ちかけた。

 その頃には、骰子で遊ぶ文化は広く世界に浸透していて、誰もが骰子を持っていたのだ。

 三回やって三回とも勝ったら宝物庫を見せてほしい、とズーは言う。

 宝物庫の番龍は、この自分たちの牙よりも細っこい青年に負けるわけがないと思い、鼻で笑って受けてやった。

 骰子とは、その持ち手と、その素材が勝負の行方を決めると言われている。

 ズーは家出の際にすべての海龍神の骰子をばらまいたかと思いきや、実はちゃっかり、自作の百面体の骰子だけは持ち出していた。

 それで骰子勝負を挑んだところ、ズーは三回やって三回負けず――神の鱗の結晶なのだから、負けるわけがないのだが、宝物庫の番龍たちはしぶしぶ鍵を開けてやった。

「手に取るな、見るだけだ」

 と、番龍たちは苦々しい思いで言う。

「迂闊なことをすれば食ってしまうぞ」

 ズーは嬉々として宝物庫を歩き回り仮面を見つけると、ひょいと被った。

 それは不思議な形で、顔の下半分をベールのように被う柔らかな仮面であった。

 触ってはならぬと番龍たちが怒って吼えりと、ズーはくるりと振り向いた。

 たちまち番龍たちは腰砕けになり、よろめいて宝物庫の扉の横に尻もちをついてしまった。

 ズーは颯爽と宝物庫を駆け出し、また世界を巡る旅に出た。


 <星を魅了する仮面>は島龍神アラチョファルの大事な宝であった。

 当然ズーには追手がかかる。

 ズーは逃亡を続けたが、どうしても天の上に住む龍神が持つという<風の雫>という宝が欲しくなり、積乱雲の尻尾をつかんで上り始めた。

 雲の上には龍神の宮殿があり、そこには数々の秘宝をちりばめた玉座がある。

 しかしその過程でズーは、ついに島龍神アラチョファルと海龍神アラコファルの兄、つまり三兄弟の長男である<黄金の王>アララファルに捕まってしまう。


「さて盗人」

 後ろ手に雲の綱で縛られたズーを、<黄金の王>アララファルは赤い目を細めて見た。

 周りにはずらりとアララファルの眷属が胸を張って居並んでいる。

 天龍神が瞬きするたび、その鱗からこぼれた雷が何本もズーを驚かすように間近に突き刺さったが、ズーはつとめて平然としていた。

「仮面を出せ。打ち壊してくれる」

 ズーは、

「あちらにあります」

 と、顎で横を指した。

 彼の脇にそそり立っていた飛龍が恭しく箱をくわえて天龍神に差し出した。

 天龍神アララファルは黄金の爪でその箱を引き裂いた。

 すると、箱の中から仮面をつけたズーが飛び出した。

 ズーと目を合わせたアララファルは、うっと呻いて顔をかきむしる。

 その間にズーは<風の雫>をアララファルの玉座から奪い取ると、踵を返して逃げ出した。

 縛られたズーは偽物のズーだったのである(※この冒険の前に、彼は変身するための技をアレアレ鳥の神から伝授されていた。このことにより、アララファルの怒りを買ったアレアレ鳥は絶滅に追い込まれたという)。

 衝撃から立ち直ったアララファルは烈火のごとく怒って眷属たちに追跡を命じ、自身も雷の槍を放ってズーを仕留めんとする。

 しかし眷属たちの一部がすでにズーに見つめられて裏切っていたこと、そして<風の雫>の力を得たズーの逃げ足は雷よりも速かったので、なかなか捕まえることが出来なかった。

 これは、完全無欠である<黄金の王>アララファルの逸話のうちについた、唯一の傷かもしれない。


 さて、さしものズーも逃げ疲れてきた。

 <風の雫>は主人から引き離されて混乱を始めたし、雷を避けるために用意した樹液を塗った葉の札も尽きてしまった。

 アララファルが鬼のような形相で追いかけ来、ここで捕まるのか……と思いきや、ズーの計算高さが如何なく発揮される。


 <黄金の王>アララファルは眷属たちを置き去りにしてまでズーを追いかけてきた。

 ズーは海上につくねんと立ってこちらを見ており、アララファルは苛立ちのあまりに雷鳴を引き裂いたような咆哮を放った。

 仮面の力は及ぶものの、しかしアララファルはその影響力を振り切るほどの龍であった。

 いよいよズーに牙を突き立てようとしたその時、海の下から海龍神アラコファルが飛び出してアララファルの首にかじりついた。

 海龍神アラコファルは怒っていた。

 何しろ天龍神アララファルが加減もなく放った雷の槍は海の底まで刺さり、海龍神の眷属が何匹も命を落としていたからである。

 その多くは、ズーがまき散らした骰子を拾い集めているところだった。

「離さんか馬鹿者!」

 天龍神アララファルは、弟たる海龍神アラコファルの顔に雷を投げつけて引っぱたいた。

 海龍神アラコファルは、兄たる天龍神アララファルの翼に大波をかけて沈めようとした。

 当初の目的を忘れて取っ組み合いを始めた二匹の龍の仲裁に、末の弟である島龍神アラチョファルがやって来た。

 アラチョファルもまたズーに怒っていたのだが、それも忘れて喧嘩をしている兄たちの姿にさらに怒りを募らせた。

「そもそもアラコの兄上がちゃんと見ておけばよかった」

 アラチョファルは言い、

「アララの兄上はズーを舐めるべきではなかった」

 と責めた。

 海龍神アラコファルは恥じ入ったが、天龍神アララファルはかえって弟をなじり、

「お前が仮面を盗まれなければ何もなかった。間抜けめ」

 そうして結局、三兄弟三つ巴の口論が始まってしまった。

 その間にズーはすたこら遠く遠くへ行ってしまい、その後はもう誰にも捕まえることができなくなったという。


 このようにしてズーは神話世界に登場した。

 三兄弟の龍をけむに巻いたのちも、神話のそこここに現れては悪戯をして回る姿が見られるし、現代のセムタム文化にもその名を刻んでいる。

 例えばセムタムたちがこんにち親しむ、非常に洗練された骰子遊びのルールを定めたのはズーだという。

 航海に出るとき必ずカヌーに積んでいる雷避けの薬草は、ズーがアララファルの宮殿に忍び込むときに持って行ったものを、後日セムタム族がわけてもらったのだと伝わる。

 仮面劇を催すときには、必ずズーの祝詞を唱えてから始めなければならない。

 龍挑みの儀に臨む者はズーの神像を懐に備えて海に漕ぎ出す(※ズーの神像は必ず木製である。普通の神像のように竜骨を削って作るのはタブーである。それは勿論、たいていの龍にとってズーの名は不愉快なものだからだ)。

 今でも時折、ズーの痕跡を見たというセムタムがいる。

 ただし直接ズーの姿を見たというセムタムはいない。

 それは何を意味するのだろう。

 ズーが抽象的な概念だから実体を我々の目では捉えることが出来ないのか、それとも見た者はくだんの仮面の魔力に影響されてしまうのか。

 私は、後者なのではないかと思う。

 神話がまだ生きているこの星では、何があってもおかしくは無いのだ。


 ×


 以上はアム=アカエダン博士が『海洋星の神話たち』(フラクタル社)に寄稿された文章からの引用である。

 本文の注(※)は引用者が加えたもので、同氏の著作『アルマナイマ星の創世神話』を参考にした。

 なお、アム博士は「ズーの痕跡を見たことがあるか」という質問について「ノーコメント」と返している。

 本当は博士はズーの何かを見たことがあるのではないか、と引用者は思っている。

 いつかお話する機会があれば、改めて質問してみたい。

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