8:夜

 羽根が体の中に入るのを見た直後から体が燃えるように熱い。

 でも痛いとか苦しいわけじゃない。

 今なら空だって飛べる気がする。

 怖い気持ちも嘘みたいにどこかにいってしまったみたいで、わたしは彼の言いつけを破って足場にしていた太い枝を蹴って跳びはねる。

 頭が葉っぱや細い枝をパキパキと追って、薄い紙を破る感覚がした。

 さっきまで隠れていた場所が豆粒みたいに見えるくらい高く跳ぶと、大きなムカデみたいな生き物が公園で暴れているのが見える。


 さっきまでモヤモヤに見えてたのはもしかしてあの大きな道路の幅くらいありそうなムカデだったの?

 それに、羽根が体の中に入ったからか…世界の色がなんとなく鮮やかに見える気がする。

 違和感にちょっとしためまいを覚えそうになりながら、真っ黒な体に目に痛い色をした頭…黄色い脚をワシャワシャと動かしている巨大ムカデを見る。

 巨大なムカデは急に上半身をニョキッと伸ばして立ち上がった。

 慈鳥さんの姿は見えない。巨大ムカデの前には、ぼろぼろになった鴉一人だけが立ち向かってるみたいだった。

 鴉は、血まみれになった片腕をダランと力なくぶら下げながらも、もう片方の手で持っている大きな鎌で巨大ムカデの頭を切りつけようと振り上げる。


 いつもならきっと、怖くて震えてなにもできないとおもう。

 でも、彼の羽根が今はわたしに不思議な力だけじゃなくて勇気もくれてるみたいで全然怖くない。


 助けなきゃ。


 そう思ってなにもない空中を、まるで地面の上にいるときみたいに脚で蹴る。

 ちゃんと着地してから走らなきゃ…と思ったけれど、不思議な力のおかげなのかわたしの体は、彼と巨大ムカデの方へぐんぐんと近付いていく。

 

 止まり方がわからない。しまった。 

 気がついたところで、進んでいく体はとまらない。

 このまま勢いよく巨大ムカデにあたっても大丈夫なように、わたしは頭守れるように体を丸める。

 

「メイ?」


 ガンっとすごい音がして巨大なムカデがよろけると、険しい顔をしていた彼が一転、目をまんまるに見開いてこちらを見た。

 巨大ムカデの頭に跳ね返ってそのまま自由落下するのに身を任せていると、背中の真っ黒な翼を広げた彼がわたしを細い腕でしっかりと抱きとめてくれた。


「…ああ、羽根の力」


 なにかに納得したように柔らかく笑った彼だったけど、横転したまま足を蠢かせている巨大ムカデを見て再び表情を引き締める。


「慈鳥っ!」


「言われなくても…しっかりとお嬢ちゃんと鴉が作ってくれた好機はモノにするぜ。任せな」


 声の方に目を向けると、満月の静かな青い光を背負うように姿を表した慈鳥さんが両翼を広げて空に浮かんでいた「邪魔をされないならこっちのもんだ。鴉が必死に飛び回ってくれたお陰で準備もしっかり出来た」


 鴉に負けず劣らずボロボロの慈鳥さんは、額から幾筋も血を流している。にもかかわらず、どこか妖艶な雰囲気と涼しさを感じさせる佇まいをしているその人は、流れるような動作で懐から先が丸く上に向いて少し曲がっている細い棒のようなものを取り出した。

 棒のようなものの真っ直ぐな方を慈鳥さんが口元に咥えると、曲がっていて少し丸みを帯びている方からは白い煙が出始める。

 まるでゆったりとした踊りのように慈鳥さんの手が揺れて、棒のようなものが口元から離れる。


「怒り怨み嫉み憎しみ荒ぶるヒトの残滓たち…暴れてえ気持ちはわかるが、もう夜明けも近い。お前らの現世での時間もそろそろ終幕しまいだ」


 白い煙は横転したままもがいている巨大ムカデの元へ、まるで生き物みたいに蛇行しながら向かっていく。

 何度も慈鳥さんが煙を吐き出し、幾筋もの白煙の蛇が巨大ムカデに絡みついていき、巨大ムカデは足の一本すら満足に動かせないようで、やっと動きが止まる。


「仕上げはくれてやる。いいとこ見せな」


 細い棒を懐にしまった慈鳥さんが、木の枝の上にしゃがみこんでへらっと力なく笑った。

 彼はその言葉をきいて静かに頷くと、わたしをおろして再びどこからともなく取り出した大きな銀色に光る刃が特徴的な鎌を両手で持つ。


「未練があるだろうが、この世に留まってもあんたらのソレは晴れない。善き魂もそうではない魂も…今は安らかに黄泉へ旅立ち給え」


 光輝いた彼の鎌が、巨大ムカデの頭と胴体を切り離すと、転がった頭はドロドロのへどろみたいになって土の中に消えた。

 嫌な臭いがして思わず顔をしかめたけれど、その後にふっと甘い花の香りがして、わたしは再び顔を前に向ける。


 頭がなくなった巨大ムカデの胴体からは、薄い灰色のモヤがふわふわと吹き出し始めた。

 それを、慈鳥さんがさっき吐き出した白煙の蛇がまるでどこかに導くように寄り添って月を目指して立ち上っていく。


「きれい」


 慈鳥さんが吐き出した白煙の蛇も、巨大ムカデもいなくなって、空高くに灰色のモヤが少しだけ見える。

 すっかり静かになった公園で、わたしたちだけが残された。

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