6:木

 考え事をしていると、なにか車みたいに大きなものがぶつかったみたいな振動が木を襲う。

 大きく揺れた木から落ちないように、目を閉じている彼を支えながらなんとか木に掴まった。

 周りではなにか大きなものが這いずり回るような、引きずられているようなそんな音と硬い何かが擦れ合う音が終始聞こえている。


「な…なにこれ?工事?」


「メイ、大丈夫?」


 ハッと目を開いた彼の声を聞いて少し冷静さを取り戻す。

 なにが起きているのか、彼に聞けばわかるかも。口を開こうとすると再び、大きな音と共に木が左右に激しく揺れた。


「鴉、悪いな」


 よく通る芯の通った声が急に聞こえて、体中の毛が逆立つくらいに驚く。ピョンっと体が勝手に飛び跳ねて、危うく木から落ちそうになったわたしの背中を温かい大きな手が支えてくれて再び驚いて小さく悲鳴を漏らすと、目の前にいる彼の目が今までみたこともないような険しい目つきになった。


「いや、助かったよ慈鳥じちょう。俺もそろそろ向かう」


 わたしをそっと元の場所へ戻した男―慈鳥さんは薄い唇の片側をあげて笑った。三白眼の中央に琥珀色の瞳を浮かべた慈鳥さんの背中には、鴉と同じような真っ黒で大きな翼が広がっている。

 今まで激しく動いていたのかな?慈鳥さんは、ゆるく波打つ肩甲骨辺りまで伸ばした黒い髪をかきあげながらわたしの方をみた。その額には粒のような汗がいくつも浮かんでいる。


「ああ…あんたが噂のお嬢ちゃんか。最初はどういうことかと思ったが…」


 慈鳥さんがわたしを見て笑う。笑うと目尻が下がって笑いジワが出来るので、なんだか最初見た時に感じた冷たい印象とは随分違う人なんだなって少し不思議な感じがした。


「今はそんな場合じゃないだろ?」


 真っ黒な翼の慈鳥さんと、わたしの間に割り込むようにして入ってきた彼はつっけんどんに言った。それを聞いて慈鳥さんは肩を竦ませて笑ってみせる。

 この人間と彼は知り合いなの?と首を傾げていると、なにかが這いずり回るような音が再び近付いてくる。


「隠してたわけじゃないんだけどさ」


 今の今まで真っ黒でほっそりとした鳥の姿をしていた彼は、一瞬で人間の姿になると慈鳥さん胸元を押しのけてわたしのことをひょいと抱き上げた。

 いきなり人間の姿になった彼に驚いたけど、でもちゃんと彼だってわかる。だから怖くない。

 いつもの姿から、変わってしまった彼は、当たり前だけど慈鳥さんともちょっと見た目が違っていた。


 月と同じ色をしたサラサラとした肩まで伸ばした髪と、慈鳥さんとくらべて華奢で小さな体は、見た目は違うけど鳥の姿だったときとあまり印象は変わらない。

 慈鳥さんも細身な方だと思うけど、隣に鴉がいると骨格も筋肉もしっかりとついていてたくましい印象を受ける。身長も頭一つ分ほど慈鳥さんのほうが高いみたい。


「ちゃんと俺から説明しようとしたんだけど…ごめん」


「ま、じゃあ俺は一足先にもう一暴れしてくるとするか」


 慈鳥さんは、突き出た枝先に立って膝辺りに手を当てて、座ったり立ったりと準備運動のようなことをすると、腰辺りまで伸びた黒い髪をクルクルと器用に金色のかんざしでまとめた。よく見ると、真っ黒な忍び装束みたいな服に身を包んでいる慈鳥さんの体にもあちこちと切り傷が目立つ。

 怪我なんてしてないみたいに涼しい表情をしている慈鳥さんは、両鬢りょうびんの顎までかかる後れ毛をゆらっと風に靡かせて颯爽と木の枝を蹴って闇の中に姿を消した。


 一暴れってなんのことだろう。

 キョトンとしているわたしを抱っこしたまま、鴉は顔をぐっと近づけてくる。

 お互いの鼻先をくっつけて、ゆっくりと息を吐きながら彼は目を閉じた。

 細い鼻筋と、長い睫毛が印象的な綺麗な半楕円上の目。真っ白な肌と血色の良さそうな厚い唇は、なんとなく彼から中性的な印象を受けた。


「あの…鴉?」

 

 顔に見とれてなんかいないで怪我…怪我はもう大丈夫かな…そうだそれを聞かなきゃ。

 ドキドキが止まらなくなりそうな中、やっと思い浮かんだ言葉を口にしようとしたけど、それは、耳が割れそうなほど大きい陶器の花瓶が割れるみたいな音でかき消された。

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