エピローグ2

「ワンソン君はただの年上好き……」


 午後十一時五十分。

 囚われのエリオット第一話放送まで、あと十分。景、恵麻、紗々里、宇多の四人はテレビの前で待機している。


「もう、勘弁してください。ささりん……結野さん」


 恵麻からもらったクッキーをボリボリ食べながら、紗々里は再び死んだ瞳になってしまっている。景が「クッキーでも食べて落ち着クッキー」と言ったことにより、空気はますます死んでしまった。「落ち着クッキー」の発案者である恵麻は、まるで自分のギャグが滑ったかのように恥ずかしそうにしていた。


「紗々里さん、そろそろ落ち着こう。もうすぐ始まるよ?」

「……そうね」


 小さく咳払いをし、紗々里は苦笑する。

 テレビでは囚われのエリオットの前に放送しているアニメのEDが流れ始め、本当にもうすぐなんだという実感が湧いてきた。

 きっと、皆も同じ気持ちなのだろう。急に誰も喋らなくなり、画面に集中する。EDが終わり、CMを挟んで次回予告が流れ、そしてまたCMになる。

 そして、次に始まるのは――。


「……っ」


 恵麻と紗々里が、小さく息を呑んで前のめりになった。

 ミクスとミリナ、そしてエリオットといったキャラクター達が、テレビの中に映っている。初回放送ではOPがラストに流れるらしい。というのを恵麻と紗々里は知っていて、だからこそノンストップで物語が進んでいくように感じられた。一話の時点ではオリジナル要素はなく、原作漫画に忠実に進んでいく。漫画の世界観そのままに、ミクスやミリナ達が動き回っているのだ。


 景の想像以上に、アニメは完璧だった。ゆったりと丁寧に進んでいく物語も、優しく包み込むBGMのおかげもあってか、更にスローテンポに感じられる。しかし囚われのエリオットは序盤のゆっくり流れる空気も魅力の一つで、そこをじっくりやってくれたアニメスタッフには感謝しかない。また、登場する主要キャラクターや一話のみのゲストキャラクターの声優も、アニメに初出演する新人からベテランまで様々で、キャラクターボイスを初めて聴くはずなのにすんなり耳の中に入っていった。


「実況も盛り上がってるみたいだな。一部初見で退屈だって人も見かけるけど、ビビるくらいに絶賛の嵐だ。今期のアニメの中じゃ今のところ一番評判良いんじゃねぇか?」


 Aパートが終わってCMに入ったタイミングで、宇多が携帯電話片手に感心したように漏らす。景も「そうですねぇ」と頷くのだが、恵麻と紗々里は無反応だ。CM中でも集中が途切れないのだろうか。

 と、一瞬だけ思ったのだが、どうやら違ったようだ。


「……ひっ」


 唐突に、恵麻と紗々里の姿がテレビの中に映る。二人で背中合わせになりながらOP曲を歌っている――という映像が十五秒だけ流れた。そう、つまりは「背中合わせの共同体 ―ジェミニ―」のCMだ。


「び、ビックリした……」

「……CM流れるの、知ってたくせに」

「いや、知ってても何かビックリしちゃうんだよぉ。本当にMVまで撮ったんだなぁっていう実感が今になってひしひしと!」


 興奮が隠せないように、恵麻はきょろきょろと紗々里と景と宇多を見つめる。しかし、紗々里は「それが何?」とでも言いたいようにすまし顔をしていた。

 そんな紗々里の姿を見て、景はふと気が付く。


(結野さん、そんなに嬉しくないのでしょうか。囚われのエリオットのために二人で歌っただけで、本当は一人で歌いたかった……とか。恵麻さんと歌うことは通過点にしか思ってない……とか)


 紗々里に限ってそんなことはない。

 わかっていても、何故か寂しい気持ちが押し寄せる。アニメが始まってから、紗々里はずっと無表情だ。いちいち一喜一憂している恵麻が逆に不自然に見えてしまうくらいに。顎に手を当てて、じっと画面に集中しているのだ。

 確かに景は囚われのエリオットを知ってまだ日が浅い。でも、アニメの出来が良いと思う気持ちは皆変わらないと思うのだ。

 だからきっと、アニメに不満がある訳ではないと思う。

 そして、一瞬血迷って感じてしまった「嬉しくない」というのも、やっぱり違う気がするのだ。

 Bパートが始まっても、ゆったりとミクスとミリナ、そしてエリオットの日常が描かれる。でも、この作品のタイトルは「囚われのエリオット」だ。もちろん、いつまでも平穏な日々が描かれる訳ではない。

 一話も終盤に差しかかると、今までの空気が嘘のように物語が動き出す。愛するエリオットが囚われ、ミクスとミリナがそれに気付く。

 怒りに震え、「絶対に弟を救い出す」という姉妹の気持ちが爆発するとともに、第一話は終了。――そして。


 一話のスペシャルEDとして、OP映像が流れ始める。

 曲はもちろん、恵麻と紗々里の二人で歌う「背中合わせの共同体 ―ジェミニ―」だ。


「……恵麻」


 こつん、と。

 紗々里はそっと、自分の肩を恵麻の肩にぶつける。

 恵麻は返事をしなかった。景と宇多も、何も言えなかった。ただただ、物語の盛り上がりを引き継ぐようにして流れるOP映像を食い入るように見つめてしまう。


「紗々里さん」


 急にはっとして、恵麻は画面の中を指差す。

 OPでは、スタッフやキャストなどのクレジットが流れている。そこにはもちろん、「背中合わせの共同体 ―ジェミニ― 結野紗々里×加島恵麻」という文字がしっかりと浮かび上がっていた。でかでかと書かれすぎていて肝心のOP映像が見えづらいが、それは来週のクレジットのないOPを楽しみにしよう、ということだろう。


「…………」


 あっという間にスペシャルEDが終わり、予告も流れた。そのままテレビを付けておけばまた別の深夜アニメが始まるが、今はそんな気分じゃない。景はそっとテレビを消した。すると当然のように、シンとした空気が流れ出す。


「何か言ってよ、紗々里さん」

「……嫌」

「もう、何でだよー。やっぱり、本当はあたし一人で歌いたかったのに! とか思ってるの?」

「…………」


 恵麻がおどけると、紗々里は視線を逸らして黙り込んでしまった。でもこれは、恵麻の言葉をスルーしている訳ではない。と、すぐにわかってしまった。

 だって、表情が見えなくても気持ちが見えてしまうのだ。

 弱々しく肩を震わせている紗々里は、あらぬ方向を向いている。まるで意地でも顔を見せないようにしているようだ。


「……ねぇ、観た? あたしと恵麻の曲が流れたんだよ」

「うん……そうだね。流れたね」

「あたし達のアニソンが、流れたんだよ」


 まだ顔は見えない。

 でも、声はか細くて、未だに信じられていないようにふわふわしていた。


「そっか。そうだね。紗々里さんも私も、ゲームの曲しか出したことがなかった……だから」

「あたし達、もう……アニソン歌手なんだ」


 ようやく紗々里は顔を隠すのをやめ、潤んだ瞳を恵麻に向ける。


「うん! アニソン歌手って、名乗って良いんだよ!」

「……親の七光りとか、そういうの関係なくて?」

「まだそんな馬鹿なこと考えてたの?」

「……馬鹿って……」


 不服そうに眉をひそめる紗々里を、恵麻は優しく抱きしめる。紗々里は一瞬驚いたような顔になったが、すぐに受け止めて瞳を閉じる。


「ねぇ、恵麻」

「……何?」

「今までお世話になりました」

「えっ」


 今度は恵麻が驚いて、慌てて紗々里から離れる。恵麻が戸惑っているように目を丸々とさせると、紗々里は小さく微笑んだ。


「これから少しの間は、一緒に「背中合わせの共同体 ―ジェミニ―」を歌う機会が多いかも知れない」

「だよ……ね?」

「でも、あたしは恵麻のことをライバルだと思ってるから。あなたの力を借りなくても、たくさんのアニタイを掴み取ってみせるから」


 じっと恵麻を見つめ、紗々里は宣言する。

 言葉の意味を理解した恵麻も、ニヤリと得意気に微笑んだ。


「私だって負けないよ。今はまだ、夢の第一歩だもん。たくさんのアニソンを出して、フルアルバムとかも出して、ワンマンライブとかやっちゃったりして……えへへ」


 夢を口にするだけで、笑顔が溢れる。

 アニソン戦争前はあんなにも不安な表情をしていた恵麻が、凄く楽しそうだ。それくらい、紗々里と一緒にアニソンを歌えたことは大きな一歩であり、嬉しいことなのだろう。傍にいるだけの景がこんなにも嬉しいのだ。きっと、恵麻も紗々里も今、幸せの真っ只中にいるに違いない。


「良かったですね、恵麻さん。結野さんも」


 景も景で、黙って二人の会話を見つめているだけでは耐えられなくなっていた。

 思わず問いかけると、二人してこちらを見つめ、笑みを零す。


「うん! ……けーくん」


 すると、恵麻がこちらにすすすっと近付いてきた。

 景としては、今は歌姫二人で喜びをわかち合う時間なのでは? と思っていた。

 でも。


「これは私達の実力だよ! でも……傍にいてくれて、ありがとうね」


 こんな全力の笑顔を向けられたら、景としても嬉しくない訳がなく。



 これからも、恵麻のことを、恵麻の傍で応援し続けたいと思う景なのであった。



                                      了

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アニソン戦争 傘木咲華 @kasakki_

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