最終話 紫の子
イルルクは、常に冥府の王として冥界にいる訳ではなかった。
月の半分ほどを冥界で過ごすが、残りの半分はヤクニジューで過ごした。
もう荒ら屋ではなく、きちんとした家に住んでいた。
火葬場の近くの、静かな一軒家に。
その家にはイルルクの他に、フェルが暮らしていた。
教祖との戦いの後、フェルにどこにも行くなと言われたイルルクは、フェルと共に生きる道を選んだのだった。
炎神のように冥界を放っておく訳にはいかなかった為に、リリミア他、冥界の人々を説得して人間界で暮らす半月を手に入れた。
イルルクはもはや、寿命を持たない身体になっていた為、歳を重ねていくフェルとは異なり、いつまでも青年の姿のままだった。
一度、フェルの成長に合わせて自分の姿も変えてみた事があったが、フェルに反対されて以来、何もしない事にした。
◆
フェルが、今ならドレスを着られる気がする、と言った為、騒動が落ち着いてから数年の後、イルルクとフェルは結婚し、祝宴を上げた。
短かったフェルの髪はイルルクと同じく腰の辺りまで伸びていたが、相変わらずの癖っ毛だった。フェルの髪を花嫁に相応しく美しい状態へ仕上げるのに、数人の女性たちがかかりっきりになる程だった。
イルルクの真っ直ぐな紫の髪は、フェルの頭部を飾り立てた物と同じ花が編み込まれ、綺麗にまとめ上げられた。
フェルはイルルクのまとめ髪を甚く気に入り、結婚式が終わった後も時折イルルクの髪を編み上げてはまとめ、悦に入っていた。
何人もの女性の手によって髪を編まれ、化粧を施され、細やかで美しい装飾の織り込まれた生地で出来たドレスに身を包んだフェルは、どこからどうみても美しい女性だった。
初めて森の中で女の格好をしたフェルを見た時よりもずっとずっと美しかった。
そう褒めると、容赦のない蹴りが飛んできた。
周りにいた女性たちが慌ててフェルを止めに入る。折角のドレスアップを無駄にするなと怒られ、フェルは大人しくなった。
二人の結婚式は魔術院のホールで行われた。神々も参列するという事で魔術院には多くの人が詰め掛けたが、魔術院の中まで入れるのはほんの一握りだった。
他の多くの人々は魔術院の外で、投影魔術により塔の前に映し出されたイルルクとフェルの様子を見守っていた。
外で見守る全ての人々に対しても、二人の婚姻を祝福する神々の威光は降り注いだ。
「死が二人を別つまで、愛する事を誓いますか」
その言葉に、フェルはイルルクを真っ直ぐに見つめてこう答えた。
「俺が死んでも、生まれ変わってまたイルルクを愛してやるから、浮気すんなよ」
実体化して参列していたリリミアがその言葉を聞き、腕が鳴るわねと意気込んでいた。キトリが頭を抱えた所を見るに、今の冥界の仕組みではなかなかに難しい事なのだろうとイルルクは思った。
しかし、目の前のフェルを見ていると、何でもない事のように実現しそうでイルルクは笑いが溢れるのを抑えられなかった。
自分の権能で無理が通せるのなら、この件に関してだけは炎神のように好き勝手に振る舞ってみても許されるかもしれないと考えたが、キトリはそんなイルルクの考えもお見通しだと言わんばかりの笑顔をイルルクに向けていた。
その日のヤクニジューは、街を上げてのお祭り騒ぎになった。
街の至る所に露店が立ち並び、その中にはイルルクとフェルの思い出のあの露店たちも並んでいた。
フェルはあの頃と変わらぬ笑顔で同じ麺を注文し、あの頃の倍はあるのではないかと思われる辛さの香辛料をこれでもかと器に振りかけていた。
この日から、フェルの食べたスープは常に露店に並ぶようになり、辛味を好む大人たちに大人気の商品となるのだった。
イルルクは勿論、甘い焼き菓子を食べた。こちらも同じく、イルルクの好物として売り出され、幾つ出しても飛ぶように売れる為に店主が店を大きくする程だった。
感謝祭はそれから毎年この日に行われる事になり、フェルはイルルクに、来世もこの日に結婚しろよなと言って聞かなかった。
◆
イルルクとフェルは、時折ヤクニジューを離れて旅に出た。
行った事のない街へ行き、食べた事のない食べ物を食べ、それを持ち帰ってはキリやノーシュと食事会を開いた。
イルルクの
いずれ、世界の全てを知るだろう。
しかしイルルクは知っている。
世界は更に外へと広がっている事を。
神と並び立つようになってもなお、知り得ない事があるのだと。
◆
ヤクニジューの火葬場は、神聖な物となった。
イルルクは今でも、ヤクニジューにいる間は教会から火葬を請け負っていた。
ヤクニジューにいる間、イルルクを神ではなくただのイルルクとして扱ってくれるヤクニジューの街が、イルルクとって何よりも変え難い宝物だった。
フェルの隣で、ヤクニジューで、火葬人として生きて行く。
時々旅をして、時々冥界へ行って。
それが、イルルクの選んだ、生き方だった。
炎神にはもっと楽しい事があるだのなんだのと散々言われたが、イルルクは自分で決めたこの生き方が、一番であると信じて疑わなかった。
イルルクは神の半身である。
イルルクは冥府の王である。
イルルクは火葬人である。
【了】
紫の子 南雲 皋 @nagumo-satsuki
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