小学校を舞台にしていますが、大人の社会の縮図を見るような物語です。そして、自分の考えや思いにどれだけ正直になれるかという個人としての強さを問う物語でもあります。
新しい環境に不安を募らせて転校してきた奈々実に声をかけてくれたのは、ちょっと風変わりな夕希。たった一人のかけがえのない親友になれるはずだったのに、「社会」の圧力が奈々実の心を揺るがします。
「次は自分の番だ」と思った時、その状況と戦えるか、それとも保身に走るか。傍観者というぬるま湯は安全かも知れません。でもそれは自分に正直であることでしょうか。
いじめられっ子の気持ちは沢山は語られないものの、救いを求めるような心情が文章のあちこちからほとばしっています。その中でポロリとこぼれる「友達になりたかった」というセリフには涙が出ます。
小学生らしいささやかな可愛い小道具が物語の中で大きく活きているのも素晴らしいです。
ラストは終わりではなくこれからを思わせます。
二人にはどうか強くあって欲しいと、そう願うばかりです。
転校生である奈々実に親しげに声をかけてくれた夕希。そんな夕希は「センダ菌」と呼ばれ、いじめられている少女だった。
いじめっ子といじめられる子と、そしていじめられないようにと傍観者に徹する子。教室の中に広がる「暗黙のルール」。奈々実と夕希を取り巻く環境の描写。それが丁寧に書かれています。いじめられる子といじめを知らない転校生に焦点を当てた物語です。
いじめを知って、仲良くしてた子がいじめられていると知って。そしてその子と仲良くすれば次は自分がターゲットになると感じて。
それでも仲良くするか
見て見ぬふりする傍観者になるか
あなたが奈々実なら、彼女と同じ選択を出来ますか?
通い慣れた通学路を照らす淡い夕日。
おだやかであたたかい黄昏色の中で、
「今日一日の自分を全部燃やしてしまいたい」
そう考えたことが何度かあります。
傷ついた。傷つけた。
嘘をついた。嘘になってしまった。
積み重なった小さな失敗に立ちゆかなくなり、
もう二度と学校になんか行きたくないと肩を落とす。
皆さまにもきっと、そういったご経験があるのではないでしょうか。
教室の中にすし詰めにされた雛たちは、
常に協調と同調を求められています。
しかし雛たちは、生まれながらに知っているのです。
誰しもが平等ではなく、決して分かり合えない相手もいることを。
遠い日の私たちがそうであったように、知ってしまっている。
出口のないその賢しさは、時に「いじめ」となって現れます。
しかもその多くは、大人たちの目を擦り抜けている。
パッキングされた教室では、部外者になるのが難しいのです。
少なくとも私がいた教室ではそうでした。
一人残らず全員が、常に加害者か被害者に属していました。
我が身は可愛い。我が身は可愛い。我が身が可愛かったがために。
潰してしまった友情がありました。
殺してしまった笑顔が、そこにありました。
だからこそ今日の自分を、「全部燃やしてしまいたい」と願いました。
この物語では、そんなありふれた鳥かごの中の一つを覗くことができます。
擦れて傷つけ合う雛たちの、誰一人として悪者ではない物語です。
どうかその結末に、夕やけ色が微笑まんことを。
誰にでも優しい人は、きっと、誰かにとって時に残酷だ。きっと、優しいだけではなく、強さを持っていることが必要なのだ。そう感じさせてくれる一作。
主人公は心優しい転校生。東京から転校してきたことで、転校先に馴染めるのか不安だった。そんな主人公と、仲良くなった一人の少女。しかし彼女はクラスでイジメにあっていた。そのことを知らされた主人公は、少女を避けてしまう。
しかし、決定的なイジメの場面を目撃した主人公は、ささやかながら自分で前に一歩踏み出す。空気を読んで、他人に合わせて、それで平和ならそれでいい。自分が一人になっても、他人に嫌われなければいい。そう思い、常に何かに怯え、イジメも傍観者になろうとした主人公。しかし、ちょっとの勇気が、強さに変わる。その瞬間を、その過程を、リアルに描いた作品だ。
是非、御一読下さい。