7:内側
大きな音がした方向をわたしと彼は同時に見た。目を凝らすと薄っすらとモヤのようなものが彼の真後ろでうごめいているのが見える。
見覚えがある…。そう思ったすぐ後に、アレは彼がわたしの部屋に向かっていた時に見えたあのモヤモヤと同じだって気がついて体が竦む。
「メイ、ここでじっとしてて。絶対に動いたら駄目だ」
わたしを木の枝の上に置いた鴉は真剣な顔でそう言った。
「大丈夫。メイといたら痛いのも消えた。すぐ帰ってくるから、そしたらちゃんと話すから」
わたしがよっぽど心配そうな顔をしていたのか、彼は笑顔を作ってそう言うと、細い指でわたしの額をくすぐるように撫でる。
そして、背中を向けて暗闇に向かって飛んでいく彼をわたしは黙って見送らしかできなかった。
嫌な臭いがする。
下水と人の吐瀉物と…それになにかが腐った臭い。
街に微かに漂ってるこの嫌な臭いはあのモヤモヤのものだったのかな。
彼に言われたとおりに息を潜めて木の上でじっと待つ。
目を閉じて、あの家にいるときみたいにじっと何も考えないようにする。
耳にはバキバキと木の音が折れる音や、彼の羽音がやけに鮮明に聞こえてくる。
小さく…とても小さく木とは違う何かが折れる音が聞こえた気がして怖くて耳を塞ぎたくなる。
震えが止まらない。
血の匂いがあたりに漂ってきて、それがだんだん強くなる。
わたしと会う前の彼はふらふらだった。
痛みは消えたって言ってたのを信じたけど、元気だった彼を大怪我をさせたような相手に治りたての彼は勝てるわけがない。痛みが消えたっていうのがわたしを安心させるための嘘なら…。
少しだけ頭が冷静になり始めた気がする。
どうすればいい。
わたしになにができるんだろう。考えろ…大切な人を助けるために…。
気ばかり焦って、関係ない彼との思い出が頭の中に浮かんでくる。
死ぬ前に見るっていう思い出みたいでなんだか不吉だし、考えるのをやめたいのに…。
「不吉…」
言葉にしてみて、ハッとする。
そういえば、彼は前に言ってたっけ。
『困った時には俺の羽根のことを考えるといい。不吉な色って言われてるけど、困りごとを助けるくらいの力はあるんだぜ?』
冗談だと思ってたけど、もしかして…。
ダメでもともとだ。わたしがあのモヤモヤに飛びかかってもきっとなにもできない。
彼の羽根があてにならなかったら…それも考えるけど、自己犠牲は最初に取るべき行動じゃない。
血の匂いが濃くなる。
段々と周りから聞こえる羽音から力強さが失われていく。
早くしないと…。
わたしのあの家での唯一の居場所に大切に敷き詰めてある真っ黒な羽根たちを頭の中に思い浮かべた。
「わたしの寂しさを埋めてくれた真っ黒で素敵な羽根さんたち…どうかわたしの大切な彼を助ける手伝いをしてください…」
思いが通じる気がして、目をしっかりと閉じて、思っていることを言葉にして言ってみる。
そのまま目を閉じてしばらく待ってみたけど、わたしの体には何も起きているような感じはしない。わたしも姿が変われば力になれたのかもしれないのに…とがっかりしながら目を開くと、目の前にはいつからあったのか真っ黒なたくさんの羽根がわたしを囲むように漂っていた。
「わ…ほんとだった」
信じてないわけじゃなかったけど、思わずそんな独り言を漏らしたわたしの周りを羽根たちはゆっくりを包み込むように迫ってくる。
どうなるかわからないけど、このまま何もしないで彼が死んでしまうよりはマシだ。
「お願い…彼を…鴉を助けたいの」
羽根たちはもちろん話せない。でも、頷くみたいにふわっと上下に動いたかと思うとそのままわたしに向かって勢いよく飛んでくる。
なんで?と思いながら咄嗟に顔をそらす。でも全然痛くないし、体になにか当たる気配もない。
そっと目を開けるとたくさんあった羽根の最後の一枚がわたしの体の中に溶けるみたいに飲み込まれて消えるところだった。
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